京都島原,江戸吉原,大坂新町の各遊廓の遊女名を列挙し,彼女たちの容貌や技芸などについて品評した書をいう。江戸前期に述作され出版された。廓中の諸事情や遊興について述べた〈秘伝書〉の類をも含む。文学史では仮名草子に分類している。現存する最古の作品は1655年(明暦1)刊の《桃源集》で,島原の太夫八千代,小藤(こふじ)以下計13人,天神(太夫の次位の遊女)40人の容色を記している。五言絶句の狂詩と狂歌とを掲げる点,文学作品的色彩がすでに認められる。この書以前に,吉原,島原の《露殿(つゆどの)物語》,吉原の《四十二のみめあらそひ》(ともに寛永年間(1624-44)成立,写本),《そぞろ物語》(1641),《あづま物語》(1642)には遊女の評判を記している部分があって,これらは遊女評判記の先蹤(せんしよう)作品と見られている。また,《桃源集》以前にも《左縄(ひだりなわ)》なる島原の評判記のあったことが知られている。1653年(承応2)には島原の《こそぐり草》も刊行されている。《桃源集》の翌年には島原の《ね物がたり》が出版されている。新町の評判記の最初の作品は55年(明暦1)序,56年刊の藤本箕山著《まさりぐさ》である。吉原の評判記の最初の作品といいうるものは1660年(万治3)刊の《高屛風くだ物がたり》である。同年には《吉原かがみ》も刊行されているが,これは《ね物がたり》の本文を用いたもの。
評判記は遊廓の案内書ともいうべき実用性の強い書であるが,《難波物語》《たきつけ・もえくゐ・けしずみ》《難波鉦(なにわどら)》などには文学的形象化が認められる。これがさらに西鶴の《好色一代男》《諸艶大鑑(しよえんおおかがみ)》にとりこまれ,これをのちに浮世草子と呼ぶようになる。また,遊女の名簿としての実用性は八文字屋本などにうけつがれ,吉原では〈細見(さいけん)〉として年々連続して出版された。
執筆者:宗政 五十緒
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
遊女の評判や遊興論を書いたもの。大きく狭義の遊女評判と諸分秘伝解説の2形式に分類され、前者は寛永(かんえい)(1624~44)の初年のころ『つゆ殿(どの)物語』『四十二のみめあらそひ』、後者は『秘伝書』(正保(しょうほう)以前成立か)をその始まりとする。三都の遊里すなわち京の島原、大坂の新町、江戸の吉原についての実用的案内書であるとともに、井原西鶴(さいかく)『好色一代男』(1682)を産み出す母胎とされるように、意識的な文学的形態をもつ娯楽読み物となっているものもある。代表的なものに『あづま物がたり』(1642)、『桃源集』(1655)、『ね物がたり』(1656)、『色道大鏡』(1658)、『なには鉦(どら)』など。
[中野三敏]
『『近世文藝資料5 難波鉦(複製)』(1957・古典文庫)』
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…略地図,家並図,妓楼(ぎろう)名,遊女名,遊女の階級合印(あいじるし),揚代(あげだい),芸者名,年中紋日(もんび)などを記す。遊郭の手引書としては遊女評判記の出版が先行しているが,1642年(寛永19)刊の《あづま物語》は案内書的性格が強いので細見の起りとされる。その後,遊女評判記から遊女の品評文を除き,家並図に妓名を入れた地理的案内書として独立したものが細見として定着した。…
…写本1巻,絵巻物3巻。江戸時代初期の遊女評判記として,もっとも古いものといえる。いちおう物語の形式をとっており,朝顔の露の介という16歳の少年が,元吉原の遊女と親しくなり駆落ちするが,女は捕らえられて連れ戻される。…
…江戸時代に出版された遊女や歌舞伎役者の品評を記した書。遊女のそれは〈遊女評判記〉,役者のそれは〈役者評判記〉と呼ばれる。現存する遊女評判記の最古の作品は1655年(明暦1)刊の京都島原の《桃源集(とうげんしゆう)》,役者評判記の最古の作品は1659年(万治2)京都刊の《野郎虫(やろうむし)》。…
※「遊女評判記」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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