竹野郷(読み)たかのごう

日本歴史地名大系 「竹野郷」の解説

竹野郷
たかのごう

古代の美含みくみ郡竹野郷(和名抄)を継承する国衙領。「但馬考」は現竹野町のほぼ全域(旧気多郡地区を除く)を竹野郷とする。弘安八年(一二八五)の但馬国太田文には「竹野郷 九拾一町六反」とみえ、「地頭安居院左衛門督法印」「公文右衛門入道信道 御家人」と注記があり、また「不出注文之間、任古帳註進之」と記される。地頭は近江比叡山延暦寺の関係者か。公文は国御家人。仁治元年(一二四〇)に次いで文永八年(一二七一)にも、当郷は延暦寺講堂の修造料所に充てられている(天台座主記)

南北朝時代以降、当郷内の田畠等が当郷内の寺々に寄進されており、正平一三年(一三五八)竹野郷弥吉名内六〇貫文の下地大乗だいじよう寺道場に寄進され(同年四月三日「左衛門少尉直連寄進状」興長寺文書、以下断りのない限り同文書)、貞治六年(一三六七)長富・月成両名に替地されたあと(同年三月日沙弥道全寺領寄進状)、康暦元年(一三七九)六〇貫文の下地は再び弥吉名内として興長こうちよう寺に寄進されている(同年四月七日山名時義下地寄進状)


竹野郷
たかのごう

和名抄」諸本とも文字の異同はなく、訓を欠く。古代の竹野郡と同様に「たかの」と訓ずるのであろう。現田主丸たぬしまる竹野たけのに比定される。遺称地名として中世竹野たかの庄、および近世竹野たけの村が知られる。竹野郡衙の所在郷と推定される。この点は官道沿いに位置し、郡内で筑後国府(現久留米市)により近い地点に設けられているという筑後国における他郡の郡衙の立地条件にもかなっている。具体的には竹野の三明寺さんみようじ付近、竹野屋敷たかのやしきの小字名が残る一帯と推定される。


竹野郷
たかのごう

「和名抄」高山寺本・刊本とも訓を欠く。刊本に郡名は「多加乃」と訓じられ、「延喜式」神名帳に記される「竹野神社」も「タカノ」と訓ずるので「たかの」であろう。竹野郡の郡家の所在地と考えられる。

郷名は古代には他にみえないが、「古事記」にみえる丹波之竹野別・竹野比売、「旧事本紀」にみえる竹野君が郡名あるいは郷名に由来することは疑いない。竹野神社(現竹野郡丹後町)は竹野比売が天照大神を奉斎したのに始まるという伝承をもち、また同社の境内社斎宮社の祭神は竹野比売である。


竹野郷
たかのごう

「和名抄」所載の郷。同書東急本に「多加乃」の訓がある。現竹野たけの町を流れる竹野たけの川の流域に比定される。河口の竹野に式内社鷹野たかの神社があり、「校補但馬考」は鷹野は竹野であり、「古事記」に懿徳天皇の皇子当芸志比古命は多遅麻之竹別の祖とあり、これと所縁の神社であるとする。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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