国語学者、真宗大谷派の僧。天明(てんめい)6年7月7日若狭(わかさ)国小浜(おばま)(福井県小浜市)の妙玄寺の住職伝瑞(でんずい)の三男として生まれる。一時田辺の願蔵寺の養子となったが、1807年(文化4)兄実伝(じつでん)が没したので妙玄寺の住職となる。教学を高倉学寮に学び、歌文を藤井高尚(ふじいたかなお)に学んだ。とくに本居宣長(もとおりのりなが)・春庭(はるにわ)の国語の研究に関心をもち、精細な論証を行い、その補訂に努めた。その著『友鏡』は宣長の『てにをは紐鏡(ひもかがみ)』を補正した図表で、のち改めて『和語説略図』とし、『活語指南』で説明を加えた。形容詞も含め、用言の六活用形に名称を与えている。また『男信(なましな)』では、漢字音の韻尾にn音とm音の区別があり、それが日本の古い地名表記などに示されていることを考証して宣長の見解を訂正し、『山口栞(やまぐちのしおり)』では古語の活用の仕方の従来の判断を正した。天保(てんぽう)14年8月15日没。
[古田東朔 2018年10月19日]
『吉沢博士還暦記念会編『義門全集 上』(1943・帝国教育会出版部)』▽『三木幸信編『義門研究資料集成』上中下(1966~1968・風間書房)』▽『三木幸信編『義門研究資料集成 別巻1、2』(1973、1974・墨水書房)』▽『三木幸信編『義門研究資料集成 別巻3』(1976・桜楓社)』
江戸時代の国語学者。若狭国小浜(現,福井県小浜市)の妙玄寺(浄土真宗)に生まれる。法名は霊伝,義門は通称である。幼時から聡明で学を好み,京都の高倉学寮に遊学し,また藤井高尚(たかなお)に歌文を学び,23歳で妙玄寺の住職となった。国語学は本居宣長・春庭の影響を受け,これを継承発展させた。国語学に関する業績はきわめて多く,音韻には漢字音を研究した《男信(なましな)》,オ・ヲの研究をした《於乎軽重義(おおきようじゆうぎ)》があり,活用の研究に《友鏡》《真宗聖教和語説》《活語指南》,〈てにをは〉の研究に《玉緒繰分(たまのおくりわけ)》,形容詞研究に《山口栞(やまぐちのしおり)》があるが,特に活用研究は優れている。
執筆者:福島 邦道
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