デジタル大辞泉
「祐天」の意味・読み・例文・類語
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ゆうてんイウテン【祐天】
- 江戸中期の浄土宗の僧。字は愚心。号は明蓮社顕誉。正徳元年(一七一一)増上寺第三六代を継ぎ、大僧正となった。目黒の祐天寺は弟子祐海が師を開山として創建したもの。寛永一四~享保三年(一六三七‐一七一八)
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祐天
没年:享保3.7.15(1718.8.11)
生年:寛永14.4.8(1637.5.31)
江戸中期の浄土宗の僧。生き仏として熱狂的に崇拝されていた。陸奥国岩城郡(福島県いわき市)生まれ。新妻重政の子。12歳のときに檀通について得度し,そのもとで修学する。のちに諸国修行の旅に出た。その間に怨霊を調伏したり名号を授与したりして,念仏の現世利益を説き,布教に専念した。このことに関しては,『祐天大僧正利益記』に詳しい。将軍徳川綱吉の母の桂昌院の帰依を得て,元禄12(1699)年に幕命により大巌寺住持に抜擢される。宝永1(1704)年に伝通院住持となり,江戸城に招かれ法門談義を行った。このころから大奥での帰依がさかんになったようである。正徳1(1711)年に増上寺36世となり,大僧上に任ぜられた。将軍徳川家宣の病気に際しては特に請ぜられて,家宣の善知識にもなった。天英院,法心院,蓮浄院らに血脈を与えて,格別の帰依を得る。幕府の行事に参加して,護持僧として振る舞った。また六字名号を書いて頒布して庶民を教化し,奈良の大仏,鎌倉の大仏を修補し,多くの廃寺を復興したことでも知られている。門弟の祐海が祐天の御影堂として建立したのが,祐天寺である。祐天寺の祐天の木像は,例年3月1日に江戸城に運ばれ,節供後下城するという慣習があった。<参考文献>『祐天大僧正利益記』,祐全『祐天寺記録』,『徳川実紀』,高田衛『江戸の悪霊祓師』
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祐天
ゆうてん
(1637―1718)
江戸中期の浄土宗の僧。明蓮社顕誉(みょうれんじゃけんよ)と号し、字(あざな)を愚心(ぐしん)という。磐城(いわき)国(福島県)新妻重政(にいづましげまさ)の子という。伯父休波(きゅうは)に従い江戸に出て、池徳院檀通(ちとくいんだんつう)(?―1674)に師事し修行する。のち諸国を遊歴して人々を教化し、名利を求めることなく念仏布教に専念した。とくに質素な姿の布教と六字名号(みょうごう)の授与は人々の尊信を集めた。その後、下総(しもうさ)(千葉県)生実(おゆみ)の大巌寺(だいがんじ)、常陸(ひたち)(茨城県)飯沼弘経寺(いいぬまぐぎょうじ)、江戸・小石川の伝通院(でんずういん)の住持を歴任、この間に将軍徳川綱吉(とくがわつなよし)の母桂昌院(けいしょういん)の帰依(きえ)を受けた。1711年(正徳1)増上寺36世を命じられる。その法門談義は、将軍徳川家宣(いえのぶ)・家継(いえつぐ)をはじめ大奥の帰依をも集めた。将軍から庶民に至るまで広く尊崇され、生仏とたたえられた。目黒の祐天寺は、高弟祐海(ゆうかい)(1683―1761)が祐天を開山として1718年(享保3)に建立したその御影堂(みえいどう)である。
[阿川文正 2017年10月19日]
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祐天
ゆうてん
[生]寛永14(1637).4.8.
[没]享保3(1718).7.15.
江戸時代中期の浄土宗僧。磐城 (福島県) の人。字は愚心。明蓮社顕誉と号した。 12歳で出家して以来,寺の住職となることを望まず修行に励んだ。貞享3 (1686) 年 50歳で諸国を遍歴,数年後に隠遁したが,将軍家の帰依篤く,正徳1 (1711) 年に増上寺第 36代貫首を継いだ。徳高く上下の尊信を受けた。受けた布施はすべて廃寺の復興にあて,奈良の大仏殿,鎌倉の大仏の補修は著名。死後,庵居跡に祐天寺 (東京都目黒区) が建てられた。
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祐天 ゆうてん
1637-1718 江戸時代前期-中期の僧。
寛永14年4月8日生まれ。浄土宗。江戸増上寺の檀通(だんつう)のもとで出家。のち各地で念仏布教に専心し,尊崇をあつめる。桂昌院,徳川綱吉,家宣(いえのぶ)らの帰依(きえ)をうけ,小石川伝通院の住持などをへて,正徳(しょうとく)元年(1711)増上寺住持。鎌倉大仏(高徳院)を中興した。享保(きょうほう)3年7月15日死去。82歳。陸奥(むつ)磐城(いわき)(福島県)出身。俗姓は新妻。字(あざな)は愚心。号は明蓮社顕誉。
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祐天 (ゆうてん)
生年月日:1637年4月8日
江戸時代前期;中期の浄土宗の僧
1718年没
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
世界大百科事典(旧版)内の祐天の言及
【祐天寺】より
…明顕山善久院と号する。1719年(享保4)増上寺36世祐天(1637‐1718)が晩年庵居して寂した地に高弟祐海が創建し,祐天を開山とした。祐天は将軍徳川綱吉・家宣,また綱吉の母桂昌院をはじめ大奥の帰依あつく,庶民の信仰も集めた高僧であった。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」