西太后(せいたいこう)(読み)せいたいこう

日本大百科全書(ニッポニカ) 「西太后(せいたいこう)」の意味・わかりやすい解説

西太后(せいたいこう)
せいたいこう
(1835―1908)

中国、清(しん)朝第9代の咸豊(かんぽう)帝の妃。第10代同治(どうち)帝の生母。諡(おくりな)は孝欽。清朝末期の約半世紀、事実上、中国を支配した人物。同治帝が6歳で即位すると、慈禧(じき)皇太后として、同じ咸豊帝の皇后の慈安皇太后(東太后)とともに摂政(せっしょう)となる。彼女は男勝りの性格で政治上の野心に燃え、温順な東太后を押しのけて実権掌握恭親王奕訢(きょうしんおうえききん)を重用し、太平天国の乱以後、内乱外圧で動揺する清朝支配の維持に努めた。1875年同治帝の没後、強引に、甥(おい)にあたる幼い光緒(こうしょ)帝をたてて、自ら摂政となり、帝の成人後も政治上の実権を握り続けた。そのため、光緒帝は終始彼女を恐れ、彼女の承諾なしには何事もできなかった。政治的には清朝内の保守派を代表し、戊戌(ぼじゅつ)の変法(1898)を失敗させ、1900年には義和団の農民闘争を利用して列強宣戦布告した。敗れて彼女自身も西安に避難。事件後、清朝権威の失墜するうちに光緒帝死去の翌日に没した。

[倉橋正直]

『徳齢著、太田七郎・田中克己訳「西太后に侍して」(『世界ノンフィクション全集 18』所収・1961・筑摩書房)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

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