鏑木清方(読み)カブラギキヨカタ

デジタル大辞泉 「鏑木清方」の意味・読み・例文・類語

かぶらぎ‐きよかた【鏑木清方】

[1878~1972]日本画家。東京の生まれ。本名、健一。水野年方師事し、早くから挿絵を描き、情趣豊かな明治風俗を絵にとどめた。歌川派浮世絵から出て、文学的教養と清新な感覚で、近代的美人画および風俗画分野を切り開いた。随筆家としても有名。文化勲章受章

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精選版 日本国語大辞典 「鏑木清方」の意味・読み・例文・類語

かぶらき‐きよかた【鏑木清方】

  1. 日本画家。東京出身。本名、健一。浮世絵師水野年方に学び、明治・大正の人物、風俗を精細な考証と清新な画風で表現。作品「築地明石町」「三遊亭円朝」など。明治一一~昭和四七年(一八七八‐一九七二

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「鏑木清方」の意味・わかりやすい解説

鏑木清方(かぶらききよかた)
かぶらききよかた
(1878―1972)

日本画家。明治11年8月31日東京・神田に生まれる。『東京日日新聞』『やまと新聞』の創設者で小説家の条野採菊(じょうのさいぎく)の子で、母方の鏑木姓を継いだ。本名健一。東京英語学校に学び、13歳で水野年方(としかた)に入門。清方の雅号は年方から与えられたものである。早くから『人民新聞』や『読売新聞』の小説挿絵を描くほか、泉鏡花や田口掬汀(きくてい)、島崎藤村(とうそん)の作品の挿絵や口絵を担当する。1901年(明治34)風俗画研究を図り烏合会(うごうかい)を結成する。『一葉(いちよう)女史の墓』はその出品作。09年第3回文展に初入選し、第8回文展出品の『墨田河舟遊』、第9回文展出品の『霽(は)れゆく村雨』が連続して二等賞を受賞した。16年(大正5)に金鈴社を結成。また19年の帝展発足以降、審査員を務め、その後も官展を中心に活動した。昭和期の代表作としては、27年(昭和2)の『築地明石町(つきじあかしちょう)』、30年の『三遊亭円朝像』、40年の『一葉』などがある。帝室技芸員、芸術院会員となり、54年(昭和29)に文化勲章を受章した。昭和47年3月2日没。

 清方は、江戸時代以来の浮世絵を、明治の近代的な情趣のうちに、新しい風俗画・美人画へと展開させた作家である。しかしその一方で「卓上芸術」という独自の主張を掲げ、本来挿絵画家・口絵画家として出発したこともあり、『註文帖(ちゅうもんちょう)』(1927)や『にごりえ』(1934)などの物語や小説に取材した小作品も多数制作している。また随筆もよくし『こしかたの記』など、明治・大正の庶民生活を写す貴重な資料になっている。なお、清方は1946年から鎌倉に住んだが、鎌倉市雪ノ下の清方旧居跡に、98年(平成10)鏑木清方記念美術館が開館した。

[玉蟲玲子]

『鏑木清方著『紫陽花舎随筆』(1978・六興出版)』『鏑木清方著『こしかたの記』正続(中公文庫)』『鏑木清方著、山田肇編『随筆集 東京の四季』『随筆集 明治の東京』(岩波文庫)』『山田肇編『鏑木清方文集』全8巻(1979~80・白凰社)』『鈴木進解説『現代日本の美術3 鏑木清方他』(1976・集英社)』『福永武樹解説『現代日本美人画全集2 鏑木清方』(1977・集英社)』『小林忠著『日本画素描大観3 鏑木清方』(1983・講談社)』『塩川京子著『市井の文人鏑木清方』(1991・大日本絵画)』『山田肇監修『鏑木清方画集』(1998・ビジョン企画出版社)』『八柳サエ著『鏑木清方と金沢八景』(2000・有隣堂)』


鏑木清方(かぶらぎきよかた)
かぶらぎきよかた

日本画家。「かぶらききよかた」が正しい読み。

[編集部]

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百科事典マイペディア 「鏑木清方」の意味・わかりやすい解説

鏑木清方【かぶらききよかた】

日本画家。本名健一。戯作者条野採菊の長子として東京に生まれる。14歳のとき水野年方に入門,さし絵画家として名をあげたが,1901年同志と烏合会を結成して本格的絵画に進み,翌年《一葉女史の墓》を発表。また平福百穂結城素明らと作った金鈴社は日本画界に新風を吹き込んだ。江戸の情緒を現代風俗のなかに昇華した,気品のある風俗画が定評を得た。1954年文化勲章。代表作《築地明石町》《三遊亭円朝像》など。《こしかたの記》等の随筆集もある。
→関連項目伊東深水上村松園歌川派吉川霊華美人画

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20世紀日本人名事典 「鏑木清方」の解説

鏑木 清方
カブラキ キヨカタ

明治〜昭和期の日本画家



生年
明治11(1878)年8月21日

没年
昭和47(1972)年3月2日

出生地
東京府神田区佐久間町(現・東京都千代田区)

本名
鏑木 健一

旧姓(旧名)
条野

学歴〔年〕
東京英語学校〔明治25年〕中退

主な受賞名〔年〕
文展特選〔大正6年〕「黒髪」,帝国美術院賞〔昭和3年〕「築地明石町」,文化勲章〔昭和29年〕

経歴
明治24年13歳で浮世絵の水野年方に入門。28年母方の家督を継ぎ鏑木姓となる。新聞、雑誌に挿絵を描き、34年同志と烏合会を結成。35年烏合会に「一葉女史の墓」を出品。大正5年結城素明、松岡映丘らと金鈴社を結成。6年第1回文展に「黒髪」を出品、特選となり、第12回文展に「ためさるゝ日」を出品、以後推薦となる。帝展審査員、帝国美術院会員、帝室技芸員となり、昭和29年文化勲章を受章した。江戸の名残り濃い明治の東京の庶民生活を写した風俗画が得意。「築地明石町」「三遊亭円朝像」などが代表作。文筆にも長じ自叙伝「こしかたの記」(正続)「鏑木清方文集」(全8巻)などがある。

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改訂新版 世界大百科事典 「鏑木清方」の意味・わかりやすい解説

鏑木清方 (かぶらぎきよかた)
生没年:1882-1972(明治15-昭和47)

日本画家。本名健一。東京の神田に生まれる。父は戯作者,小説家で《東京日日新聞》《やまと新聞》創刊者の条野採菊(じようのさいぎく)(伝平,山々亭有人。1831-1901)。1891年,月岡芳年の高弟水野年方(1866-1908)の門に入り,17歳ころから新聞挿絵を描いて知られ,尾崎紅葉,泉鏡花らに親しんだ。1901年大野静方,鰭崎英朋らと烏合会を結成し,浮世絵から本格的絵画への展開をはかり,09年《一葉女史の墓》を発表。文展時代(1907-18)に入って《墨田河舟遊》《ためさるゝ日》などの力作を出品,19年の第1回帝展からは審査員となった。昭和期に入って《築地明石町》(1927),《三遊亭円朝像》(1930),《一葉》(1940)などを発表,単なる風俗画,美人画を超えた粋の美しさ,肖像画における心理描写をみせ,さらに挿絵活動以来の文学性を画面に定着させた。一方,〈卓上芸術〉を唱えて絵巻・色紙形式の《にごりえ》《お夏清十郎物語》などを発表した。後年の《朝夕安居》(1948)は明治下町風俗を愛惜した清方芸術の集大成といわれる。《こしかたの記》をはじめ秀れた随筆集もある。
執筆者:

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「鏑木清方」の意味・わかりやすい解説

鏑木清方
かぶらききよかた

[生]1878.8.31. 東京
[没]1972.3.2. 鎌倉
日本画家。小説家で『やまと新聞』社長の条野採菊の子で,母方の鏑木姓を継いだ。本名は健一。 1891年より江戸浮世絵派の水野年方に師事。早くから新聞,雑誌の挿絵を描き,尾崎紅葉の『金色夜叉』,島崎藤村の『破戒』,泉鏡花の作品の挿絵などで世に知られた。 1901年烏合会を結成,文展への出品を続け,14年第8回文展の『墨田河舟遊』 (東京国立近代美術館) ,次回の『霽れゆく村雨』が連続受賞。 16年平福百穂,松岡映丘らと金鈴社を結成。作品には江戸時代,明治の風俗,人物,肖像画に清新な芸術味を加えた佳作が多い。帝国芸術院会員,帝室技芸員となり,54年文化功労者。同年文化勲章を受章。主要作品『樋口一葉の墓』 (1902) ,『ためさるる日』 (18) ,『築地明石町』 (27) ,『三遊亭円朝像』 (30) ,『にごりえ』 (34) ,『一葉』 (40) 。文筆にも長じ,『築地川』 (34) ,『芦の葉』 (38) ,『こしかたの記』 (61) などの随筆集がある。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「鏑木清方」の解説

鏑木清方
かぶらぎきよかた

1878.8.31~1972.3.2

明治~昭和期の日本画家。東京都出身。本名健一。水野年方(としかた)に師事。1901年(明治34)烏合会,16年(大正5)金鈴社を結成。文展・帝展で受賞を重ね,粋な江戸文化の遺風漂う気品ある美人画・風俗画・肖像画の分野を開拓した。第8回帝展で帝国美術院賞を受賞した「築地明石町」は,近代日本画の代表的美人画として評価が高い。帝国美術院会員・帝室技芸員。文化勲章受章。「こしかたの記」など随筆集も多い。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「鏑木清方」の解説

鏑木清方 かぶらき-きよかた

1878-1972 明治-昭和時代の日本画家。
明治11年8月31日生まれ。条野採菊(じょうの-さいぎく)の子。水野年方(としかた)に師事。明治35年「一葉女史の墓」で注目される。以後,浮世絵の伝統をいかした作品を発表。文展で活躍し,帝展審査員となる。昭和12年芸術院会員。29年文化勲章。昭和47年3月2日死去。93歳。東京出身。本名は健一。作品はほかに「築地明石町」など。著作に「こしかたの記」。

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旺文社日本史事典 三訂版 「鏑木清方」の解説

鏑木清方
かぶらぎきよかた

1878〜1972
明治〜昭和期の日本画家
東京の生まれ。浮世絵師水野年方に学ぶ。新聞・雑誌に挿絵を執筆,風俗画の芸術性を高め,気品ある美人画を描いた。また明治風俗の描写でも第一人者で,1954年文化勲章受章。代表作に『築地明石町』『三遊亭円朝像』など。

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367日誕生日大事典 「鏑木清方」の解説

鏑木 清方 (かぶらぎ きよかた)

生年月日:1878年8月31日
明治時代-昭和時代の日本画家
1972年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の鏑木清方の言及

【イラストレーション】より

…また明治30年代はようやく〈挿絵画家〉が,職業としてもジャンルとしても成立した時期である。これらの雑誌では,前記の画家に加え,浮世絵系の月岡芳年門下である水野年方,右田年英,山中古洞,鏑木清方,鰭崎(ひれざき)英朋(1881‐1968)ら,日本画畑の寺崎広業,富岡永洗,松本楓湖,尾竹国観,鈴木華邨,久保田米僊らが活躍した。ことに明治末から大正にかけては清方,英朋に加え,永洗門下の井川洗厓が目立つ。…

※「鏑木清方」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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