江戸中期の浄土宗の僧。明蓮社顕誉(みょうれんじゃけんよ)と号し、字(あざな)を愚心(ぐしん)という。磐城(いわき)国(福島県)新妻重政(にいづましげまさ)の子という。伯父休波(きゅうは)に従い江戸に出て、池徳院檀通(ちとくいんだんつう)(?―1674)に師事し修行する。のち諸国を遊歴して人々を教化し、名利を求めることなく念仏布教に専念した。とくに質素な姿の布教と六字名号(みょうごう)の授与は人々の尊信を集めた。その後、下総(しもうさ)(千葉県)生実(おゆみ)の大巌寺(だいがんじ)、常陸(ひたち)(茨城県)飯沼弘経寺(いいぬまぐぎょうじ)、江戸・小石川の伝通院(でんずういん)の住持を歴任、この間に将軍徳川綱吉(とくがわつなよし)の母桂昌院(けいしょういん)の帰依(きえ)を受けた。1711年(正徳1)増上寺36世を命じられる。その法門談義は、将軍徳川家宣(いえのぶ)・家継(いえつぐ)をはじめ大奥の帰依をも集めた。将軍から庶民に至るまで広く尊崇され、生仏とたたえられた。目黒の祐天寺は、高弟祐海(ゆうかい)(1683―1761)が祐天を開山として1718年(享保3)に建立したその御影堂(みえいどう)である。
[阿川文正 2017年10月19日]
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…明顕山善久院と号する。1719年(享保4)増上寺36世祐天(1637‐1718)が晩年庵居して寂した地に高弟祐海が創建し,祐天を開山とした。祐天は将軍徳川綱吉・家宣,また綱吉の母桂昌院をはじめ大奥の帰依あつく,庶民の信仰も集めた高僧であった。…
※「祐天」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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