日本歴史地名大系 「長者ヶ原遺跡」の解説
長者ヶ原遺跡
ちようじやがはらいせき
「銅鐸の研究」の著者梅原末治も実見がかなわなかった、秘蔵されてきた二個の銅鐸の出土地。旧所蔵家の文書では宝永四年(一七〇七)四月出土とされるが、一説によると明治二五、六年(一八九二、九三)頃、山の中腹に小広場をなした長者ヶ原で、鈕の一部が露出していたのを掘出したとも伝える。出土状態については不明であるが、大小二個が入れ子になっていたとの復原案もある。銅鐸はいずれも中段階のもので、朱塗の銅鐸として知られてきた。一号鐸は総高六四・二五センチ、重さ六・六二キロの扁平鈕式四区袈裟襷文銅鐸。身の区画内に双頭蕨手文を飾る。鈕に飾耳を伴う渦森型銅鐸の系譜を引き、長者ヶ原型銅鐸とも分類される三対の飾耳をもつ、身の反りが著しい銅鐸である。
長者ヶ原遺跡
ちようじやがはらいせき
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報