額田郷(読み)ぬかたごう

日本歴史地名大系 「額田郷」の解説

額田郷
ぬかたごう

和名抄」所載の郷。大和国平群郡・河内国河内郡・伊勢国桑名郡など同名郷の訓注は「奴可多」「沼賀太」「沼加多」とあり、これによってヌカタとよむ。比定地は現揖斐いび郡池田町南部の八幡やわた地区を中心にした一帯とする見解が多い(「濃飛両国通史」「揖斐郡志」「岐阜県史」など)。同地区は条里遺構が明確に残り、八幡には市之坪いちのつぼ大道おおみち・中道・中筋なかすじ中溝なかみぞなど条里を推測させる地名が残る。


額田郷
ぬかたごう

「和名抄」所載の郷。東急本は「奴加多」と訓ずる。遺称地は現小松市額見ぬかみ町にもとめる説(江沼志稿・日本地理志料)、現山中やまなか中田なかだ町にあてる説(加賀志徴・加能郷土辞彙)がある。文治二年(一一八六)九月五日の源頼朝下文案(平松文書)によると、当郷の郷名を継承する額田庄(現加賀市)について「件庄加納八田額田両郷」とあり、額田郷が八田やた郷と隣接することがわかるので、八田郷の遺称地である現小松市矢田やた町・矢田野やたの町に隣接する同市額見町を当郷の遺称地とみるべきであろう。


額田郷
ぬかたごう

「和名抄」高山寺本に「奴可多」、刊本に「奴加多」の訓注がある。永久五年(一一一七)の橘友則田地売券(額安寺文書)に「平(ママ)郡額田東郷九条参里肆坪」とみえ、額田東郷・額田西郷に分れていたようである。康和三年(一一〇一)の忍海重末田地売券(同文書)には「平群郡東郷九条三里」とあり、額田東郷は単に東郷ともいわれた。延久二年(一〇七〇)の興福寺雑役免帳によると、額田東・額田西は平群へぐり郡八条一里、九条一―三里、一〇条一里・三―六里、一一条六―七里にわたり、佐保川が大和川に合流する付近、現大和郡山市南部から現生駒郡安堵あんど村大字窪田くぼたに相当。


額田郷
ぬかたごう

「和名抄」諸本のうち伊勢本・東急本は「田」、高山寺本・名博本・元和古活字本は「額田」に作る。伊勢本・東急本・元和古活字本の訓「奴加多」から「ぬかた」と読む。現福岡市西区野方のかたが遺称地とされ、同地を中心とする地域に比定される。「延喜式」兵部省諸国駅伝馬条、高山寺本「和名抄」駅名にみえる額田駅(駅馬数五疋)は、当郷に所在したと考えられる。大宝二年(七〇二)の筑前国嶋郡川辺里戸籍(正倉院文書/大日本古文書(編年)一)に「額田部手太売」らの人物が記され、保安元年(一一二〇)六月二八日の観世音寺公験案「早良奴婢例文」(早稲田大学所蔵文書/大日本古文書(編年)一四)には、早良郡額田郷戸主三家連豊継の父息嶋が観世音寺(現太宰府市)の稲八千二三〇束を負ったまま死亡したことなどが記されるほか(→早良郡、大宰府史生として額田部連君万呂の名もみえる。


額田郷
ぬかたごう

「和名抄」所載の郷。同書高山寺本など諸本とも訓を欠くが、ヌカタヘであろう。天平勝宝五年(七五三)六月一五日の仕丁送文(正倉院文書)に周准郡額田部郷の戸主若田部荒馬戸口の若田部黒麻呂、須恵郡額田部郷の戸主占部国忍戸口の占部真麻呂がみえる。宝亀八年(七七七)一〇月周准郡額部郷の戸主額田部千万呂が調の細布一端(長さ四丈二尺・広さ二尺四寸)を貢納しており、国司とともに専当郡司は大領の日下部使主山主(外従七位上)が署名している(「正倉院調庸関係白布銘文」正倉院宝物銘文集成)


額田郷
ぬかたごう

「和名抄」にみえ、高山寺本に「沼賀太」の訓注がある。江戸時代、額田村があり、いまも東大阪市に額田町がある。ほぼ河内郡条里の七条の地を占め、恩智おんぢ川を西限とする地域を額田郷の境域としてよかろう。「新撰姓氏録」(河内国皇別)に「額田首 早良臣同祖。平群木兎宿禰の後なり。父氏をがず、母氏額田首を負う」とあり、額田首の居地と思われる。平群氏の本拠の地である大和国平群郡にも額田郷(現大和郡山市)がある。


額田郷
ぬかたごう

「和名抄」高山寺本・刊本ともに訓はない。天平勝宝二年(七五〇)四月一九日銘の正倉院丹裏古文書に「額田郷」とある。郷の所在については、諸書すべて不詳。「日本地理志料」では岡崎市の東部、おと川の上流の旧新居あらい村を郡衙の地とし、その南東の古部こぶ村が郡衙を「少府」とよんだことの遺名としてこの地を額田郷とするが、山間の地で信じがたい。


額田郷
ぬかたごう

「和名抄」東急本は「沼加多」の訓を付す。「神宮雑例集」には「朝明郡額田神田」、「神鳳鈔」には「額田(内宮)神田五斗、同日」とある。郷域は、「大日本地名辞書」は現三重郡朝日あさひ町周辺、「五鈴遺響」「日本地理志料」は現四日市市茂福もちぶく羽津はづ町周辺に比定するが、確証がなく不明。


額田郷
ぬかたごう

「和名抄」高山寺本・東急本ともに「額田」と記し訓を欠く。「日本地理志料」は長田ながた(現双三郡三良坂町)をヌカタの転とし、「大日本地名辞書」は岡田おかだ(現同町)に求める説をあげ、三良坂萩原はぎはら二村(現同町)の地に擬すべきかとする。


額田郷
ぬかたごう

「和名抄」東急本は「奴加太」と訓ずる。天平神護二年(七六六)一〇月二一日付越前国司解(東南院文書)に郷名がみえる。明治初年の越前三大河川沿革図(松平文庫蔵)によると、当時の吉田郡海老助えびすけ(現福井市)付近の日野川糠溜ぬかたびノ渡がみえ、これを額田部の転訛とすれば、この付近に郷域を比定しうる。


額田郷
ぬかたごう

「和名抄」東急本は「沼加多」の訓を付す。「延喜式」神名帳には「額田ヌカタノ神社」がみえる。郷域は現桑名市額田を遺称地とする町屋まちや川左岸域に比定される。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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