コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

正統カリフ時代 セイトウカリフジダイ

世界大百科事典 第2版の解説

せいとうカリフじだい【正統カリフ時代】

ムハンマドの死に続く4人のカリフ,すなわちアブー・バクルウマル1世ウスマーンアリーの時代(632‐661)をいう。実態はともかく,後のウマイヤ朝,アッバース朝のカリフと違い,彼らの政治にはイスラムの理念が反映されていたと考えた後世の政治思想家が,彼らを正統カリフal‐khulāfā’ al‐rāshidūn(神によって正しく導かれたカリフたち)と呼んだことがその名称の由来である。選挙制カリフの時代,あるいは族長的カリフの時代という学者もいる。

出典 株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について 情報

大辞林 第三版の解説

せいとうカリフじだい【正統カリフ時代】

ムハンマドの死後、選挙によって選ばれたカリフの時代(632~661)。後世、神により正しく導かれたカリフたちとよばれたことに由来。アブー=バクル・ウマル・ウスマーン・アリーの四代。

出典 三省堂大辞林 第三版について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

正統カリフ時代
せいとうかりふじだい

預言者ムハンマド(マホメット)没後、4人のカリフ、すなわちアブー・バクル、ウマル1世、ウスマーン、アリーによって治められた時代(632~661)をいう。後世のムスリムの思想家は、ウマイヤ朝やアッバース朝時代とは異なって、この時代にはイスラムの理念が政治に反映されていたと考え、彼らを正統カリフとよんだ。選挙制カリフ、族長的カリフとよぶ学者も多い。
 この時代の三大事件は、(1)カリフ制の成立、(2)大征服の開始、(3)第一次内乱の勃発(ぼっぱつ)である。預言者亡きあとイスラム国家は深刻な危機を迎えた。国家の指導者をめぐるムハージルーン(メッカからの移住者)とアンサール(メディナの住民でイスラム教徒)との対立、イスラム国家からのアラブ遊牧諸部族の離反である。ムハージルーンの長老アブー・バクルがカリフ(後継者)に指名され、教団の分裂は回避された。彼はただちに遊牧諸部族の反抗を武力鎮圧し、彼らをイスラム軍として組織し、北方のササン朝ペルシアとビザンティン領へ征服軍として派遣した。ウマル1世は、エジプト、ペルシア高原へと征服を拡大する一方、各地に軍事都市ミスルを建設した。アラブ諸族はディーワーン・アルジュンド(軍務庁)に戦士(ムカーティラ)として登録され、俸給を受けた。ウスマーンの時代、戦線は北アフリカ、ペルシア北東へと拡大したが、アラブ・ムスリム諸階層の間に深刻な利害の衝突が発生し、ウスマーンは下級兵士の不満の犠牲となった。反乱軍に推されたアリーは、カリフ位を宣したが、ムハンマドの未亡人アーイシャ、シリア総督ムアーウィヤらはそれを認めず、第一次内乱(656~661)が起こった。657年、上イラクのスィッフィーンでアリー軍とムアーウィヤ軍は対決したが、勝敗決せず、661年、アリーの死とウマイヤ朝の創建でこの時代は終わった。ムスリムが、国家が直面した新しい諸問題とイスラムの理念をどのように整合させていくかを模索したのがこの時代であった。[花田宇秋]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

正統カリフ時代の関連キーワードウマル(‘Umar b. alアリー(‘Alī b. Abī Tālib)ハーリドイブンアルワリードモスクアムル・ブン・アルアースレオーネ カエターニバイト・アルマール中東史(年表)イスファハーンカエターニダマスカスハラージュアーミルクーファシュルタアミールホムスバクルアブー

今日のキーワード

桃李もの言わざれども下自ら蹊を成す

《「史記」李将軍伝賛から》桃やすももは何も言わないが、花や実を慕って人が多く集まるので、その下には自然に道ができる。徳望のある人のもとへは人が自然に集まることのたとえ。...

続きを読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android