武者小路実篤(読み)ムシャノコウジサネアツ

デジタル大辞泉 「武者小路実篤」の意味・読み・例文・類語

むしゃのこうじ‐さねあつ〔ムシヤのこうぢ‐〕【武者小路実篤】

[1885~1976]小説家劇作家東京の生まれ。トルストイに傾倒し、志賀直哉らと雑誌白樺」を創刊。のち人道主義実践場として「新しき村」を建設文化勲章受章。小説お目出たき人」「幸福者」「友情」「真理先生」、戯曲人間万歳」など。

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共同通信ニュース用語解説 「武者小路実篤」の解説

武者小路実篤

武者小路実篤むしゃこうじ・さねあつ 1910年に志賀直哉しが・なおやらと雑誌「白樺しらかば」を創刊。小説「お目出たき人」「友情」などの文学作品をはじめ、詩や絵画など幅広い分野で活動し、人生の賛美や人間愛を説いた。理想社会実現の実践活動として18年に「新しき村」を創立し、生涯にわたり物心両面で支援を続けた。76年に90歳で死去。晩年を過ごした東京都調布市に記念館がある。

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精選版 日本国語大辞典 「武者小路実篤」の意味・読み・例文・類語

むしゃのこうじ‐さねあつ【武者小路実篤】

  1. 詩人、小説家、劇作家。東京出身。「白樺」を創刊し、その代表的作家として活躍。トルストイの影響を受け、人道主義を提唱。「新しき村」を創設。昭和二六年(一九五一)文化勲章受章。代表作に「お目出たき人」「友情」「真理先生」など。明治一八~昭和五一年(一八八五‐一九七六

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「武者小路実篤」の意味・わかりやすい解説

武者小路実篤(むしゃのこうじさねあつ)
むしゃのこうじさねあつ
(1885―1976)

小説家、劇作家、詩人、画家。明治18年5月12日、東京・麹町(こうじまち)に生まれる。父子爵実世(さねよ)、母秋子(なるこ)(勘解由小路(かでのこうじ)氏)の末男。4人の兄姉は生まれてまもなく死に、姉伊嘉子(いかこ)、兄公共(きんとも)とともに育つ。3歳のとき父を失う。その臨終の際の、この子はうまく育てば世界に1人という人間になるという父の予言を、成長後に知って、生を根底的に信じる心を与えられたという。学習院初・中・高等科に学び、木下利玄(きのしたりげん)、正親町公和(おおぎまちきんかず)、志賀直哉(しがなおや)を知る。中等科最上級のとき叔父の家で聖書、トルストイの人生論書に接し、いかに生きるかを問う契機を与えられ、とくにトルストイの思想に傾倒、文学への道を志した。1906年(明治39)東京帝国大学社会学科へ進んだが、1年ほどで退学。志賀らと「十四日会(じゅうよっかかい)」(1907)をもち、回覧雑誌『望野(ぼうや)』を発行、小説・詩・感想を載せ、それらをまとめて文集『荒野(こうや)』(1908)を刊行した。そこにトルストイ主義の自己犠牲から自己の生命の肯定へ移る思想転回がみられたが、1910年4月『白樺(しらかば)』を創刊、個の拡充、主体的な生の創造を大胆に打ち出す感想・評論を執筆、また西欧の美術の紹介に努めた。1912年(大正1)竹尾房子と結婚、1922年別れて飯河安子(いいかわやすこ)と再婚。創作としては『お目出たき人』(1911)、『世間知らず』(1912)のほか、戯曲『桃色の室(しつ)』(1911)、『二つの心』(1912)、『或日(あるひ)の一休和尚(いっきゅうおしょう)』(1913)などを発表。やがて個の拡充の意欲が自己を見守る運命の力を信じる心と結び付いて、自然・人類の意志のうちに個のすべてを生かす調和的な社会を具現すべき使命感を抱き、それを、戯曲『わしも知らない』(1914)、『或る青年の夢』(1916)、小説『彼が三十の時』(1914)、『或る脚本家』(1918)、感想集『後(の)ちに来る者に』(1916)などに熟させて、1918年(大正7)『新しき村の生活』に理想境建設の計画を公表し、宮崎県(のち埼玉県に移る)に土地を入手して「新しき村」の運動を具現した。1926年一身上の都合で離村、その間に『幸福者』(1919)、『友情』(1920)、『第三の隠者の運命』『或る男』(ともに1923)などの中長編、戯曲『人間万歳』(1922)、評伝『耶蘇(やそ)』(1920)を書き、「ぢかに神の意志を聞いて生きられる時」(耶蘇)を生きている自己の情熱を表明した。

 昭和初期には『井原西鶴(いはらさいかく)』(1931)ほかの伝記小説を多く書いたが、異色の美術展「大調和展」を創設、自身も画筆をとるなど、美術への関心を深め、1936年(昭和11)欧米を歴遊、各地に美術館を訪れ、帰国後は『美術論集』(1942)など美術関係の著書を多く刊行、小説にも画家を主人公とする作がみられた。第二次世界大戦中、時局に傾斜した姿勢を示したため、戦後公職追放の身となったが、1951年(昭和26)処分を解除され、文壇・画壇に復帰し、追放の間に書いた長編『真理先生』(1949~1950)を受ける『馬鹿一(ばかいち)』(1953)、『山谷五兵衛(さんやごへい)』(1954~1956)、『白雲先生(はくうんせんせい)』(1957~1959)の諸編に人間信頼の願いを託し、『或る男』以後の生涯を『一人の男』(1967~1971)に書き尽くして、昭和51年4月9日瞑目(めいもく)した。1951年文化勲章受章、1952年芸術院会員(再選)。東京・調布市の旧邸内に武者小路実篤記念館、埼玉県毛呂山(もろやま)町に武者小路実篤記念新しき村美術館がある。

[遠藤 祐]

『『武者小路実篤全集』全25巻(1954~1957・新潮社)』『『武者小路実篤全集』全18巻(1987~1991・小学館)』『本多秋五著『「白樺」派の文学』(新潮文庫)』『大津山国夫著『武者小路実篤論』(1974・東京大学出版会)』



武者小路実篤(むしゃこうじさねあつ)
むしゃこうじさねあつ

武者小路実篤

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改訂新版 世界大百科事典 「武者小路実篤」の意味・わかりやすい解説

武者小路実篤 (むしゃのこうじさねあつ)
生没年:1885-1976(明治18-昭和51)

作家,画家,思想家。別号は無車。子爵武者小路家の末子として東京に生まれた。公卿華族の家に末子として生まれたが,父の若死もあって権勢には遠い家庭に育った。学習院から東大哲学科社会学専修に進学したが,1年で中退。1910年,学習院同窓の有島武郎,志賀直哉らと文学同人雑誌《白樺》を創刊,みずから〈雑感〉とよぶ独創的な感想文を精力的に発表して,同誌の代表的存在になった。この間,11年には自伝的作品《お目出たき人》を公刊し,《その妹》(1915),《或る青年の夢》(1916)などの戯曲を《白樺》に発表した。彼はトルストイに対する傾倒と離反の過程でつかんだ独自の理想主義,生命主義,個人主義,およびそれらを基調とする清新な言文一致体の文章によって大正期文学の開幕と推進をになった。18年,自己の生活改造と社会の改造をねがって,十数人の同志とともに宮崎県の辺境に武者主義共生農園とでもよぶべき〈新しき村〉を創設,25年まで同地で共働共産の生活をつづけ,この間に代表作《幸福者》《友情》(以上1919),《第三の隠者の運命》(1922),《或る男》(1923)などを発表した。第2次大戦中に日本の参戦を〈聖戦〉とたたえ,戦後の公職追放をまねいた。昭和期に入ると絵筆にしたしむことが多く,誠実無比といわれる画業と,《真理先生》《馬鹿一》(1950)などの連作小説によって,素朴にして玄妙な生命賛仰,人間賛仰の世界をきずいた。独創的な個性であったが,つねに市井の生活者に平明に語りかける思想と芸術であった。
執筆者:

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20世紀日本人名事典 「武者小路実篤」の解説

武者小路 実篤
ムシャノコウジ サネアツ

明治〜昭和期の小説家,劇作家,随筆家,詩人,画家



生年
明治18(1885)年5月12日

没年
昭和51(1976)年4月9日

出生地
東京府麴町区元園町(現・東京都千代田区)

別名
筆名=無車,不倒翁

学歴〔年〕
東京帝国大学社会学科中退

主な受賞名〔年〕
菊池寛賞(第2回)〔昭和14年〕,文化勲章〔昭和26年〕,文化功労者〔昭和27年〕

経歴
学習院時代、トルストイに傾倒し、また志賀直哉、木下利玄らを知り、明治43年「白樺」を創刊し、白樺派の代表作家となる。41年「荒野」を刊行。白樺時代の作品としては「お目出たき人」「世間知らず」「わしも知らない」「その妹」などがある。この頃、自由と自然を愛し、人道主義を主張して15人の同志と宮崎に“新らしき村”を大正7年につくったが、14年に村を離れねばならなかった。この間、「幸福者」「友情」「第三隠者の運命」「或る男」「愛慾」などをのこした。昭和に入ってからは絵筆に親しむことが多く「湖畔の画商」などの美術論、「二宮尊徳」などの伝記、「幸福な家族」などの家庭小説や「無車詩集」などがある。14年、新たに“新らしき村”を埼玉につくる。戦後は公職追放の処分をうけたが、24年「心」を創刊し、「真理先生」を連載して文壇にカムバックし、晩年には「一人の男」を完成させた。また画家としても多くの作品をのこした。「武者小路実篤全集」(全25巻 新潮社)、「武者小路実篤全集」(全18巻 小学館)がある。

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百科事典マイペディア 「武者小路実篤」の意味・わかりやすい解説

武者小路実篤【むしゃのこうじさねあつ】

小説家,画家。東京生れ。東大哲学科社会学専修中退。青年時代トルストイに心酔。1910年志賀直哉らと雑誌《白樺》(白樺派)を創刊,自己主義を主張して小説《おめでたき人》,戯曲《わしも知らない》などを書いた。小説《彼が三十の時》以後人道主義を標榜(ひょうぼう),戯曲《その妹》を書き,1918年新しき村を創設。このころ小説《幸福者》《友情》《或る男》,戯曲《人間万歳》《愛慾》がある。昭和初期には伝記小説や美術関係の著作が多く,第2次大戦後に長編《真理先生》などがある。1951年文化勲章。
→関連項目千家元麿

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「武者小路実篤」の意味・わかりやすい解説

武者小路実篤
むしゃのこうじさねあつ

[生]1885.5.12. 東京
[没]1976.4.9. 東京
小説家,劇作家。旧華族の家に生れ,1906年東京大学社会学科に入学したが翌年中退。志賀直哉,正親町 (おおぎまち) 公和,木下利玄らと回覧誌『望野』を創刊し (1908) ,2年後『白樺』に発展させ,自己愛と自我尊重という『白樺』派の思想的指導者となった。自身の恋愛体験を描いた小説『お目出たき人』 (11) ,『世間知らず』 (12) で注目され,戯曲では『その妹』 (15) を発表。その頃から空想的社会主義の傾向を強くし,宮崎県日向に「新しき村」をつくる (18) 一方,『幸福者』 (19) ,『友情』 (19) ,『第三の隠者の運命』 (23) や,戯曲『人間万歳』 (22) ,『愛欲』 (26) などを書いた。その作品数は膨大であり,晩年は『真理先生』 (49~50) にみられるように脱俗の東洋的悟達の心境を手に入れた。芸術院会員。 51年文化勲章受章。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「武者小路実篤」の解説

武者小路実篤 むしゃのこうじ-さねあつ

1885-1976 明治-昭和時代の小説家。
明治18年5月12日生まれ。武者小路実世(さねよ)の4男。明治43年志賀直哉(なおや)らと「白樺(しらかば)」を創刊。大正7年理想主義の実践として,宮崎県に「新しき村」をひらく。小説,戯曲のほか,詩,画業にも活躍した。昭和12年芸術院会員,26年文化勲章。昭和51年4月9日死去。90歳。東京出身。東京帝大中退。作品に小説「友情」「真理先生」,戯曲「人間万歳」など。
【格言など】この道より我を生かす道なし,この道を歩く

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「武者小路実篤」の解説

武者小路実篤
むしゃのこうじさねあつ

1885.5.12~1976.4.9

明治~昭和期の小説家・劇作家・詩人。東京都出身。子爵の家柄に生まれる。学習院をへて東大中退。メーテルリンクの影響などにより厳格なトルストイ主義から脱却。1910年(明治43)志賀直哉らと「白樺」創刊,大胆な自我肯定の文学を展開。18年(大正7)人道主義の立場から「新しき村」を宮崎県に創始。第2次大戦後も小説・詩・絵画と旺盛な創作活動を続けた。小説「お目出たき人」「友情」,戯曲「愛欲」。51年(昭和26)文化勲章受章。「武者小路実篤全集」全18巻。

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旺文社日本史事典 三訂版 「武者小路実篤」の解説

武者小路実篤
むしゃのこうじさねあつ

1885〜1976
明治〜昭和期の小説家
華族出身。東京の生まれ。学習院より東大社会学科に進んだが中退。1910年志賀直哉らと『白樺』を創刊。自己の伸張を目ざす楽天的人道主義者で,「新しき村」の建設に取り組み,画業にも力を入れた。'51年文化勲章受章。代表作に『お目出たき人』『友情』『その妹』など。

出典 旺文社日本史事典 三訂版旺文社日本史事典 三訂版について 情報

367日誕生日大事典 「武者小路実篤」の解説

武者小路 実篤 (むしゃのこうじ さねあつ)

生年月日:1885年5月12日
明治時代-昭和時代の小説家;劇作家;随筆家;詩人;画家
1976年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の武者小路実篤の言及

【新しき村】より

…白樺派の文学者武者小路実篤が提唱した生活共同体の村。1918年宮崎県児湯郡木城村に建設したが,その後,ダム工事で農地の大半が水没することになったため,39年埼玉県入間郡毛呂山町に〈東の村〉を建設した。…

【お目出たき人】より

武者小路実篤の中編小説。1911年(明治44)洛陽堂刊。…

【その妹】より

武者小路実篤の戯曲,5幕。1915年(大正4)《白樺》に発表。…

※「武者小路実篤」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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