JR平泉駅の北方約六〇〇メートルの地に位置する。藤原秀衡が山城宇治平等院を模して建立したと伝える寺院で、国指定特別史跡。「吾妻鏡」文治五年(一一八九)九月一七日条所収の寺塔已下注文に「一、無量光院号新御堂事 秀衡建立之」とあり、本尊は丈六阿弥陀仏、院内荘厳はことごとく平等院を模し、堂内の四壁扉には観無量寿経の大意が図絵され、秀衡が自らの狩猟の図を描いたという。無量光院の北方には平泉館、東門には秀衡の私邸
昭和二七年(一九五二)発掘調査が行われ、その全容がほぼ明らかになった。境内は土塁によって画され、東西約二七三メートル・南北約二四三メートル。東方・西方・北方には土塁が残り、北から西方にかけてはその外側に堀跡も残されている。苑池の形式は広い池の中に本堂・翼廊の建つ大型の中島があり、その前面に平等院にはみられないもう一つの中島を配し、この中心線上に本堂・中島・東門を結ぶ橋を架けている。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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