日本歴史地名大系 「牛島村」の解説
牛島村
うしじまむら
京都南禅寺領
牛島村
うしのしまむら
現鴨島町域の北東端、東流する吉野川の南岸に位置し、東は
牛島村
うしじまむら
牛島村
うしじまむら
神通川の下流西岸、愛宕村のやや北の低地にある。村名はかつて神通川中の小島で形が牛に似ていたことに由来するという(婦負郡志)。婦負郡に属し、寛永一六年(一六三九)以降富山藩領。慶長一七年(一六一二)の知行方目録(北徴遺文)によると、前田利長は婦負郡牛島村の六石余など都合一千石を前田長時(加賀藩家臣前田長種の次子)に与えている。
牛島村
うしじまむら
牛島村
うしじまむら
牛島村
うしじまむら
西境を
近世は小田原藩領であるが、瀬戸文書の「万日記」元禄一〇年(一六九七)五月の項に「鵜殿知行所牛嶋村ニ有之候」とあり、翌一一年の項では「牛島村一部」を同知行所としている。村内は東西両組に分れ、元文三年(一七三八)の村々入会山請証文帳(県史五)に「牛嶋村両組」、明和三年(一七六六)の商人書上帳(井上文書)に「両牛島村」とあるのは、旗本鵜殿氏支配地も小田原藩に編入された事実を示すものと思われる。
牛島村
うしじまむら
牛島村
うしじまむら
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報