瓢山古墳(読み)ひようたんやまこふん

日本歴史地名大系 「瓢山古墳」の解説

山古墳
ひようたんやまこふん

[現在地名]奈良市佐紀町

猫塚ねこづか古墳の北方に位置する南向きの前方後円墳である。大正二年(一九一三)採土作業のため前方部の西側が破壊され、また後円部中央にもかなり大きな盗掘孔がある。埋葬施設などの詳細は不明であるが、後円部の陥没穴より竪穴式の墓壙が推定され、また前方部中央から採土作業の時、短径六〇センチ、長径一メートルの長円形の粘土槨が見付かり、内部から碧玉製の琴柱形石製品三個が出土したと伝えられている。外部施設として葺石がみられ、埴輪円筒も発見されている。

古墳は緑地保全と古墳保護の主旨により、県下で最初に買収され、その整備の資料とするため昭和四八年(一九七三)七月より調査が実施された。


山古墳
ひようたんやまこふん

[現在地名]安土町宮津

きぬがさ山より北西へ延びる支脈の尾根上、標高一一四・八メートルの地点にあり、周辺平野部との比高は約二五メートル。県下最大の前方後円墳で、国指定史跡。前方部を平野部側の北西に向け、主軸長さ一六二メートル、後円部径九〇メートル、高さ一八メートル、前方部幅七〇メートル。葺石・普通円筒・壺形土器・特殊円筒型埴輪を有し、周溝はない。昭和一〇年(一九三五)と翌一一年に発掘調査が行われた。前方部で古墳の主軸に並行した二基の箱式棺が発見され、石釧三個のほか、勾玉・玻璃玉・丸玉・土師器底部が出土している。


瓢山古墳
ひさごやまこふん

[現在地名]庄原市本町 上野山

庄原市街地東方の上野うえの池と西城さいじよう川の間に位置する丘陵地にある前方後円墳。全長三六メートル、後円部径二二メートル、前方部幅一七・五メートル、後円部の高さ四メートルで、墳丘には葺石・埴輪がめぐらされる。未発掘であるが、五世紀のものと推定される。県指定史跡。

当古墳の北東、小用およう町の広政ひろまさ古墳群から西の掛田かけだ町の旧寺ふるでら古墳群の間には、西城川に沿って東西約四キロにわたって丘陵地が続き、前期から後期までの古墳多数が散在するが、そのなかに当古墳など数基の前方後円墳も含まれる。


山古墳
ひようたんやまこふん

[現在地名]東大阪市瓢箪山町

生駒山西麓の標高約一〇メートルの低地に位置し、古墳の西側に瓢箪山稲荷神社が鎮座。南北に主軸を置く長さ五〇メートルの双円墳と考えられる。北丘には南西方向に開口する横穴式石室があり、玄室は幅二メートル、長さ二・四メートル、羨道は幅〇・八メートル、長さ四・九五メートル。南丘には天井石と考えられる石材が露出しているが、開口していないため詳細は不明。また神社拝殿下にも石室があるといわれる。貞享五年(一六八八)の四条村古絵図(横内家蔵)には「旧跡字大塚」と記され、もとは大塚とよばれたらしいが、瓢箪形の山を描いたわきには「瓢箪山」「いなり」とも記され、古くから稲荷社が祀られ瓢箪山ともよばれていたことがわかる。


山古墳
ひようたんやまこふん

[現在地名]三宅町大字伴堂

高山たかやま古墳の南西一三〇メートルにある前方後円墳。墳丘上に白木大明神を祀るが、水田中の古墳としては比較的よく原状を保つ。墳丘は南西面し全長三五メートル、後円部径一三・五メートル、前方部幅一四メートルと計測されている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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