デジタル大辞泉 「餅」の意味・読み・例文・類語
へい【餅】[漢字項目]
〈ヘイ〉小麦粉などをこねて焼いて作った食品。「
〈もち〉もち米を蒸してついた食品。「餅肌・餅菓子/鏡餅・草餅・桜餅」
[補説]「餠」は本字。
通常は、糯米(もちごめ)を蒸し、搗(つ)きつぶして成形したものをいうが、米(粳(うるち))、アワなど、他の穀物を用いたもの、米粉をこねてつくるもの、葛(くず)粉などデンプンでつくるものも広く餅とよぶ。語源については糯飯(もちいい)(黐飯(もちいい)、粘りのある飯)、持飯(もちいい)(持ち運び、保存可能な飯)、さらに、望月(もちづき)という意味の望(もち)であるなどの説があるが定説はない。
餅の文化は稲作文化とともに東南アジアから伝わったもので、形態、種類、民俗などに各地の共通点がみられる。日本ではとくに、餅の粘りに対する特有の嗜好(しこう)をもち、そのために特有の餅文化をつくりあげたといえる。「正倉院文書」には大豆餅(まめもち)、小豆餅(あずきもち)、煎餅(いりもち)、環餅(まがりもち)など餅という名のついた食品がみられる。奈良時代には餅は貴族の菓子として用いられたようである。平安時代になると各種の行事食が確立し、1月の鏡餅や餅粥(もちがゆ)、3月の草餅、5月のちまきや柏餅(かしわもち)などもみられる。この時代には米粒を蒸して搗く搗き餅のほかに、各種の材料を加えた餅、粉類を用いる餅がみられる。鎌倉時代にはぼた餅、焼き餅、ちまきなどの餅菓子が一般化した。江戸時代には餅がますます一般化し、年中行事には餅菓子が使われ、諸国の街道筋で名物餅が売られた。
[河野友美・山口米子]
材料からは、米だけでつくったもの以外に、他の材料を加えた粟(あわ)餅、栃(とち)餅、豆餅、黍(きび)餅、かんば餅(サツマイモの粉を混ぜたもの)、草餅などが、また、米を使わない葛餅、わらび餅などもある。用途からは主食用、儀式用(鏡餅、鶴(つる)の子餅、菱(ひし)餅、ちまき、柏餅、亥の子(いのこ)餅など)、菓子用(大福餅など各種の餅菓子)に分けられる。また、形からは丸餅、のし餅、なまこ餅、最近のものとして真空包装された包装餅がある。餅の加工保存品には干餅(ほしもち)、凍り餅(冷凍乾燥したもの)、水餅、そのほか、かき餅、煎餅(せんべい)などがある。作り方では、蒸した糯米を粒ごと搗く搗き餅が主流で、米粉を湯や水でこね、成形してから蒸す蒸し餅の系統や、炊き上げたご飯を粗つぶしにするもの(御幣(ごへい)餅、ぼた餅など)などがある。
[河野友美・山口米子]
日本では餅という字を用いるが、中国での餅(ピン)は小麦粉を用いた焼き菓子を中心に、饅頭(マントウ)、餃子(ギョウザ)などの小麦製品の総称である。蒸した糯米を用いる搗き餅にあたるものは中国の雲南、湖南、四川(しせん)省などに点在し、これは糍(ツー)または餈(ツー)とよばれる。中国でもっとも一般的な餅状の食品は糕(カオ)といい、米、アワ、豆、キビなど小麦以外の穀粉を用いてこねて蒸したものである。
朝鮮半島での餅はトクttǒkとよばれ、40種以上もの種類がある。作り方も多様で、蒸し餅、搗き餅、油焼き餅、団子類に大別される。中国や朝鮮半島に比べ、日本では餅といえば蒸した米粒を搗く搗き餅が中心である。この搗き餅は台湾、インドシナ半島、ミャンマー(ビルマ)などでも確認されているが、とくに日本で嗜好されている。
[河野友美・山口米子]
餅は搗き上げた状態で水分を約45%含む。そのため、このままでは保存性がなく、カビがつきやすい。とくに表面についているとり粉にカビが生じやすい。家庭内での保存法としては、とり粉を落として短期には冷蔵庫、長期には冷凍庫に入れる。多少のカビは包丁で削り落とせばよいが、風味が落ち、アオカビの一種は発癌(がん)性のあるアフラトキシンといった物質を生産するので注意を要する。
[河野友美・山口米子]
米と同様、糖質が主成分でエネルギー源となる。消化吸収率はご飯と同様であるが、胃内での停滞時間がやや長い。餅は腹もちがよいというのは、むしろ胃内停滞時間よりも食べすぎるためと考えられる。餅はかさが小さいため、米飯よりも同体積で比べると非常に高エネルギーである。おろし餅のように大根おろしを同時に食べると大根のアミラーゼが消化を助けるといわれる。
[河野友美・山口米子]
餅の料理としては正月の雑煮(ぞうに)があり、各地で餅の形(切り餅、丸餅)、調味法(みそ仕立て、澄まし仕立て)、具に特徴がある。ほかの料理としては焼き餅、安倍川(あべかわ)餅、そのほか汁物、麺(めん)類、鍋(なべ)物などにも用いられる。各地にいろいろな郷土料理があり、民俗と結び付いたものも多い。
[河野友美・山口米子]
一般に、餅は正月や節供、子供の誕生、婚礼、家の新築などの祝い事に用いられるが、こうした機会のほかに、凶事の際に用いられる餅もある。耳塞(みみふさ)ぎ餅というのがそれで、同年の者の死を聞くと、餅を搗き、その餅で耳を塞ぐので、耳塞ぎ餅とよばれている。餅にはなにか神秘的な力が宿っていると信じられていたらしい。『豊後国風土記(ぶんごのくにふどき)』に、餅を的にして射たところ、その餅が白鳥となって飛び去り、長者が没落したという伝説があるが、古代の人々は餅を霊的なものと考えていた。近世中期に、峠の茶屋などの名物として力餅が売られるようになるが、力餅が普及するようになったのも、この餅を食べると力がつくという信仰があったからであろう。新潟県の一部では、小(こ)正月の飾りにした餅団子を小豆粥(あずきがゆ)に入れたものを力餅といい、これを食べると力が出ると伝えられている。佐賀県の一部には、正月20日に力餅を食べると病気にならないという俗信がある。また、産後、身体の弱った女性に食べさせる餅や、生まれてから1年たった子供に背負わせたり抱えさせたりする餅を力餅とよぶ土地もある。鹿児島県の甑島(こしきじま)では、大晦日(おおみそか)の夜、年どんといって白いひげを生やした老人が、首のない馬に乗って鈴を鳴らしながら各戸を訪れ、子供たちに年玉の餅を配ると伝えられている。八丈島では、大晦日の夜、年神(としがみ)を祀(まつ)る棚を吊(つ)り、その棚に餅を家族の人数だけ供えるが、この餅は身祝いの餅とよばれ、その上に梅の実ぐらいの大きさの餅の玉が一つつけてある。その餅の玉はタマシイとよばれ、家の者は正月4日に棚下ろしの雑煮を食べるとき、かならずタマシイを一つずつ食べるという。いずれも餅に霊的な力を認めた慣習といってよいだろう。
[伊藤幹治]
日本と同じように、朝鮮にもいろいろな種類の餅がある。年中行事を解説した『東国歳時記』(1849)に、蒸餅や引餅、白餅、甑餅、松餅、環餅など、餅の製法がいろいろ述べられている。蒸餅は糯米の粉をよく搗いて一片ずつちぎり取り、酒で発酵させて鈴の形のようにし、これに餡(あん)を入れて、上にナツメの実をはめ込んで蒸した餅。引餅は糯米の粉を蒸して搗き、これに煮豆やゴマをふりかけた餅。白餅は粳の粉を蒸して大きな板の上に置き、これを搗いて長く引き伸ばした餅のことである。また、甑餅は糯米または粳の粉を甑の中に敷き、その上に煮た小豆を敷いて、粉と小豆を交互に積み重ねて蒸した餅。松餅は半月形の大小の白餅に豆の餡を入れ、これを松葉で隔てて蒸し、水で洗ってから香油を塗った餅。環餅は松の表皮の下の柔らかな肉皮やヨモギを入れ、それに色づけした餅のことである。これらの餅は、正月や秋夕(しゅうせき)の節(旧暦8月15日)などの折り目につくられる。
[伊藤幹治]
漢民族の間では、正月に年糕(ニェンカオ)をつくって食べる。これは、糯米を材料にして砂糖で味つけしたもので、表面に煮たナツメの実をまぶしたものもある。仲秋節(ちゅうしゅうせつ)(旧暦8月15日)には、小麦粉をこねて中に餡などを入れて丸く焼いた月餅(げっぺい)をこしらえる習慣がある。西南部に住む少数民族は糯米を材料にした食物を好み、貴州(きしゅう/コイチョウ)省の南部に住むチワン系民族のプイ族は、正月に糯米を蒸して杵(きね)で搗き、これを平たい円形にして、その中に小豆やゴマを入れた餅とか、糯米を炒(い)って黒砂糖で丸くしたものを食べる。同じ貴州省の南東部に住むタイ系民族のトン族も、正月になると丸い餅をつくる。
[伊藤幹治]
『渡部忠世・深沢小百合著『ものと人間の文化史89 もち(糯・餅)』(1998・法政大学出版局)』▽『安室知著『餅と日本人――「餅正月」と「餅なし正月」の民俗文化論』(1999・雄山閣出版)』▽『阪本寧男著『モチの文化誌――日本人のハレの食生活』(中公新書)』
古語ではモチヒと呼称しており,モチイヒ(糯飯ないし黐飯)の約語と解釈したり,鏡餅を典型とした円形状の食物であるから望月の望と同意とする説もある。いずれにせよ,もち米を蒸して臼に入れ,杵で搗(つ)いたうえで,いろいろの形につくったものを餅の字で表してきたのであるが,餅という漢字は日本独自の使い方であり,中国の用法とはまったく異なっている。風俗学者で食物史家の篠田統(おさむ)(1899-1978)によると,中国では饅頭(マントウ),餃子(チアオズ)などの小麦粉製品の総称が餅(ピン)であり,小麦粉そのものが麵(ミエン),小麦以外の穀物(米,アワ,キビ,豆など)の粉製品を餌(アル)といい,餌がのちに細かく分かれ,よくこねて大きいままで蒸したものを餻(カオ),小さくまるめて蒸したものを円(ユワン)(とも),円の中に餡を入れたのを団(トワン),米を粒のまま蒸してから搗いたのが餈(ツー)であるという。すると中国の餈が日本の餅にあたるわけであるが,日本では餈は粢(しとぎ)のことである。この混乱は日本人が漢字を採用した際に起こった誤訳によるもので,篠田はその著《増訂 米の文化史》(1977)において,表のように対比して整理を行っている。ここでは日本流の使い方としての餅の字を採用して記述する。
日本文化の形成に大きな変革を与えたのは,東南アジアの稲作圏から渡来した水田稲作農耕文化である。この文化の水田稲作技術のみが日本に伝えられたのではなく,社会組織や信仰習俗に至る体系的な文化として伝えられたものであり,日本列島で独自な発展をした要素も認められるが,東南アジア全体との関連でとらえる必要がある。もち米を蒸して搗いた餅の分布地域に注目すると,中国や朝鮮半島では日本の餅に類似した製品の主流は,米や米以外の穀物や豆の粉で作った餅であるが,その朝鮮半島でも蒸した米を搗いて作った餅があり,台湾,華南,西南中国からインドシナ半島,ミャンマーにかけての少数民族の間にも点々と見られるという。しかも,これらの地方の餅搗きには日本式の横杵(よこぎね)は見られず,すべて竪杵(たてぎね)か足踏み式の唐臼(からうす)である。日本では古い社寺の餅搗き行事や通過儀礼などのおりには竪杵を用いることが多く,家単位の餅搗きには横杵か唐臼を用いる傾向があるところからみて,竪杵は古い用法を示すものといえる。そして横杵は日本において独自に発達したものとみることができ,日本が東南アジア稲作圏における稲作の後進地域として,餅の製法においても多様な技術を海外から受容したものといえよう。
日本において餅を搗く機会は神祭や通過儀礼などの非日常のおりと,日常の食物としての餅を調製する目的との二つがあった。非日常の餅としては鏡餅に代表される白餅をはじめとした儀礼的食物であるが,その背景には稲霊(いなだま)信仰があったと考えられる。すなわち,稲は1粒の種子籾が発芽し,田植後は分げつして多くの穂を実らせていく。その繁殖力の強さと豊穣性に対して,稲自体に穀霊としての神の存在を認識したのであろう。儀礼のときに作られる餅は稲霊をかたどったものであり,きわめて神聖な対象であったことは,《豊後国風土記》や《山城国風土記》逸文に,餅を的にして矢を射たため,その餅が白鳥に化して飛び去り,長者は滅びてしまったという〈餅の的〉説話に見られるように,神そのものと考えられていたのである。そうした餅を人間が儀礼食として食べるということは,神の霊力を体内に鎮め,生命力を再生・補強することであった。新年の年玉(としだま)は年魂であり,昔は餅を各人に授けて年をとらせる習俗が各地にあったが,鹿児島県の甑島(こしきじま)では現在も新年の夜にトシドンという神が各家を訪れて餅を授け,その餅をトシダマといっている。年の改まった新年にはとくに稲霊によって生命を再生させるために,餅に対する期待が強かったのである。
餅は戦争用に兵糧としても重視されたし,弁当として携行することもあったが,食料の乏しい冬期間の保存食ないし主食としても重要であった。例えば宮城県では正月の儀礼食としての餅のほかに,混餅(まぜもち)という日常食用の餅が多く作られた。もち米に雑穀や山菜,野菜などを入れて搗いたもので,蓬餅(よもぎもち),葛餅(くずもち),蕨餅(わらびもち),牛蒡餅(ごぼうもち),栗粉餅(くりこもち),柿餅,栃餅,粟餅,味噌餅,海苔餅(のりもち),松皮餅(まつかわもち),豆餅などがあり,調味による特殊な餅として,枝豆をつぶしてつけたズンダ餅や納豆餅,田楽餅などがあり,さらに季節的には茄子餅(なすもち),柏餅,雪餅,藁餅,笹餅などの蒸餅があったという。このように地方によっては山野や海浜の採集物や栽培物を混ぜこんだ餅は多種類に及び,けっして餅は儀礼食としてだけ重視されたものではない。こうした粘りけのある食物を好む傾向というものは,稲のもち米以前から日本列島に住んでいた人々の間につくりだされたものであり,それがもち米を選択した要因と考えることもできるであろう。そうすると稲以前の農耕文化との関係が問題となってくる。近世以降から都市や街道筋などで餅やだんごが売られ,とくに力餅といって旅行者などに人気があった餅は,稲霊の信仰が強く影響したものと考えられるが,同時にうどん,そばをはじめとして,各地の名産に混ぜ餅が伝えられているのは,日本における食文化の多様性を物語るものであろう。また一方で,〈餅なし正月〉といって正月に餅を搗かない習俗も各地に見られる。餅菓子については〈和菓子〉の項目を参照されたい。
執筆者:坪井 洋文
餅は,日本語ではモチであるが中国には蒸米を搗いて作るモチはほとんどなく(四川省辺に日本と同じモチがあり米という),モチ状の食品は糕(餻)(こう)と呼ぶ。昔は米を原料としたものを糕といったが,現在は小麦粉を原料にした糕も多い。餅(へい)は,小麦粉製品を指す言葉で,6世紀の《斉民要術》にあるようにうどんのようなものを湯餅といったが,これらはその後小麦粉そのものを指す〈麵〉と称するようになり,餅は小麦粉を原料として平らで円板状にしたものをいい,煮製品,焼製品,蒸製品ともに餅である。大餅は焼餅の一種で北方中国に多く見られる小麦粉を厚く円く焼いたもの。煎餅は,小麦粉あるいは雑穀粉を薄く水溶きして鉄板上に流し焼きにしたもので北方に多い。烙餅は,直火で焼いたもので,烤炉というインドのタンドリーのように火炉の内面にはりつけて焼いたもの,餡餅は餅類に肉餡,小豆餡,砂糖餡などを入れたもの。酥餅は膨剤を加えてもろく焼いたもので月餅もこの類であり,餅類は全部点心の類である。
執筆者:田中 静一
朝鮮語ではトックttǒkと総称し,餅,片とも書き表す。冠婚葬祭はもちろん,ちょっとした喜びごとでも餅を作って祝って食べるのがならわしである。種類も非常に多い。もち米を蒸して搗くのが主である日本の餅とは異なったものが見られる。(1)シルトックは甑餅(こしきもち)の意。うるち米の粉を練って甑(せいろう)で蒸す。粉の間につぶし小豆などを平面に幾重にもはさみ敷いたのが代表的。松葉を敷いて蒸す松餅(ソンピヨン)なども有名である。(2)ムルトックは水餅の意。うるち米の粉を練り,蒸してから搗いたものであり,餡をくるむもの,ヨモギや松の花粉を混ぜて搗いたり,油でいため,揚げるものなどある。(3)うるち米の粉を濁酒(マッカリ)で練り生地を膨張させて蒸す蒸餅(チヨンピヨン)類は一種の蒸しパンである。(4)もち米,もちアワを粒ごと蒸して搗く引切米(インジヨルミ)など。これらの基本型にさらに数多くのバリエーションがある。ムルトックを細く伸ばして斜めに薄切りにしたものを肉汁で食べる料理はめでたい膳にも出されるが,正月料理として日本の雑煮のような存在である。今日でも年輩者が若い人に向かって年齢をきく婉曲表現として,〈トックを何度食べたか〉という言い回しが残されている。
執筆者:鄭 大 聲
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…うどん,そばなどのように小麦粉,そば粉などをこねて細長い線条に切った食品の総称。中国ではもともと〈麵〉は小麦粉のことで,小麦粉を水その他でこねたものは〈餅(へい)〉と呼ばれた。ヨーロッパでパスタ,ペースト,などと呼ぶのが餅に相当する。…
…古語ではモチヒと呼称しており,モチイヒ(糯飯ないし黐飯)の約語と解釈したり,鏡餅を典型とした円形状の食物であるから望月の望と同意とする説もある。いずれにせよ,もち米を蒸して臼に入れ,杵で搗(つ)いたうえで,いろいろの形につくったものを餅の字で表してきたのであるが,餅という漢字は日本独自の使い方であり,中国の用法とはまったく異なっている。…
…主として正月に神棚や床の間などに据える神供としての大きな丸餅。大小を一重ねとし,半紙を敷いたり三方に載せたりして供え,ダイダイ,干し柿,ウラジロ,昆布など山海のものを添えることが多い。…
…冬の寒のうちについた餅を凍らせて,保存しておく餅のこと。凍餅(しみもち)ともいう。…
…雑煮餅ともいい,野菜,魚貝,鳥肉などを具にした汁に餅を入れて煮た料理。いろいろの材料をまぜて煮るための名で,別に〈亨雑(ほうぞう∥にまぜ)〉とも呼んだ。…
…やがて各地に名物だんごが現れてくるが,連歌師宗長(そうちよう)が昔から有名だとしている東海道宇津谷(うつのや)峠の十だんごや京都の御手洗(みたらし)だんごがそのはしりともいうべきものであった。 だんごの名はまるい形から起こったが,平たくした場合には,草餅,柏餅など餅と呼ぶことが多い。また,餅は祝儀のもの,だんごは仏事のものとされることが多いが,これは死者に供えるまくらだんごや彼岸だんごの風習に根ざす感覚で,はっきりした区別はない。…
…そこで水田稲作農業の発展は畑作農業に負っていた面もあることを評価する必要があり,両者の文化の比較が要請されてくるのである。例えば,平地の水田稲作地帯では正月に餅をついて神仏に供えたり人々も儀礼食として重視するのに,山地などの畑作地帯では餅以外の里芋やソバなどの根茎作物や雑穀が供物や儀礼食物として重視され,正月に餅を禁忌とする(餅なし正月)ところがあるのは,栽培する作物による文化的次元の価値体系が異なることを示している。また,水田稲作地において最も重視されるのは〈稲の種子〉であり,それを祭祀することにより豊作が保障されるものとして,多彩な儀礼がみられるのが特色であるのに対して,畑作地帯においては種子の神聖視は認められず,山を占有するとされる山の神と〈土壌の豊穣(ほうじよう)性〉を重視する観念が認められる。…
※「餅」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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