水論(すいろん)(読み)すいろん

日本大百科全書(ニッポニカ) 「水論(すいろん)」の意味・わかりやすい解説

水論(すいろん)
すいろん

「みずろん」ともいう。個人対個人、集落(群)対集落(群)の間におこった用水や悪水をめぐる争論のこと。適度の水を必要とする稲作農業と深く関係していた。律令制(りつりょうせい)下では用水が国家の支配下に置かれ、造池造溝や築堤も国家の主導のもとに行われた。荘園(しょうえん)制下では私有化した用水をめぐって、荘園間で熾烈(しれつ)な争いが展開された。1235年(嘉禎1)の山城国(やましろのくに)薪園(たきぎのその)(石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう)領)対大住庄(おおすみのしょう)(南都興福寺領)、1241年(仁治2)の紀伊国名手(なて)庄(高野山(こうやさん)領)対丹生屋(にうのや)村(粉河寺(こかわでら)領)、1418年(応永25)の山城国上久世(かみくぜ)庄(東寺(とうじ)領)対下方諸庄、などと事例は多く、朝廷も鎌倉・室町両幕府もその調停にかかわった。新規の用水施設の建造、番水、井料などその原因はさまざまであった。

 近世石高(こくだか)制下でも村落間の用水をめぐる争論は頻発したが、江戸幕府は積極的にその裁決にあたらず、近隣の村役人などに命じ仲裁させた。仲裁の条件は同時に用水慣行の成立を意味していたが、その慣行が破棄され争論が再燃したこともしばしばあった。小河川に堰(せき)を設けて用水源とした場合には、集中的な降雨によって上流域に悪水がたまり、緊急に排除する必要に迫られ、ときに用水を必要とする下流域と対立した。これが用悪水争論である。大小の河川の左右に立地する村落間でも悪水争論が激発した。道路や小堤の上下間でも対立が生じ、切流し騒動に発展した。これらの場合にも仲裁がなされ、悪水慣行が成立した。「我田引水」のみならず「我田排水」も現実に存在していたのであり、近代的な用排水施設が完備するまで、水論は繰り返された。

[大谷貞夫]

『亀田隆之著『日本古代用水史の研究』(1973・吉川弘文館)』『宝月圭吾著『中世灌漑史の研究』(1950・目黒書店)』『喜多村俊夫著『日本灌漑水利慣行の史的研究 総論篇・各論篇』(1950、73・岩波書店)』『大谷貞夫著『近世日本治水史の研究』(1986・雄山閣出版)』

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