真岡(読み)モオカ

デジタル大辞泉 「真岡」の意味・読み・例文・類語

もおか〔まをか〕【真岡】

栃木県南東部の市。鬼怒川東岸にあり、江戸時代代官所が置かれた。真岡木綿産地。平成21年(2009)に二宮町編入。人口8.2万(2010)。もうか。
真岡木綿」の略。

まおか〔まをか〕【真岡】

ロシア連邦サハリン州樺太)の都市ホルムスクの、日本領時代の名称

もうか〔まをか〕【真岡】

もおか

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精選版 日本国語大辞典 「真岡」の意味・読み・例文・類語

もおかまをか【真岡】

  1. [ 1 ] 栃木県南東部の地名。鬼怒川の東岸にある。中世以降、河港町・城下町として発達。明治時代までは真岡木綿の集散地として知られた。金属・機械などの工業が行なわれる。昭和二九年(一九五四)市制。
  2. [ 2 ] 〘 名詞 〙もおかもめん(真岡木綿)」の略。
    1. [初出の実例]「もふかのあさのは染の単物に、くろさや帯」(出典:洒落本・卯地臭意(1783))

まおかまをか【真岡】

  1. [ 一 ]もおか(真岡)
  2. [ 二 ] サハリン(樺太)南部の都市ホルムスクの旧日本名。

もうか【真岡】

  1. もおか(真岡)

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改訂新版 世界大百科事典 「真岡」の意味・わかりやすい解説

真岡[市] (もおか)

栃木県南東端の市。2009年3月旧真岡市が二宮(にのみや)町を編入して成立した。人口8万2289(2010)。

真岡市南端部の旧町。旧芳賀郡所属。人口1万6640(2010)。茨城県と接する。町域は東西に細長く,東端は八溝(やみぞ)山地の縁辺部にあたる。小貝川,五行(ごぎよう)川,鬼怒川が南流し,沿岸低地に水田が広がる。中心集落は真岡鉄道線の駅がある久下田(くげた)で,戦国時代後期に水谷(みずのや)氏が築いた久下田城の城地の一画であった。米作のほか,ビニルハウスによるイチゴ栽培が盛んで,京浜市場に出荷される。近年,電子部品,鉄鋼などの工場が建設された。物井には小田原藩主大久保氏の分家,宇津氏の桜町陣屋跡(史)があるが,1822年(文政5)二宮尊徳は大久保氏に請われてこの陣屋に入り,荒廃していたこの地の復興に尽力した。尊徳がつくったという堰や穴川用水が残されている。町名もこの遺業にちなむ。高田には真宗高田派専修(せんじゆ)寺があり,8月1,2日の顕智会式は高田の夜祭として有名である。
執筆者:

真岡市中北部の旧市。1954年市制。人口6万6362(2005)。市域は鬼怒川東岸低地から真岡台地,五行川,小貝川沿岸低地を経て八溝山地にかかっている。中世には関街道に沿う街村であったが,1577年(天正5)芳賀氏が台地東端に築城してから発展し,近世には江戸幕府直轄地となった。近世から明治期まで鬼怒川東岸の河港を外港とした地方物資,とくに真岡木綿の集散地として繁栄した。1912年国鉄真岡線(現,真岡鉄道)が開通した後も農産物の集散地としてにぎわい,県南東部の行政・経済の中心となってきた。1962年首都圏整備法に基づく〈都市開発区域〉に指定され,65年から西部の台地に工業団地,住宅用地が造成された。自動車工業の関連企業を中心に機械,化学工業などが進出し,県内屈指の工業都市に発展した。北関東自動車道のインターチェンジがある。
執筆者:

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「真岡」の意味・わかりやすい解説

真岡(市)
もおか

栃木県南部にある市。1954年(昭和29)真岡町と大内、山前(やまざき)、中(なか)の3村が合併して市制施行。2009年(平成21)芳賀(はが)郡二宮町(にのみやまち)を編入。国道121号、294号、408号が走り、北関東自動車道の真岡インターチェンジがある。鉄道は第三セクターによる真岡鉄道(1988年4月開業)が通じ、市内には真岡駅はじめ6駅がある。市域は西部の鬼怒(きぬ)川東岸低地から真岡台地、五行(ごぎょう)川、小貝(こかい)川沿岸低地を経て八溝(やみぞ)山地にかかる。近世には江戸幕府直轄地の真岡代官所の所在地、地方物資の集散地として発展し、とくに明治時代まで真岡木綿の取引所として有名であった。農業は米作、畜産を中心に、イチゴ、ナス、トマト、ラッカセイ、メロンなどの園芸作物も多い。首都圏の都市開発地域に指定され、1965年からは西部の台地に複数の大きな工業団地が造成された。隣接する上三川(かみのかわ)町の自動車工業関連企業を中心に、高度成長期と重なって有力企業の機械、化学、金属など約60社が進出して急速な工業化が行われた。真岡駅西部には、これらの進出企業の住宅団地が造成された。駅周辺の区画整理事業により、大型店が進出して飲食店街も形成され、県南東部の商業の中心地となりつつある。市域南部、旧二宮町地区に桜町陣屋跡(国指定史跡)がある。二宮尊徳が20年以上居住、尊徳仕法普及の中心地となった。面積167.34平方キロメートル、人口7万8190(2020)。

[村上雅康]

『『真岡の歴史』(1978・真岡市)』『『真岡市史』全8巻(1984~1988・真岡市)』



真岡
まおか

南樺太(からふと)(サハリン)南西岸、日本海に面する港湾都市。ロシア連邦ではサハリン州に属し、ホルムスクХормск/Hormskとよんでいる。人口3万7300(2003推計)。製紙、食肉加工、水産加工などの工場や、大規模な漁港と商港があり、260キロメートル離れた対岸のシベリア側、ソビエツカヤ・ガバニ北方の港ワニノとの間に鉄道フェリー、北海道小樽(おたる)港との間に定期船が就航する。船員養成所や、近郊には太平洋水産科学センターがある。18世紀後半以降、わが国の松前藩や江戸幕府による漁場開拓事業があり、日本・ロシア人雑居地、ロシア領を経て、1905~45年(明治38~昭和20)は日本領。この間、水産加工、製紙などの工場が建設され、樺太庁鉄道西海岸線(1943年より国鉄樺太西線)と真岡線(真岡―豊原(とよはら)間84キロメートル)の分岐点として繁栄し、真岡支庁の支庁所在地であった。当時の人口は1万9193(1942)。

[渡辺一夫]

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百科事典マイペディア 「真岡」の意味・わかりやすい解説

真岡[市]【もおか】

栃木県南東部の市。1954年市制。鬼怒川中流の東岸を占める。中心市街は16世紀後半,芳賀氏が築城してから発展,近世から明治末期までは真岡木綿の集散地として栄えた。宇都宮市の南東に接し,真岡鉄道,北関東自動車道が通じる。西部一帯は大規模工業団地が立地,機械・化学・金属製品,自動車部品などを生産。周辺ではトマト,メロン,イチゴなどの栽培が行われる。2009年3月芳賀郡二宮町を編入。東日本大震災で,市内において被害が発生。167.34km2。8万2289人(2010)。

真岡[駅]【もおか】

栃木県真岡市,真岡鉄道が通じる本社所在地の駅。1912年に国鉄真岡線の駅として開設,1988年に第三セクター鉄道として再出発後は同鉄道の核となった。1994年からはSL列車の運転が開始され,1997年には駅舎が蒸気機関車のデザインを強く意識した非常にユニークなものに建て替えられて話題となり,関東の駅百選にも選定された。構内には車庫が併設され,1999年に追加されて2両となった蒸気機関車も普段はこの駅を基地としている。その後,真岡市が駅全体を再整備したSLミュージアムを計画,郊外の井頭公園で展示されていた別のSLを移設の上,圧縮空気による駅構内での自走が可能なように徹底的修理を施し2013年,SLキューロク館が開設された。

真岡【まおか】

ホルムスク

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「真岡」の意味・わかりやすい解説

真岡
まおか

「ホルムスク」のページをご覧ください。

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世界大百科事典(旧版)内の真岡の言及

【ホルムスク】より

…人口5万0300(1993)。日本名は真岡(まおか)。18世紀末,松前藩によって樺太西岸の主要漁場として開かれ,幕末には幕府の樺太経営の一拠点であった。…

※「真岡」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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