屋外に点茶の場所を設定して,茶(薄茶)を供することを野点という。この様式についての記述は《南方(なんぼう)録》が最も詳細で,〈野ガケ(掛)〉また〈フス(燻)ベ茶ノ湯〉と表記し〈野駆〉〈狩場〉での茶会の意としている。同書〈滅後〉の巻に,天正15年(1587)6月に九州征伐のおり博多(箱崎)に駐留した豊臣秀吉に,海浜の松原で千利休が松葉をかきよせ,これを燻(ふす)べて湯を沸かし茶を点(た)てたとあり,さらに同書には九州大善寺山,京都糺森(ただすのもり)での事例が掲げられている。箱崎松原での利休の働きは秀吉の大いに嘉賞するところとなり,山岡宗無(茶匠住吉屋宗無。1534-1603),津田宗及にも〈フスベ茶ノ湯〉を出すことを求めたという。しかし利休は,定法のない野掛は〈定法ナキガユヘニ定法大法アリ〉とし,周囲の景観に目を奪われるため,秘蔵の茶器を出すことをよしとして,安易な野遊びになることを戒めた。この箱崎での着想は,その年10月1日の北野大茶湯(きたのおおちやのゆ)にも引き継がれ,1590年の秀吉の小田原遠征に利休が携行した桐簞笥(旅簞笥)も野点(この場合,芝点(しばだて)とも称する)に使用されたと思われる。いずれにしても利休は,野点に厳しい要求をもっていたが,やがて西鶴の《男色大鑑》に〈野掛振舞〉の用例がみられるように,貞享(1684-88)ころになると,野遊びに飲食物を携え,喫茶もその中に取り込まれるなど,野点の内容が軽装化されたといえよう。今日においても季節や場所の選択に趣向をこらし,屋外での点茶として行われている。
執筆者:戸田 勝久
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屋外で茶を点(た)てること、または野外で行われる茶会のこと。古くは野山に出て遊ぶ野遊びのことを野がけ(懸)と称したため、野点のことを野懸茶といった。また松葉などを燻(ふす)べて湯を沸かし、茶を点てる風情に興趣を感じたところから「ふすべ茶の湯」とも称した。
その最初は、通常、『南方録(なんぽうろく)』に記述される大善寺山(福岡県久留米(くるめ)市)での茶会とされる。それは1587年(天正15)島津氏征伐に出かけた豊臣(とよとみ)秀吉の供をした千利休(せんのりきゅう)が、大善寺山と箱崎の松原(福岡市箱崎)で茶会を催したというもので、松葉をかき寄せてさわさわと湯を沸かし、松風の声、煙の立ち上る体(てい)がおもしろいとして、秀吉は、そのときの利休の働きを大いに褒めたたえたという。利休は、野懸を、単なる野遊びになることを戒め、主客がともに清廉潔白を第一とし、野外であるため客の目が周辺の景に移りやすいので、茶のほうへ心を向けるよう作意することがたいせつであるということを心得として説いた。また野点には定法がないから、点前(てまえ)・道具ともに定法以上の重い法があるということを厳しく求めた。野点の釜(かま)は松の枝から鎖で吊(つ)ったり、3本竹を組んで吊ったりして、茶器一式がコンパクトに収められた旅箪笥(たびだんす)、短冊箱(たんざくばこ)、茶箱(ちゃばこ)、茶籠(ちゃかご)などの携帯用のものを使ってきた。近代に入ってからは、各流儀の家元が立礼(りゅうれい)棚を好み、それを使って野外で点前ができるように工夫されている。ともあれ、各自が創意・工夫をしながら、野外での茶の趣向を凝らすことが野点の茶の楽しみとなっている。
[筒井紘一]
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