氷見(市)(読み)ひみ

日本大百科全書(ニッポニカ) 「氷見(市)」の意味・わかりやすい解説

氷見(市)
ひみ

富山県北西部にある市。能登(のと)半島基部に位置し富山湾に面す。1952年(昭和27)氷見町と余川(よかわ)、碁石(ごいし)、八代(やしろ)の3村が合併して市制施行。1953年窪(くぼ)、宮田、上庄(かみしょう)、熊無(くまなし)の4村、1954年神代(こうじろ)、仏生寺(ぶっしょうじ)、布勢(ふせ)、十二町(じゅうにちょう)、速川(はやかわ)、久目(くめ)、阿尾(あお)、藪田(やぶた)、宇波(うなみ)、女良(めら)の10村を編入し旧氷見郡全域が市域となった。JR氷見線と国道160号、415号が通じる。能越自動車道が通り、4インターチェンジがある。第三紀層の丘陵性山地が富山湾に向かって緩斜し、「胡桃(くるみ)の大地すべり」で知られる慢性的な地すべり地帯である。この山地を刻んで阿尾川、上庄川、余川川、仏生寺川などが東流して富山湾に注いでいる。海岸は氷見市街地を中心にして南部は砂丘地帯、北部の灘浦(なだうら)は上庄川などの河口を除いて断崖(だんがい)をなしている。仏生寺川下流域はかつては布勢の海とよばれる大きな潟湖(せきこ)であったが、近世に干拓され、わずかに十二町潟(がた)が残り、周辺は水郷地帯となっている。富山湾は大陸棚が比較的発達し、ブリなどの定置網漁業が盛んで、中心の氷見は古くからの漁村、また市場町であった。周辺の農山村では江戸時代から熊無の箕(み)づくりや竹細工、十二町や藪田の藁(わら)工品、阿尾・藪田・女良の鏡研ぎなどの副業があり、小間物行商や大工の出稼ぎも多かった。産業は漁業、水産加工業、農業が主体で、窪にはコマツ小松製作所)の工場がある。沿岸部は能登半島国定公園に属し、朝日山公園がある。国の史跡に縄文期の朝日貝塚、大境洞窟(おおざかいどうくつ)住居跡、柳田布尾山古墳、国の天然記念物に十二町潟オニバス発生地、飯久保の瓢箪石(いくぼのひょうたんいし)などがある。朝日山東麓(とうろく)の上日寺(じょうにちじ)は例祭のごんごん祭りで知られる。また境内の巨木イチョウ(上日寺のイチョウ)は国指定天然記念物。面積230.54平方キロメートル、人口4万3950(2020)。

[深井三郎]

『『氷見市史』(1963・氷見市)』『『氷見市史』全10巻・別巻1(1998~2007・氷見市)』


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