護摩壇山(読み)ゴマダンザン

デジタル大辞泉 「護摩壇山」の意味・読み・例文・類語

ごまだん‐ざん【護摩壇山】

和歌山県北東部、田辺市龍神村五百原と奈良県吉野郡十津川村県境にある山。標高1372メートル。日高川水源地。隆起準平原で、山頂に平坦面がある。かつて修験者しゅげんじゃ道場だった。南西麓は高野竜神国定公園に属する。山名の由来は、屋島の戦いに敗れた維盛これもり高野こうやを経て逃れてきたとき、この地で平家命運を占うために護摩いたという伝説から。護摩壇岳。

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日本歴史地名大系 「護摩壇山」の解説

護摩壇山
ごまだんざん

十津川村と和歌山県日高ひだか龍神りゆうじん村の境にあり、奥高野を代表する名峰。標高一三七二メートル。奥高野の最高峰で、野迫川のせがわ村の大字弓手原ゆみてはらが登山口である。かつては真言密教の行場であったとみられるが、源平の合戦に敗れた平維盛がこの地で護摩をたいたという地名伝説もある。護摩壇山の西面に奥高野の名所越戒えつかいの滝、山の北西方ささ茶屋ちやや峠付近に南朝の長慶天皇の皇居跡伝承地がある。

紀伊続風土記」の日高郡に「小森の峰にして日高川の源なり、其流れを小森川といふ、此地に赤坪白坪右衛門ゑつかいと云ふ滝四ツあり、里人伝へてゑもゑつかい殿と云ふ平家の侍身を投けし滝と云ふ、小社三社あり、又御屋敷と唱ふる所あり、平家の落人の住せし所とそ、相伝ふ昔小松惟盛逃れて此に隠れ住み山上に登りて護摩を焼き身の浮沈を卜せしに、煙高くあからさりしより意を決して在田郡奥上湯川村に潜居せしとそ、護摩壇は其護摩を焼きし所なりと云ふ」とある。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「護摩壇山」の意味・わかりやすい解説

護摩壇山
ごまだんざん

和歌山県北東部、田辺(たなべ)市龍神(りゅうじん)村地区と奈良県吉野郡十津川(とつかわ)村の境にある山。標高1372メートル。和歌山県の最高峰とされていたが、2000年(平成12)に発表された再調査の結果、東隣の龍神岳(1382メートル)が最高峰となった。日高川の源流をなす。屋島の戦いに敗れた平維盛(これもり)がこの地に逃れ、護摩をたいて身を占ったという伝説による山名といわれるが、高野山(こうやさん)から峰続きで、大峰山にも近く修験道(しゅげんどう)の行場としての山名である。南西麓(ろく)は高野竜神国定公園に含まれ、森林公園となっている。高野山から龍神温泉へのスカイラインが通る。

[小池洋一]

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改訂新版 世界大百科事典 「護摩壇山」の意味・わかりやすい解説

護摩壇山 (ごまだんざん)

和歌山県と奈良県との境界にある山。標高1372mで,和歌山県の最高峰。中生代の四万十帯からなる。この山から西へ延びる白馬(しらま)山脈には1000m級の峰が連なっている。山の名は平維盛がこの地に逃れ,山上に登って護摩をたいて将来を占ったという伝承に由来する。山頂付近にはモミ,ブナの原生林が分布していたが,高野竜神スカイラインの開通(1980)に伴う山林開発によって,植生が一変しつつある。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「護摩壇山」の意味・わかりやすい解説

護摩壇山
ごまだんざん

和歌山県中南部の田辺市と奈良県南部の十津川村の境にある山。標高 1372m。紀伊山地の一主峰。紀州の屋根と呼ばれ,日高川の水源をなす。屋島の戦いに敗れた平維盛が護摩を焚いて身を占ったところとの伝説がある。高野山との峰続きで,山名は修験道とかかわる。高野龍神国定公園に属する。

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