金日成(読み)きんにっせい

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

金日成(きんにっせい)
きんにっせい / キムイルソン
(1912―1994)

北朝鮮の政治家。4月15日、平安南道(へいあんなんどう/ピョンアンナムド)大同郡古平面南里(現、平壌(ピョンヤン)市万景台)で金亨稷(こうしゃく)・康磐石夫妻の長男として生まれる。本名は金聖柱。中国東北(満州)へ移住した父母の後を追って1925年入満。華成義塾、吉林毓文(きつりんいくぶん)中学校などに学ぶ。吉林で共産主義運動に参加し、1930年ころ金一星(キムイルソン)を名のる。1931年満州事変が起こるや抗日武装闘争に参加し、各地を転戦。1940年以降、旧ソ連領内のハバロフスク周辺に待避し、ソ連軍特殊工作部隊の青年幹部として訓練された。
 1945年解放後、ソ連軍大尉として帰国。玄俊(げんしゅんかく)暗殺、朝鮮共産党北朝鮮分局創設の功を買われて、同年10月14日ソ連軍によって「金日成将軍」としてデビューさせられた。
 以後、1946年北朝鮮臨時人民委員会委員長、1948年北朝鮮首相、1949年朝鮮労働党委員長となり、北朝鮮の党と国家を掌握。1950年6月朝鮮戦争開始とともに人民軍最高司令官として、「祖国解放戦争」を指導、これがアメリカ・国連軍の介入によって失敗したのち、中国人民志願軍の参戦によって1953年収拾にこぎつけた。1953年以降、朴憲永(ぼくけんえい/パクホンヨン)ら南朝鮮労働党派、金(きんとほう/キムトボン)、崔昌益(さいしょうえき/チェチャンイク)ら延安派、許カイ、朴昌玉らモスクワ派などの反金日成派を徹底的に粛清して、自主路線を創設した。
 1960年代には、中ソ対立の間にたって、ときに親中・親ソの態度をとりつつ、しだいに対中ソ等距離の自主独立路線を確立。これを独創的なチュチェ(主体)思想として、1967年以降、朝鮮労働党・北朝鮮の「唯一思想」と宣言した。
 1972年、新たに「社会主義憲法」を制定して、国家主席、党総秘書、人民軍最高司令官として、権力を一身に独占。1973年から、長男の金正日(きんしょうにち/キムジョンイル)を後継者化する体制を構築し始めた。これは、現代社会主義国家でもきわめて珍しい逆行現象として、世界の耳目を集めた。1980年代に入るや中国・ソ連との関係をそれぞれ改善、北朝鮮国内では「革命の首領」として権威づけられ、彼に対する個人崇拝政策は極限に達した。[玉城 素]
『玉城素著『金日成の思想と行動』(1968・コリア評論社) ▽白峰著『金日成伝』全3巻(1969~1970・雄山閣出版) ▽李命英著『四人の金日成』(1976・成甲書房)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

今日のキーワード

猫バンバン

寒い季節になると多発する、猫が自動車のエンジンルームやボンネットの中に潜り込んでいたのに気付かず発車してしまうという事故を防ぐための動作。自動車を始動させる前にボンネットをバンバンとたたき、猫の鳴き声...

続きを読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android

金日成の関連情報