(読み)ホウ

デジタル大辞泉 「豊」の意味・読み・例文・類語

ほう【豊〔豐〕】[漢字項目]

[音]ホウ(漢) ブ(慣) [訓]ゆたか
学習漢字]5年
たっぷりとある。ゆたか。ふくよか。「豊艶ほうえん豊頰ほうきょう豊潤豊富豊満
作物がよく実る。「豊作豊穣ほうじょう豊年
ゆたかにする。「豊胸術
豊臣とよとみ氏。「豊太閤ほうたいこう織豊時代
とよの国。「豊州/筑豊ちくほう
[名のり]あつ・かた・て・と・とよ・のぼる・ひろ・ひろし・みのる・もり・ゆた・よし
[難読]豊前ぶぜん豊後ぶんご

とよ【豊】

[語素]格助詞「の」を伴って連体詞のように用いるほか、名詞、時に動詞の上に付いて複合語をつくる。十分に満ち足りていること、豊かなことを表し、ほめる意を添える。「の年」「の明け」「あしはら」「御酒みき

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精選版 日本国語大辞典 「豊」の意味・読み・例文・類語

とよ【豊】

  1. 〘 造語要素 〙 ( 助詞「の」を伴って連体詞のように用いるほか、名詞、時に動詞の上に付いて熟して用いられる ) 物事が十分に満ち足りていること、ゆたかなことを表わして、ほめる意を添える。「豊の明り」「豊の年」「豊御酒(みき)」「豊秋津島」「豊寿(とよほ)く」など。
    1. [初出の実例]「隠田(こもりく)の豊(とよ)泊瀬道(はつせぢ)は常滑(とこなめ)の恐き道そ恋ふらくはゆめ」(出典:万葉集(8C後)一一・二五一一)

ほう【豊】

  1. 〘 名詞 〙 易の六十四卦一つ 上卦は震(雷)、下卦は離(火)。震は動を、離は明を表わし、内が明らかで外に向かって動くさま。盛大になる象。雷火豊。

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普及版 字通 「豊」の読み・字形・画数・意味


常用漢字 13画

(旧字)豐
18画

[字音] ホウ
[字訓] ゆたか・さかん・おおきい

[説文解字]
[甲骨文]
[金文]

[字形] 象形
旧字は豐に作り、食器である豆に、多くの禾穀(かこく)を加えている形。供えものの豊盛であることをいう。〔説文五上に「豆の豐滿なるなり」とあり、また豊侯という杯台の義をあげている。粢盛に限らず、すべて豊満盛大なるさまをいう。豊(れい)の字はもと酒のの字であるが、いま常用字に用いる。

[訓義]
1. ゆたか、おおい、みちたる。
2. さかん、しげる。
3. おおきい、こえる、あつい、みのる。
4. たかつき、食器。
5. 杯の台、豊侯。

[古辞書の訓]
名義抄〕豊 ユタカニ・ユタカナリ・オホキニス/豊下 オモフラク 〔字鏡集〕豐 シゲシ・ユタカナリ・オホキナリ・サカリ・オホシ・アツシ

[声系]
〔説文〕に豐声としてなど三字を収める。は〔説文〕七下に「大屋なり」とあり、豊大の意をとる。

[語系]
豐・phiumは同声。は〔易、豊、上六〕に「其の屋を(おほ)いにす」とあり、豊大の意を建物の上に移した字である。封piong、褒・puにも豊大・豊盛の意がある。

[熟語]
豊衣・豊頤・豊偉・豊佚・豊豊殷・豊・豊盈豊穎・豊豊奕豊衍・豊・豊屋・豊恩・豊下豊廈豊夥・豊寡・豊・豊額・豊頷・豊肌・豊給・豊凶・豊頰・豊芸・豊・豊碣・豊・豊倹・豊歉・豊・豊・豊功・豊侯・豊厚・豊耗・豊曠・豊亨・豊国・豊殺・豊歳・豊作・豊侈・豊・豊実・豊爵・豊収・豊羞・豊熟・豊潤・豊昌・豊敞・豊上・豊壌豊穣・豊殖・豊嗇・豊稔・豊悴・豊瘁・豊盛・豊碩・豊・豊積・豊贍・豊羨・豊賤・豊饌・豊膳・豊草・豊大・豊餒豊沢・豊秩・豊珍・豊腆・豊登・豊肉・豊年・豊沛・豊敗豊博・豊薄・豊碑・豊肥豊美・豊備・豊筆・豊富・豊阜・豊膚・豊弁・豊豊・豊厖・豊満豊茂・豊約・豊腴・豊裕・豊予・豊容・豊雍・豊沃・豊利・豊隆・豊麗・豊烈・豊禄
[下接語]
祈豊・凶豊・厚豊・歳豊・珍豊・茂豊・隆豊・禄豊


13画

[字音] レイ・ホウ
[字訓] たかつき

[説文解字]
[金文]

[字形] 象形
豆に禾穀(かこく)を盛(い)れる形。〔説文〕五上に「禮を行ふのなり」とあり、禮(礼)と同声の字。大きな豆(とう)で、たかつき。その豊満なるは豐(豊)という。いま豐の常用漢字を豊とする。

[訓義]
1. たかつき。
2. 礼・(れい)と通用する。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「豊」の意味・わかりやすい解説


ゆたか

広島県南部、豊田郡(とよたぐん)にあった旧町名(豊町(まち))。現在は呉市(くれし)の一地区。旧町域は大崎下(おおさきしも)島の大部分とその北部海上にある三角(みかく)島の東半部からなる。ほかに無人島の中ノ島、平羅(へら)島などを含む。1998年(平成10)大崎下島―平羅島―中ノ島―岡村島(愛媛県)を架橋で結ぶ「安芸灘オレンジライン(あきなだおれんじらいん)」が開通した。旧豊町は1956年(昭和31)御手洗(みたらい)町と久友(ひさとも)、大長(おおちょう)の2村が合併して成立。2005年(平成17)呉市に編入。大崎下島は一峰寺(いっぽうじ)山(449メートル)を最高峰とする丘陵性山地で平地に乏しい。御手洗は広島藩政時代は潮待ち港、風待ち港として知られ、当時の遊女屋若胡子(わかえびす)屋(県の史跡)などが残り、1994年重要伝統的建造物群保存地区に選定された。中心地区の大長には竹原、明石(あかし)を経由する船便があり、また大長ミカンの産地として知られ、他の島への渡り作も行われる。一峰寺山一帯は瀬戸内海国立公園域。

[北川建次]

『『豊町史』(2000・豊町)』


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百科事典マイペディア 「豊」の意味・わかりやすい解説

豊[町]【ゆたか】

広島県南部,豊田郡の旧町。大崎下島の東側大部分と三角(みかど)島の一部を含む。主集落の大長(おおちょう)は温州ミカンの栽培が盛んで,ミカン園は山頂近くに及ぶ。御手洗(みたらい)は古くからの港町で,瀬戸内海航路の潮待ち・風待ち港。町域の一部が瀬戸内海国立公園に属する。2005年3月安芸郡音戸町,倉橋町,蒲刈町,豊田郡安浦町,豊浜町と市へ編入。14.08km2。2936人(2003)。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「豊」の意味・わかりやすい解説


ゆたか

広島県南西部,呉市南東部の旧町域。大崎下島の大部分と三角島の東半部からなる。 1956年御手洗町と久友村,大長村の2村が合体して豊町が発足。 2005年呉市に編入。中心集落の御手洗は江戸時代には広島藩の貿易港,瀬戸内海航路の潮待ち港,中継の港町として発展。大長はミカン栽培が盛んで,耕地のほとんどがミカン畑であり,近くの島へ出作も行なわれている。

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改訂新版 世界大百科事典 「豊」の意味・わかりやすい解説

豊 (ゆたか)

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世界大百科事典(旧版)内のの言及

【文王】より

…この捕囚の間に文王は《易》の六十四卦を整備したという。釈放のあとも文王は徳治によって近隣の諸国を懐(なつ)け,また都を豊(西安市西部)に移した。その子の武王はこうした基礎の上に殷王朝打倒の兵を挙げ,西周王朝を開くことになる。…

【豊璋】より

…生没年不詳。豊章とも書き,また単に豊ともいう。660年の百済滅亡後,王族の鬼室福信と僧の道琛らは周留城(錦江河口付近)を拠点に百済復興をはかり,当時日本に人質となっていた豊璋を迎えて王に立てた。…

【御手洗】より

…西廻海運の潮待ち・風待ち廻船の寄港地。近世初頭の御手洗は豊田郡大長(おおちよう)村に属し,出作りによる農耕が行われていたが,沖乗りの発達とともに船舶の湾内係留が増えた1666年(寛文6)に町割りが行われた。その後も,土地の狭い御手洗では,町人の手で干拓が進んで船宿や商家,倉庫を中心に町並みが広がり,船の発着場の雁木(がんぎ)や,船番所もできて,港町として整備がはかられた。…

※「豊」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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