根城跡(読み)ねじようあと

日本歴史地名大系 「根城跡」の解説

根城跡
ねじようあと

[現在地名]八戸市根城 根城・東構、根城八丁目

馬淵まべち川の下流右岸沿いの段丘末端に位置し、現在の根城と根城八丁目にまたがる。東と南は南方から延びる丘陵地、西は西にしノ沢の沢地を隔てて丘陵地に面し、北は馬淵川が北東に流れる。本丸の同川沿岸低地との比高は約一五メートル。中ほどを北東から南西に国道一〇四号(三戸街道)が通る。同川流域の出入口を押える要地にあたり、東に太平洋が控えているところから、海上交通と河川交通との接点でもあった。国指定史跡。

天正二〇年(一五九二)の諸城破却書上に「一糠部郡之内八戸 平地破却 南部彦治郎持分唐ノ供名代弥十郎」とあり、この頃まで八戸城と称していたものとみられる。八戸家伝記(南部家文書)には「当時国司祝云、是奥塞之根柢也、以可称根城」とあり、建武元年(一三三四)北畠顕家が根城と命名したとあるが、後世の潤色であろう。慶長三年(一五九八)の館持支配帳には「一八戸根城壱万三千石 九曜八戸弥六郎」とあるが、八戸弥六郎の襲名は延宝三年(一六七五)没の根城南部氏二二代直義からであるので疑問が残る。元和四年(一六一八)知行目録に「根城廻」とみえるところから藩政初期に至り、根城と称されたものとみられる。城名については支城に対する本城の意とする説のほかに、当城が破却された後根城南部氏が後の八戸城の地に新邸を築造して移住し、ここより旧城をもとの本拠の意として根城と命名したとする説がある。

築城年代は不明であるが、建武元年南部師行が居城して以来、天正二〇年に破却されるまで根城南部氏の居城であり、その拠点であった。建武元年の多田貞綱書状(遠野南部文書)によれば同年四月師行は北条氏の御内人に連なるとみられる八戸の工藤三郎兵衛尉の跡地を預地としており、建武以前には工藤氏の居城であったものであろう。同年四月以降師行は工藤氏の旧領とともに旧城を接収して居城としたとみられるが、遺構の規模からして、当時から後年の広大な城郭を有していたとは考えがたく、のち徐々に整備拡張されていったものと考えられる。

「三翁昔語」や南部八戸家系(南部家文書)によれば、永禄一〇年(一五六七)城主八戸政栄(根城南部氏一八代)不在の折に櫛引くしひき城主櫛引将監清長の攻撃を受け、近辺の地を焼払われたという。天正一九年にも櫛引清長によって再度攻撃され、城の一郭が占領されたが、新田小十郎の増援により直ちに撃退したとされる(南部諸城の研究)

根城跡
ねじようあと

[現在地名]宮古市老木 根城

根城の西方にある。田鎖たくさり移転以前の閉伊氏の本城。北東部山麓に岩山を削ってやっと騎馬一騎が通れる大手門があり、それから二百数十メートル登って城跡につく。最高所は物見(標高一二〇メートル)、その前後に主郭・前郭が置かれ、続いて二の郭・三の郭が設けられ、尾根の先端は物見を兼ねた砦となる。東方には幅広い空堀を隔てて東の郭がある。元亨四年(一三二四)一一月二三日の関東下知状案(宮古田鎖文書)によれば、正応元年(一二八八)閉伊光員の遺領の一つ「呂木」を嫡子光頼が分譲されており、建武元年(一三三四)のものと推定される閉伊親光言上状(盛岡南部文書)によれば、北畠顕家によってこの地が光頼の子親光に安堵されている。

根城跡
ねじようあと

[現在地名]由利町川西 根城

子吉こよし川に近く、標高四〇メートルほどの河岸段丘状の台地にある中世の城跡。文治合戦に際し、源頼朝に武勇を賞せられた由利八郎惟平の子孫仲八郎政春が拠ったといい、東西二町二〇間、南北二町三〇間(羽後国由利郡村誌)の規模をもつ。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

国指定史跡ガイド 「根城跡」の解説

ねじょうあと【根城跡】


青森県八戸市根城にある根城南部氏(八戸氏とも)の居城跡。八戸城とも呼ばれ、馬淵(まべち)川河口近くの右岸に広がる台地上に築かれた平城である。陸奥国司北畠顕家の郡代としてこの地に入った根城南部氏4代南部師行(もろゆき)が1334年(建武1)に築城した。根城南部氏は東北の地で足利勢に抗して南朝に忠誠を尽くし、根城を南朝の東北地方における一大拠点として8代の政光まで守った。1627年(寛永4)、直栄が遠野に国替えされるまで300年の間、南部氏の居城として続いた。本丸、中館(なかだて)、東善寺館(とうぜんじだて)、岡前館(おかまえだて)、沢里館(さわさとだて)の5郭が残る。それぞれに堀があり、独立した城のような構成で、中世の典型的な築城形態を残している。1941年(昭和16)、約21万2000m2の範囲が国の史跡として指定された。発掘調査は1978年(昭和53)から行われ、環境整備工事が実施された。1994年(平成6)、史跡公園の主要整備が完成。史跡根城の広場として公園化され、本丸跡の主殿を中心に、工房、板蔵(いたくら)、納屋、馬屋が復元されているほか、内部で正月の儀式のようすや道具類などが見られる。JR東北新幹線ほか八戸駅から南部バス「根城(博物館前)」下車、徒歩すぐ。

出典 講談社国指定史跡ガイドについて 情報

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