〘助動〙 (活用は「そうだろ・そうだっ そうに そうで・そうだ・そうな・そうなら・〇」)
[一] (様態) 状態や性質などに関してそうであろうと推察し、判断される様子であることを表わす。…らしい。
(イ) 体言につけて用いる。→語誌(6)。
※
四河入海(17C前)八「一月二月後の事さうなぞ」
(ロ) 形容詞、形容動詞の語幹につけて用いる。→語誌(4)。
※応永本論語抄(1420)為政第二「子の顔色が和げば父母の顔色も和ぐ也。子が無興さうなれば、親も無興さふ也」
※
歌舞伎・傾城三つの車(1703)一「コリヤ若衆、そちは身が裁きを、もどかしさうに云うたが」
(ハ) 動詞、動詞型の助動詞の連用形につけて用いる。→語誌(5)。
※寛永刊本蒙求抄(1529頃)二「酔てころびさうな体ぞ」
※雑俳・柳多留拾遺(1801)巻八上「出雲からしかられさふなゑんむすび」
(ニ) 動詞、形容詞、助動詞の終止形、連体形につけて用いる。→語誌(6)。
※虎寛本狂言・
目近(室町末‐近世初)「両人の者が戻たさうな」
[二] (伝聞) そのことが他人からの伝聞によって知られたものであることを表わす。…ということである。動詞、形容詞、形容動詞、助動詞の終止形、連体形につけて用いる。
※歌舞伎・好色伝受(1693)上「はて、あいらしいによって鮎といふさうに御座ります」
※
滑稽本・浮世風呂(1809‐13)三「あなたはひなぶりをもお詠
(よみ)なさるさうでござりますネ」
[語誌](1)「そう」は「様
(さま)」の変化したものとも、「相」の字音ともいう。
(2)室町以降用いられた助動詞で、はじめ終止形は「そうな」であったが、近世中期ごろから「そうだ」の形も使われるようになった。
(3)終止形に「そうなり」、連体形に「そうなる」、已然形として「そうなれ」など、文語的な例も見られる。「幸若・
烏帽子折」の「やぶさめとやらんはやすさうなる事にて候」、「浄・心中二枚絵草紙‐上」の「あの人と
わしと訳ある様に見さんしたそうなれ共、みぢんそんなるではない」、「
当世書生気質〈
坪内逍遙〉一」の「かは
うその帽子を眉深にいただきたるは、時節柄些
(すこ)し暖
(あつ)さうなり」など。
(4)(一)(ロ)の形容詞に接続する場合、語幹が一音節の形容詞では間に「さ」が挿入されることが多い。「四河入海‐一〇」の「花たち花ではなささうなぞ」、「伎・傾城壬生大念仏‐上」の「酒を好いて飲まふならば、あのやうに酔ふたがよささふな」、「杜子春〈
芥川龍之介〉三」の「始めお前の顔を見た時、どこか物わかりが好ささうだったから」など。
(5)(一)(ハ)で、形容詞型の助動詞「ない」「たい」の場合は、語幹相当の「な」「た」につけて用いる。「
腕くらべ〈永井荷風〉一三」の「どうも、うまく折合がつかなさうなんですよ」、「
湯島詣〈泉鏡花〉四六」の「蝶吉は笑ひたさうにして押耐
(おしこら)へる」など。
(6)(一)(イ)の体言につく「そうだ」、(一)(ニ)の終止・連体形につく「そうだ」は現代語においてはふつうには行なわれていない。
(7)丁寧体としては「そうです」が使われる。また、語幹相当の「そう」だけで文を終止したり、その下に助詞「さ」「よ」「ね」を添えて用いたり、「そな」の形をとったりもする。「洒・
孔雀そめき‐草庵晒落」の「伯父の所があの近所だそうさ」、「滑・浮世風呂‐四」の「もちっと御勘弁がありそな事
(こっ)ちゃぞや」、「滑・八笑人‐五」の「跡で何所の人だと聞いたら、十返舎一九先生ださうよ」、「小公子〈若松賤子訳〉六」の「ドウソンは〈略〉可愛らしい姫君のお世話をして居たのださうでした」、「草枕〈夏目漱石〉九」の「成程面白さうね」、「婦系図〈泉鏡花〉前」の「天窓
(あたま)から爪尖まで、其日の扮装
(いでたち)想ふべしで、髪から油がとろけさう」など。
(8)(一)で動詞につく場合の打消表現には、「行かなそうだ」「行きそうでない」「行きそうにない」「行きそうもない」などがある。前の二例は、単なる否定的判断であるが、後の二例では、期待に反して実在、実現の困難なことが強調される。→
そもない。「洒・美地の蛎殻」の「『八どん降りそうだによ。笘
(とま)をもって行かねへか』『西だから降りそふもねへ』」、「浮雲〈二葉亭四迷〉一」の「迚
(とて)も鎮火しさうも無かったのも」、「高瀬舟〈森鴎外〉」の「どうも喜助のやうな心持にはなられさうにない」など。
(9)(一)の「そうだ」を様態の助動詞、(二)の「そうだ」を伝聞の助動詞ということがある。また、「そうだ」を一語の助動詞と認めず、形式名詞または接尾語の「そう」に断定の助動詞「だ」がついたものとする考え方もある。