改訂新版 世界大百科事典 「洞窟美術」の意味・わかりやすい解説
洞窟美術 (どうくつびじゅつ)
cave art
art pariétal[フランス]
洞窟内部の壁や天井に描かれ刻まれた彩画や刻画。洞窟壁画は一般に後期旧石器時代に限定されるが,メラネシアのトロブリアンド諸島のキタバKitava島のような例外がある。また,岩庇が低く長く張り出した岩陰に施されたものを洞窟美術に含める場合もある。
彩画や刻画が施された後期旧石器時代の洞窟には大小があり,ラスコーやフォン・ド・ゴームのあるフランス南西部ドルドーニュ地方の洞窟は比較的小さく,また石灰岩の岩盤は軟らかいので彫りの深い線刻画が発達した。これに反し,ニオーのあるピレネー山脈やペシュ・メルルのあるロート地方の洞窟はひじょうに大きく,その岩盤はジュラ紀層のかたい石灰岩なので線刻画の彫りは浅くなっている。
洞窟美術はすべて日光の通らない奥所に描かれており,ニオーでは入口から約770mの地点から壁画がはじまる(他の洞窟では同様に,エブーEbbouは520m,ラ・ボーム・ラトローヌLa Baume-Latroneは237m,ペシュ・メルルは410m,ラバスティードLabastideやエチュベリEtcheberriは180m)。旧石器時代の人々が洞窟を住居に用いた場合,日光のさしこむ入口付近に住み,洞窟の奥にはけっして住まなかったから,壁画は住居を飾るためのものではなく,また狩猟の余暇の手すさびでもなかった。それらは動物の捕獲とその繁殖を願う呪術的な目的から描かれたと考えられる。その理由として次のような点があげられる。牛,馬,バイソン,鹿,ヤギなど旧石器時代人が好んで捕獲し食べた動物ばかりが描かれ,山川草木などの自然現象や,容易にとれる魚,貝,木の実などの表現がないこと。しかもこれらの動物は肉付きのよい成熟した姿であらわされ,とくに身重の雌が好んで描かれたこと。それとは逆に動物の殺害を意味する,矢や槍を身にうけた動物の描出が多いこと。まれにあらわされる人物像は,必ず半人半獣の仮装した呪術師の姿をとること。
洞窟壁画は年代的に様式の変化があり,オーリニャック期の彩画は輪郭線に重点をおく素描で,次のソリュートレ期には遺作がなく,マドレーヌ期に再び素描から出発しなおす。しかし徐々に線に肥瘦と抑揚が出てきて,線影の手法が用いられるようになり,やがて平塗りや陰影のぼかしが行われる。そして2色以上の絵具を混ぜたり塗りわけたり強弱をつけたりする。マドレーヌ期後期のアルタミラやフォン・ド・ゴームの壁画がそれである。線刻画の展開は,上述の彩画のそれに準じるが,その最盛期はマドレーヌ期中期以後である。
→岩面画 →先史美術 →フランコ・カンタブリア美術
執筆者:木村 重信
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報