薬売り(読み)クスリウリ

デジタル大辞泉 「薬売り」の意味・読み・例文・類語

くすり‐うり【薬売り】

薬を売り歩くこと。また、その人。「越中えっちゅう富山の薬売り

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精選版 日本国語大辞典 「薬売り」の意味・読み・例文・類語

くすり‐うり【薬売】

  1. 薬売り〈七十一番職人歌合〉
    薬売り〈七十一番職人歌合〉
  2. 〘 名詞 〙 薬を売り歩く人。薬の行商人
    1. [初出の実例]「薬うり。御薬なにか御用候」(出典:七十一番職人歌合(1500頃か)六〇番)

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改訂新版 世界大百科事典 「薬売り」の意味・わかりやすい解説

薬売 (くすりうり)

草根,木皮の薬草類や熊の胆などから精製した売薬の行商人。民間医療の長い経験を経て,秘伝の製造元が成立してきた。なかでも著名な越中富山の薬売の起源は元禄年間(1688-1704)といわれ,近世末には数十種の薬が全国に普及し,藩の最大の物産となり,明治以後さらに盛行した。ほかに奈良県丹波市(たんばいち)(現,天理市)付近,岡山県総社市周辺,新潟県西蒲原地方も,売薬行商本拠地として知られる。これら売薬業の発展は,配置売薬(略して置薬)という特異な販売法の創案による行商組織による。その方法は,行商人が得意先を巡回し,数種の薬を預け置き,任意に使用させ,再度の巡回時に使用済み薬代を徴収し,さらに新薬を交換,補充する掛売制度である。置薬の得意先範囲は一種の営業権を意味する暖簾のれん)価値をもち,懸場(かけば)と呼ばれた。その内容記載名簿である懸場帳は売薬行商の基礎財産で,売買,賃貸,質入の対象にさえなった。明治以降,西洋薬方の導入により製法,経営形態も近代化し,広貫堂,師天堂などの製薬会社が成立した。しかし,懸場組織による販売法はほぼ継承され,都鄙を通じ家庭常備薬として利用者に大きな便益を与えている。売薬の普及は,広告宣伝にくふうがこらされ,曲芸,奇抜な口上(こうじよう)で人寄せをはかり,子どもへの簡易な玩具類をおまけとして携えて歩くなど,子どもの遊びにも影響を与えた。売薬行商は漁民や稼ぎの少ない農民の出稼ぎとしても注目される。
執筆者:

中世,自由通行その他交易上の特権を認められて漢方の諸薬商売に従った行商人が見られ,薬座を形成した。室町時代の職人絵である《七十一番職人歌合》には,〈御くすり何か御用候。人参,かん草,桂心候。ぢんも候〉ということばとともに,千駄櫃(せんだびつ)の紐を解く薬売の姿が描かれている。薬売の源流としては,律令制下,諸国貢進の薬材を収納して,天皇をはじめ諸司,諸臣に諸種の薬品を調進した典薬寮施薬院の薬戸,薬生の商人化が考えられる。《康富記》によれば,1443年(嘉吉3),薬売は施薬院の相計らうところであるとして,施薬院使丹波盛長が,諸薬商売の〈千駄櫃中〉に対し,通物(唐物),軽物など,先例に任せて沙汰すべしと下知し,500疋の任料を取っている。なお,四府駕輿丁座(しふのかよちようざ)のなかにも,諸国の市,郷園での薬品類販売の特権を与えられていた者があった。

執筆者:

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「薬売り」の意味・わかりやすい解説

薬売り
くすりうり

室町末期の16世紀の京都に、おもに舶来の薬種の人参(にんじん)、甘草(かんぞう)、桂心(けいしん)、香料の沈香(じんこう)を量り売りする薬売りがいたが、これはやがて店商(みせあきない)の薬屋・薬種屋となったものであろう。ここにいう薬売りは、江戸中期の18世紀から盛んとなった薬の振り売り、担(にな)い売り、行商のことである。行商には富山、丹波市(たんばいち)(奈良県天理市)、総社(そうじゃ)(岡山県)の売薬、越後(えちご)(新潟県)の毒消し売りなどがあった。地方からの農閑期の男性・女性の出稼ぎが多かった。また、江戸などには、担い売りの定斎屋(じょうさいや)(是斎屋(ぜさいや)。暑気払い、霍乱(かくらん)、痢病(りびょう))、枇杷葉湯(びわのはゆ)(暑気払い)、陀羅尼助(だらにすけ)(気つけ)、藤八五文(とうはちごもん)薬(頭痛、めまい。オランダ伝来の丸薬)、徳兵衛膏薬(こうやく)(あかぎれ)、熊野伝三膏薬(打ち身、切り傷、腫(は)れ物)などがあった。反魂丹(はんごんたん)、歯みがき、むし歯薬、傷薬、腫れ物薬などを売る際に、客寄せに居合抜きなどをする香具師(やし)も薬売りの一つといえよう。近代になっても、家庭の常備薬としての需要は高く庶民を対象に続いている。明治・大正初期には新しい軍服姿で手風琴で歌を歌いながらかぜ薬を売り歩く者もみられた。しかし、こうした薬売りは薬屋の普及によって、その役割は薄れてゆくが、新しい配置売薬の方法は自動車を足として行われてもいる。

[遠藤元男]


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百科事典マイペディア 「薬売り」の意味・わかりやすい解説

薬売【くすりうり】

室町期の職人絵《七十一番職人歌合》にその姿が描かれる。売薬行商は近世に発達し,越中富山を筆頭に大和丹波市付近,備中(びっちゅう)総社周辺,越後西蒲原(かんばら)地方などを本拠とした。特に富山は,〈富山売薬履歴大綱〉によれば元禄期(1688年―1704年)ごろ富山藩主前田正甫の代に,備前僧万代(もず)常閑の伝えた反魂丹の製法により松井屋源右衛門へ調剤を命じたのが始まりとあるが,配置薬(置薬)という独特の販売法によって全国に販路を広げた。越後の毒消売りは慶長年間(1596年―1615年)に始まるといい,漁村の女の出稼ぎとして発達した。
→関連項目行商訪問販売

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世界大百科事典(旧版)内の薬売りの言及

【立山】より

…近世には岩峅寺が20余坊,芦峅寺が姥(うば)堂,閻魔(えんま)堂を中心として30余坊の宗教集落を形成し,主として前者は出開帳,後者は勧進という形態をとって信仰の流布につとめてきた。 芦峅寺の場合は全国的な規模で師檀関係を結び,冬季の檀那回りには,立山権現の護符のほか,立山リンドウ(胃腸薬),湯の草,熊の胆,山人蔘(やまにんじん)など各種の薬を土産としており,それが富山の薬売りの源流をなしたこと,また立山曼荼羅(まんだら)を持ち歩き絵解きを行い,立山地獄のようすや立山権現の霊験を説き聞かせている点は注目される。芦峅系の立山曼荼羅に強調されている姥堂,閻魔堂,そこで行われた布橋灌頂(ぬのはしかんぢよう)の行事は特筆されるべきものである。…

【出稼ぎ】より

…東北・日本海側の単作地帯で多くみられ,農閑期の過剰労働力解消のための副業的出稼ぎである。薬売,茶売などの行商人もこれに類似している。もう一つは,紡績・製糸・織物工業などの農村からの出稼ぎ女工である。…

【針】より

…江戸時代には,針の生産は京都のほか大坂堺筋,江戸京橋・新橋など各地で行われた。なかでも越中(富山)氷見(ひみ)の針は,紙風船とともに富山の薬売りの土産品とされ,サイズの違うもの5本ほどが紙に包んで配られた。また広島の針は,18世紀前半ころから南京針の製法をとり入れて普及したものといわれ,近代に入って,広島市を中心にミシン針も加えて工業的に大量生産され,その大部分は海外に輸出される。…

【訪問販売】より

…化粧品,医薬品,一部の医薬部外品など,顧客の状況に合わせてきめ細かな指導がなされ,販売員は定期的に家庭を訪問して回る。日本で古くから行われている富山の薬売はこの方面のはしりである。実際に商品を持ち歩かず,パンフレットその他を示して売買契約をするものに,乗用車,ベッド,百科事典などがある。…

※「薬売り」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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