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酒井田柿右衛門(初代) さかいだ かきえもん

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

酒井田柿右衛門(初代) さかいだ-かきえもん

1596-1666 江戸時代前期の陶工。
文禄(ぶんろく)5年9月25日生まれ。酒井田円西の子。父とともに肥前有田(佐賀県)南川原(なんがわら)で磁器をやく。高原五郎七,東島徳右衛門にまなび,呉須権兵衛のたすけをえて,正保4年以前に色絵磁器(赤絵)を創始。その磁器はのちオランダに輸出され,人気をえて伊万里焼興隆の基礎をつくった。寛文6年6月19日死去。71歳。初名は喜三右衛門

出典|講談社
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朝日日本歴史人物事典の解説

酒井田柿右衛門(初代)

生年:生没年不詳
江戸初期の伊万里焼の陶工。初名は喜三右衛門。祖先は筑後国(福岡県)八女郷の豪族上妻氏の一族だったと伝え,文明2(1470)年に酒井田村に住して酒井田姓にしたという。父の酒井田円西は筑後の辺春城落城の際に人質となり,佐賀白石郷の地で土器の製造を始めたと伝える。元和5(1619)年ごろ喜三右衛門と共に有田の曲川村(有田町)に移った。ちょうど有田では磁器の焼造を開始した時期に当たり,彼らも白磁の焼造に加わったらしい。有田の酒井田家に今も伝わる文書『覚』のなかで,ポルトガルのガリアン船(南蛮船)が来航した正保4(1647)年以前に白磁上絵付の技法開発に成功したことを記している。また長崎からオランダに最初に売ったのも自分の事績としている。さらに,金銀の焼き付けの技を工夫して大評判となり,佐賀藩主鍋島光茂に献上して拝謁の栄に浴したともいう。初代柿右衛門の事績は上記の3点だが,特に白磁胎に上絵付する赤絵(京都では錦手といった)法の開発は伊万里焼の発展に大きく貢献した。万治2(1659)年にはオランダの東インド会社がこの伊万里焼に注目して大量の注文を出したので,いよいよ本格的な世界への製品輸出をはじめたのである。現在柿右衛門様式呼ばれる色絵磁器は,このオランダ東インド会社の注文による西欧輸出用の焼物で,これらは柿右衛門の歴代が製造したわけではなく,伊万里焼の陶工たちが総力を挙げて作った製品であったことが,近年の伊万里焼の窯の発掘で証明されている。したがって,初代柿右衛門の作陶の具体像は不明といわねばならない。<参考文献>矢部良明「柿右衛門」(『陶磁大系』20巻)

(矢部良明)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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