漢籍における「風狂」の初期の用例は唐代の漢訳仏典に見られ、「大般若波羅蜜多経」では病名として用いられている。この場合「風」は「狂」と共に病気を意味するが、「狂」には病気の意味の他に、儒教的な立場から規矩にとらわれない志操の高さをいう場合(「論語」等)もあり、また「佯狂」が伝統的に節義を守る生き方とされるなど、倫理的な意味を派生させる要素を有している。
「風」は「瘋(ふう)」に通じ、狂人をさして風子、風癲(ふうてん)、風漢などとよぶ。「風狂」とは(風が狂おしく吹くという意味は別として)、もと狂気、狂人を意味した。隠逸の高士寒山(かんざん)が「風狂夫」(『山堂肆考(さんどうしこう)』)、「風狂の士」(『寒山子詩集』序)と、また拾得(じっとく)が「風狂に似たり」(『寒山子詩集』序)、「風狂子」(『沙石集(しゃせきしゅう)』)とよばれたというのも、彼らが凡俗の目には狂人としかみえなかったということである。しかし「狂」の語は単なる精神疾患の意を超えて用いられた。李白(りはく)が「我はもと楚(そ)の狂人」と自称し、葛飾(かつしか)北斎が「画狂老人」と自署するとき、彼らは自分が世間の標準から外れていることを自認してはばからない。人は世間の規範からの逸脱を肯定的にとらえて「狂」とよぶ場合があり、日本において中世以降「風狂」とはそのような「狂」の形態の一つをさす。その「狂」の系譜は、大略次の四つになる。
(1)物狂い 「くるう」の語源は神がかりしてくるくる回ることといわれるように、日本人は狂気を憑(つ)き物による現象とみなした。世阿弥(ぜあみ)以前の能にみられる物狂いはほとんど他の霊に自分の精神を乗っ取られるものである。しかし世阿弥は憑依(ひょうい)のほかに「思い」による物狂いのあることをいい、これを重視した。それは一つの思念に執したあげく、その思念に自分の全精神を乗っ取られるものである。たとえば、奪われた子を尋ねてはるかな旅をする母の物狂い。これは狂気の一種には違いないが、その思いの深さは人を感動させることができる。
(2)数寄(すき) 元は「好き」と同語であるが、やがて愛好の度が過ぎて常識人の平衡感覚を失った態度をさすようになった。ただし、実用事への情熱を数寄とはいわない。「あだ事」、とりわけ風雅の道(歌道、茶道など)に凝るものをいう。たとえば、歌枕(うたまくら)として有名な長柄(ながら)橋の柱の削り屑(くず)をだいじに持ち歩いたという歌人能因(のういん)。数寄は風雅への思い入れの深さのゆえに偏執的になったものであるが、物狂いの一歩手前にとどまっている。数寄者(しゃ)は奇人変人ではあっても精神障害ではない。北斎の「画狂」も絵画への偏執の意味である。
(3)遁世(とんせい) 精神や性格の異常ではなく、自らの意志で選ばれた生き方である。たとえば鴨長明(かものちょうめい)の『発心(ほっしん)集』は、極楽往生を願って世俗的所有物のいっさいを捨てた隠者の伝を多く伝える。彼らにとって遁世とは、家を捨てて寺に入ることではなく、すでに世俗の体制に組み込まれた寺をも捨てて隠棲(いんせい)することを意味した。彼らは真の「放下(ほうげ)」を目ざしてひたすら俗から逃走し、追いかけてくる名誉や利益から身を隠す。しかし、俗からの脱出が人の世からの逃走であるうちはまだ消極的な脱俗である。
(4)風狂 (a)前記の(3)を一歩進めたものとしての風狂がある。これは自由を求めて世間から逃走するのではなく、すでに精神が自由となっているために世間の規範を超越するものである。かならずしも山中に隠棲せず、あるいは乞食(こじき)となって市中を横行し、ときに色街に戯れることをためらわない。しかし世俗の価値基準は眼中になく、常識からみれば奇行の連続であり、その存在自体が俗世間への批判となる。その代表者は自ら「風狂の狂客」と号した一休である。このとき、「風狂」とは自由なる精神と同義となる。
(b)前記の(3)の影響を受けつつ(2)を一歩進めた風狂がある。仏法ならぬ風雅への思い入れの深さから世を捨てるものである。常識的な人生を逸脱し、無一物、一所不住の自由な境涯にあって、花鳥風月とともに生きることを楽しむ。「風雅の魔心」(「栖去之弁(せいきょのべん)」)に憑かれた漂泊の詩人芭蕉(ばしょう)がその代表である。
日本人にとって「風狂」とは生き方の理想の一つをさすことばであり、「私たちを縛る世俗的なもの(常識、所有物、家庭など)からの自由」を意味の中核とするが、時に応じて反骨、旅、文学などの要素を含むものである。
[尼ケ崎彬]
『唐木順三著『詩とデカダンス』(1952・講談社)』▽『栗山理一著『芭蕉の芸術観』(1971・永田書房)』▽『岡松和夫著『風狂』(栗山理一編『日本文学における美の構造』所収・1976・雄山閣出版)』
もとは瘋癲(ふうてん)などと同じ精神病者,狂人,狂者を意味する言葉であったが,のち世間の常識的生き方や価値観の俗悪さにがまんがならず,それへの強烈な反発,批判として,狂人と見まがうような奇行,狂態を演じること,ないしその人をいうようになった。古い時代の風狂は多くの場合宗教人で,わけても禅林では寒山・拾得がその象徴的存在として渇仰された。また禅林以外では〈名聞コソ苦シカリケレ。乞食(かたい)ノミゾタノシカリ〉(《発心集》)とうそぶいていたという増賀上人が,風狂の先達として西行,長明,兼好,芭蕉らに慕われている。その後風狂は世事を外にして風流韻事に徹する生き方を意味するようになるが,これはいわば風狂のファッション化,矮小化であるとみられる。なぜなら,風狂の批判精神は一休宗純の例が示すように,まず何よりも己自身に向けられるべきものであったはずだからである。
執筆者:堀 信夫
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
字通「風」の項目を見る。
出典 平凡社「普及版 字通」普及版 字通について 情報
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