デジタル大辞泉 「耕雲寺」の意味・読み・例文・類語 こううん‐じ〔カウウン‐〕【耕雲寺】 新潟県村上市門前にある曹洞宗の寺。山号は霊樹山。応永元年(1394)傑堂能勝によって開創。勧請開山は梅山聞本。 出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例
精選版 日本国語大辞典 「耕雲寺」の意味・読み・例文・類語 こううん‐じカウウン‥【耕雲寺】 新潟県村上市にある曹洞宗の寺。山号は霊樹山。応永元年(一三九四)楠木正成の孫、傑堂能勝が創建。開山は梅山聞本(ばいざんもんぽん)。 出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例
日本歴史地名大系 「耕雲寺」の解説 耕雲寺こううんじ 新潟県:村上市門前村耕雲寺[現在地名]村上市門前門前(もんぜん)集落北端の山裾に周囲を鬱蒼とした杉林にかこまれて建つ。霊樹山と号し、曹洞宗。本尊は釈迦如来。応永元年(一三九四)傑堂能勝の開創、開祖はその師梅山聞本。はじめ門前川谷奥の現在元耕雲寺(もとこううんじ)と呼ばれる地にあったという。越後最初の曹洞宗寺院で、直末八〇ヵ寺、孫寺を合せると約八〇〇ヵ寺で県外にも及ぶ。能勝は正平一〇年(一三五五)楠正成の孫として生れ、二五歳の時出家、修行ののち応永元年岩船郡杜沢(ゆずりはざわ)の小嶺にはいり耕雲寺を開いたという。同二二年一二月一八日の梅山聞本置文(龍沢寺文書)には越前龍沢(りゆうたく)寺(現福井県坂井郡金津町)にあった梅山聞本の死後「可令住持法嗣弟子」の第一に「越後耕雲寺 能勝菴主」の名があげられている。 耕雲寺こううんじ 長野県:埴科郡坂城町鼠宿村耕雲寺[現在地名]坂城町南条 新地坂城町南条新地(みなみじようしんち)を東の山麓へ登る奥に位置する。曹洞宗。竜田山と号し、本尊は釈迦如来。寺伝では、寺名は天文二二年(一五五三)武田晴信が命名したものという。江戸初期まで、新地村と横尾(よこお)村の境界にあったが、松代藩へ新地・鼠宿(ねずみじゆく)両村が編入した頃現在の新地に移ったものといわれる。境内は五千三〇〇平方メートル。天正八年(一五八〇)武田勝頼は祠堂銭を取ることと、三軒の在家には、普譜役を免除している(耕雲寺文書)。 耕雲寺こううんじ 北海道:根室支庁根室市弥生町耕雲寺[現在地名]根室市平内町曹洞宗寺院。山号は和田山、本尊釈迦如来。新潟県の斎藤大恵が明治一三年(一八八〇)渡道して根室を布教場所と定め、翌一四年弥生(やよい)町に地蔵堂を創立。和田屯田兵を中心にしだいに信徒数が増加、曹洞宗新寺創立を願出て同二〇年寺号公称が認められた。 耕雲寺こううんじ 長野県:飯田市座光寺村耕雲寺[現在地名]飯田市座光寺座光寺村の東南、天竜川の河岸段丘の中腹に位置。曹洞宗、種月山と号す。本尊は釈迦如来。座光寺氏の居城上野(うえの)城の一角にある。「伊那郡神社仏閣記」によれば、長禄元年(一四五七)、祐雲の開基と伝えられ、古くは青原山と称した。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報