音阿弥(読み)おんあみ

朝日日本歴史人物事典「音阿弥」の解説

音阿弥

没年応仁1.1.2(1467.2.6)
生年:応永5(1398)
室町中期の能役者。スーパースターの3代目観世大夫で,観世座隆盛のを築いた。実名元重。通称三郎世阿弥四郎の子ながら,世阿弥と同じ三郎を名乗っており,一時は世阿弥の養子だったらしい。将軍になる以前の足利義教に贔屓され,義教が将軍となってからは強力な後援を得て,世阿弥やその長男観世元雅を圧倒した。元雅が早世した翌年の永享5(1433)年に観世大夫となり,将軍主催の新大夫披露の勧進猿楽が糺河原で催された。義教の急死後,一時苦境に立ったが,足利義政の後援を受け第一人者の地位はゆるがなかった。60歳ごろ出家して音阿弥(「おんな」とも呼ぶ)と称し,大夫を長男政盛に譲るが,寛正5(1464)年の糺河原勧進猿楽でも3日間で12番のシテを勤めるなど活躍ぶりは衰えなかった。能作や伝書の著述などしない根っからの人だが,能の普及に果たした功績は大きい。

(松岡心平)

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus「音阿弥」の解説

音阿弥 おんあみ

1398-1467 室町時代の能役者。
応永5年生まれ。世阿弥の弟四郎の子。将軍足利義教(よしのり)の寵愛を受け,永享2年醍醐(だいご)清滝宮の楽頭職につく。世阿弥の長男元雅の若死にで,5年観世大夫となり,糺(ただす)河原勧進猿楽を上演した。長禄(ちょうろく)2年に出家し,長男政盛に大夫職をゆずった。文正(ぶんしょう)2年1月2日死去。70歳。名は元重。通称は三郎。「おんなみ」ともよむ。

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百科事典マイペディア「音阿弥」の解説

音阿弥【おんあみ】

室町時代の能の名人。〈おんなみ〉とも。通称三郎,実名元重。観阿弥世阿弥(おい)。観世流4世(観世家では3世と数える)の大夫。足利義教・義政の後援を得て,世阿弥・元雅父子の一座を圧倒した。作品はないが,能の発展史上重要な人物。
→関連項目観世信光観世元雅

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典「音阿弥」の解説

音阿弥
おんあみ

[生]応永5(1398)
[]応仁1(1467)
室町時代前期の能役者。名は三郎元重。世阿弥の甥にあたり,世阿弥の子元雅の死後将軍足利義教のを受けて,4世観世太夫として活躍。晩年にも義政の庇護のもとに,後小松院の御所での演能などにすぐれた芸を見せた。

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世界大百科事典 第2版「音阿弥」の解説

おんあみ【音阿弥】

1398‐1467(応永5‐応仁1)
大和猿楽観世座のシテ役者で3代目の観世大夫。通称三郎,実名元重(もとしげ)。当時は座名が同様に通用しており,観世三郎元重と呼ぶのが妥当であるが,現今は観阿弥・世阿弥と並べて,法名の音阿弥(通常はおんなみ)で呼ばれることが多い。世阿弥の弟の四郎の子で観阿弥の孫。世阿弥の通称三郎を襲名しており,一時は世阿弥の養子だったらしい。応永20年代から活動記録があり,1427年(応永34)には青蓮院門跡義円(足利義満の子)の後援で勧進猿楽を興行した。

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世界大百科事典内の音阿弥の言及

【世阿弥】より

…1422年ころ60歳前後で世阿弥は出家し,観世大夫の地位を子の観世元雅に譲った。引退したわけではなく,出家後も能を演じ,元雅や次男の七郎元能や甥の三郎元重(のちの音阿弥)らの教導にも熱心だった。子弟の成長で観世座は発展の一途をたどり,彼自身の芸も円熟の境に達し,出家前後が世阿弥の絶頂期であったろう。…

【音阿弥】より

…通称三郎,実名元重(もとしげ)。当時は座名が姓同様に通用しており,観世三郎元重と呼ぶのが妥当であるが,現今は観阿弥・世阿弥と並べて,法名の音阿弥(通常はおんなみ)で呼ばれることが多い。世阿弥の弟の四郎の子で観阿弥の孫。…

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