清元延寿太夫(読み)キヨモトエンジュダユウ

デジタル大辞泉 「清元延寿太夫」の意味・読み・例文・類語

きよもと‐えんじゅだゆう〔‐エンジユダイフ〕【清元延寿太夫】

清元節の家元。
(初世)[1777~1825]江戸の人。初名、2世富本斎宮いつき太夫。富本節から分かれて清元節を創始。のち延寿斎と改名。
(2世)[1802~1855]初世の子。美声の持ち主で名人太兵衛といわれ、清元節の基礎を確立。
(5世)[1862~1943]4世の養子。清元節の語り口を上品にし、社会的地位の向上に努めた。

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精選版 日本国語大辞典 「清元延寿太夫」の意味・読み・例文・類語

きよもと‐えんじゅだゆう【清元延寿太夫】

  1. 邦楽家。清元節の家元。
  2. [ 一 ] 初世。清元節の創始者。前名豊後路清海太夫。富本延寿斎の高弟。師の没後、一派を開く。のち刺客に暗殺された。「保名」「累(かさね)」「山姥」などを初演。安永六~文政八年(一七七七‐一八二五
  3. [ 二 ] 二世。初世の子。のちに清元太兵衛と改める。名人太兵衛と呼ばれ、清元節の基礎を確立。「お染」「落人」「神田祭」などを初演。享和二~安政二年(一八〇二‐五五
  4. [ 三 ] 四世。二世の娘清元お葉の婿。のち二世太兵衛、延寿斎を名乗る。河竹黙阿彌との提携によって「十六夜清心」「三千歳」ほかを初演。天保三~明治三七年(一八三二‐一九〇四

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「清元延寿太夫」の意味・わかりやすい解説

清元延寿太夫
きよもとえんじゅだゆう

清元節家元の太夫(たゆう)名。

初世

(1777―1825)江戸・横山町の商人岡村屋藤兵衛の子。幼名吉五郎。初世富本斎宮太夫(いつきだゆう)(後の清水延寿)に入門し、2世斎宮太夫を継承する。家元の2世富本豊前(ぶぜん)太夫と不和対立し、1808年(文化5)大坂で豊後路清海(ぶんごじきよみ)太夫と改名した。14年恩師の清水延寿の清、富本の本を元にかえて清元延寿太夫と称し清元節一流を創設した。美声で知られ、「都座(みやこざ)に過ぎたるものが二つあり、延寿太夫に鶴屋南北(つるやなんぼく)」と唄(うた)われた。24年(文政7)清元延寿斎と改名した翌25年、劇場からの帰途暗殺された。この事件は諸説があり、通説は清元に人気を奪われた富本方の回し者ではないかというものであるが、犯人は捕えられずその真偽は不明である。

[林喜代弘・守谷幸則]

2世

(1802―55)初世の実子で、幼名巳三治郎(みさじろう)。清元節の後援者であった松江藩主松平治郷(まつだいらはるさと)(不昧公(ふまいこう))によって1816年(文化13)元服、栄寿(えいじゅ)太夫の名を得た。のち27年(文政10)2世襲名。天性の美音に加えて、初世斎兵衛、初世栄次郎といった優れた三味線方の伴侶(はんりょ)に恵まれて光彩を放ち、数多くの名曲が生まれた。45年(弘化2)太兵衛と改名し、名人とうたわれた。「梵音声(ぼんのんじょう)」といわれた美声に加え、軽妙洒脱(けいみょうしゃだつ)に市井風俗を唄い、変化舞踊の新ジャンルを確立、一世を風靡(ふうび)した。

[林喜代弘・守谷幸則]

3世

(1822―58)浅草今戸町藤田屋の息子で繁次郎。2世の太兵衛改名を期に3世を継承したといわれ、1853年(嘉永6)市村座で太兵衛のワキを語ったが総じてあまり評判は芳しくなかった。3世は2世の門弟、妹婿であったという。

[林喜代弘・守谷幸則]

4世

(1832―1904)旧名斎藤源之助。2世の娘お葉(よう)の婿に選ばれて1858年(安政5)4世を襲名。河竹黙阿弥(もくあみ)と提携し数々の名品を残した。91年(明治24)2世太兵衛、さらに93年には延寿翁と改名している。4世も美声で知られている。当時流行の端唄(はうた)、うた沢(哥沢・歌沢)を取り入れ、付近の家や別の部屋で語る浄瑠璃(じょうるり)にあわせて俳優が仕種(しぐさ)をする「余所事(よそごと)浄瑠璃」に力を発揮した。清元お葉は小唄の創始者としても著名。

[林喜代弘・守谷幸則]

5世

(1862―1943)本名斎藤庄吉。4世の妻お葉の懇望により、1890年(明治23)岡村家に入籍、栄寿太夫を名のったのち、94年家元を相続し、97年襲名披露を催す。旧来の職人層の間で愛好された語り口を、品のよい発声法に改めて、流派の社会的地位の向上を目ざし成功させた。

[林喜代弘・守谷幸則]

6世

(1926―87)本名岡村清道。5世の孫。5世の実子であった4世栄寿太夫が父5世に先だって1939年(昭和14)に死去したため、5世栄寿太夫を経て48年6世を襲名した。22年(大正11)に分離した清元流(梅吉(うめきち)派)と64年12月、合同で清元協会を樹立、歴史的な和解がなったと思わせたが、のち清元流は退会、流派の大合同はならなかった。

[林喜代弘・守谷幸則]

7世

(1958― )本名岡村菁太郎(せいたろう)。6世の実子。母方の祖父が6世尾上菊五郎(おのえきくごろう)という関係で歌舞伎(かぶき)の舞台を踏んだが、6世の死去に伴い1989年(平成1)7世を襲名した。

[林喜代弘・守谷幸則]

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改訂新版 世界大百科事典 「清元延寿太夫」の意味・わかりやすい解説

清元延寿太夫 (きよもとえんじゅだゆう)

清元節家元。(1)初世(1777-1825・安永6-文政8) 通称岡村屋吉五郎。初め初世富本斎宮(いつき)太夫(延寿斎)の門弟。斎宮吉(いつきち)を経て2世斎宮太夫。1811年(文化8)富本から分かれて豊後路清海(きよみ)太夫を名のり,14年清元延寿太夫と改めて清元節を創始。24年(文政7)清元延寿斎と改む。翌年劇場の帰途,殺された。生来の美音家であるのに加えて時代の好みに乗り,庶民に歓迎された。初演した語り物に《保名(やすな)》《(かさね)》《山姥(やまんば)》など。(2)2世(1802-55・享和2-安政2) 初世の子の岡村藤兵衛。巳三治郎を経て,1816年(文化13)清元栄寿太夫,27年(文政10)延寿太夫をつぐ。45年(弘化2)清元太兵衛と改む。美音家で鳴らし,世に〈名人太兵衛〉といわれた。初演した語り物に《お染》《落人》《神田祭》など。三味線は初世斎兵衛,初世栄次郎が弾いた。(3)3世(1822-58・文政5-安政5) 2世の門弟。本名町田繁次郎。材木商の子で,53年(嘉永6)ごろ延寿太夫をつぐ。悪声で芸才に乏しかった。(4)4世(1832-1904・天保3-明治37) 本名岡村源之助。2世の娘お葉の聟。58年(安政5)延寿太夫をつぐ。91年2世太兵衛,93年延寿翁となる。河竹黙阿弥と結んで《十六夜いざよい)》《夕立》《三千歳(みちとせ)》《雁金(かりがね)》など多くの名作を初演した。(5)5世(1862-1943・文久2-昭和18) 本名岡村庄吉。4世の養子。3世栄寿太夫を経て97年延寿太夫をつぐ。美声で名人といわれた。芸才と学識に富み,清元の語り方を上品に改め,素浄瑠璃の会を開くなど,清元節の社会的地位の向上につとめた。《幻椀久》《助六》などを作曲。(6)6世(1926-87・昭和1-62) 本名岡村清道。5世の孫。4世栄寿太夫の子。5世栄寿太夫を経て1948年延寿太夫をつぐ。
清元節
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新撰 芸能人物事典 明治~平成 「清元延寿太夫」の解説

清元 延寿太夫(4代目)
キヨモト エンジュダユウ


職業
清元節太夫

肩書
清元高輪派家元(4代目)

本名
岡村 源之助

旧名・旧姓
斉藤

別名
別名=清元 太兵衛(2代目)(キヨモト タヘエ),清元 延寿翁(2代目)(キヨモト エンジュオウ),号=紫雲庵

生年月日
天保3年

出生地
江戸(東京都)

経歴
妻は2代目清元延寿太夫の娘で、女清元節太夫として知られる清元お葉。江戸・谷中で市中屈指の質屋を営む三河屋の子として生まれる。安政5年(1858年)2代目延寿太夫の婿養子となり、4代目延寿太夫を襲名。河竹黙阿弥と提携して「十六夜」「夕立」「三千歳」「四君子」「雁金」などを作曲、劇場音楽としての清元の地位を高めた。明治24年2代目清元太兵衛、26年2代目清元延寿翁と改名。

没年月日
明治37年 3月16日 (1904年)

家族
妻=清元 お葉(清元節太夫)

親族
義父=清元 延寿太夫(2代目),女婿=清元 延寿太夫(5代目)


清元 延寿太夫(5代目)
キヨモト エンジュダユウ


職業
清元節太夫

肩書
清元高輪派5代目家元

本名
斉藤 庄吉

別名
前名=清元 栄寿太夫(3代目)(キヨモト エイジュダユウ)

生年月日
文久2年 8月13日

出生地
江戸・本所(東京都)

経歴
15歳で清元菊寿太夫に入門、明治23年12代目守田勘弥らの推薦で4代目延寿太夫の養子となり、翌年3代目栄寿太夫を名乗る。30年歌舞伎座で5代目延寿太夫を襲名し永井素岳作「青海波」「柏若葉」を披露した。近世の名人といわれる美声の持主で、清元ブームの元祖となった。大正3年清元会を創立、素浄瑠璃の演奏会によって清元の音楽的地位の向上に努める。昭和16年軍隊に航空機「延寿号」を寄贈。没後孫の岡村清道が6代目を襲名した。レコード「五世延寿太夫清元名演集」(ビクター)がある。

没年月日
昭和18年 5月22日 (1943年)

家族
養父=清元 延寿太夫(4代目),息子=清元 栄寿太夫(4代目),孫=清元 延寿太夫(6代目)


清元 延寿太夫(6代目)
キヨモト エンジュダユウ


職業
清元節太夫

肩書
清元高輪派6代目家元,清元協会会長

本名
岡村 清道

別名
前名=清元 栄寿太夫(5代目)(キヨモト エイジュダユウ)

生年月日
大正15年 9月27日

出生地
東京

学歴
慶応義塾大学文学部国文科〔昭和25年〕卒

経歴
祖父、父のもとで清元を修業。昭和16年5代目栄寿太夫、23年新橋演舞場の「助六」で6代目延寿太夫を襲名。39年清元協会の初代会長に就任。

没年月日
昭和62年 2月5日 (1987年)

家族
祖父=清元 延寿太夫(5代目),父=清元 栄寿太夫(4代目),長男=清元 延寿太夫(7代目)

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20世紀日本人名事典 「清元延寿太夫」の解説

清元 延寿太夫(5代目)
キヨモト エンジュダユウ

明治〜昭和期の清元節太夫 清元高輪派5代目家元。



生年
文久2年8月13日(1862年)

没年
昭和18(1943)年5月22日

出生地
東京・本所

本名
斎藤 庄吉

別名
前名=清元 栄寿太夫(3代目)(キヨモト エイジュダユウ)

経歴
15歳で清元菊寿太夫に入門、明治23年12代目守田勘弥らの推薦で4代目延寿太夫の養子となり、翌年3代目栄寿太夫を名乗る。30年歌舞伎座で5代目延寿太夫を襲名し永井素岳作「青海波」「柏若葉」を披露した。近世の名人といわれる美声の持主で、清元ブームの元祖となった。大正3年清元会を創立、素浄瑠璃の演奏会によって清元の音楽的地位の向上に努める。昭和16年軍隊に航空機「延寿号」を寄贈。没後孫の岡村清道が6代目を襲名した。レコード「五世延寿太夫清元名演集」(ビクター)がある。


清元 延寿太夫(6代目)
キヨモト エンジュダユウ

昭和期の清元節太夫 清元高輪派6代目家元;清元協会会長。



生年
大正15(1926)年9月27日

没年
昭和62(1987)年2月5日

出生地
東京

本名
岡村 清道

別名
前名=清元 栄寿太夫(5代目)(キヨモト エイジュダユウ)

学歴〔年〕
慶応義塾大学文学部国文科〔昭和25年〕卒

経歴
祖父、父のもとで清元を修業。昭和16年5代目栄寿太夫、23年新橋演舞場の「助六」で6代目延寿太夫を襲名。39年清元協会の初代会長に就任。

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百科事典マイペディア 「清元延寿太夫」の意味・わかりやすい解説

清元延寿太夫【きよもとえんじゅたゆう】

清元節の太夫の芸名・家元名。現在7世。初世〔1777-1825〕は清元の始祖。初世富本斎宮(いつき)太夫の門弟で2世を襲名したが,富本節の家元2世富本豊前太夫と不和になり,1811年富本から分かれ,1814年独立して一派をたて清元延寿太夫と名乗った。美声と新鮮な語り方で人気を集めたが,暗殺された。2世〔1802-1855〕は初世の実子。軽妙洒脱な芸風と美声で知られ,清元節の基礎を築いた。後名から〈名人太兵衛〉と尊称された。4世〔1832-1904〕は2世の女婿。河竹黙阿弥と提携して多くの名作を語った。5世〔1862-1943〕は4世の養子。清元の語り方を上品にし,社会的地位の向上に努めた人として有名。
→関連項目清元斎兵衛清元節青海波(音楽)

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朝日日本歴史人物事典 「清元延寿太夫」の解説

清元延寿太夫(初代)

没年:文政8.5.26(1825.7.11)
生年:安永6(1777)
江戸後期の清元節の初代家元。江戸横山町の茶油商に生まれる。本名岡村吉五郎。初代富本斎宮太夫(のち延寿斎)の高弟で2代目斎宮太夫を襲名。2代目富本豊前太夫と不和になり,文化9(1812)年富本を退き豊後路清海太夫の名で一派を樹立,11年清元延寿太夫と改名して清元節を創設した。「保名」(1818)の成功に際し「都座に過ぎたるものが二つあり延寿太夫に鶴屋南北」と落首によまれる。ほかに「須磨」「累」「山姥」などを好演。生来の美音に加え,庶民の好みや時代の要求を取り入れ清元節隆盛の基礎をおく。半面,浄瑠璃を語りくずして下品にしたともいわれた。文政7(1824)年剃髪して清元延寿斎と号した。翌年劇場からの帰途刺殺される。富本方に嫌疑がかかったが,犯人は不明。妻のお悦も清元節の名手。<参考文献>忍頂寺務『清元研究』,竹内道敬「初世清元延寿太夫の謎」(『近世芸能史の研究』)

(竹内有一)


清元延寿太夫(4代)

没年:明治37.3.16(1904)
生年:天保3(1832)
幕末明治期の清元節の家元。江戸屈指の質屋,谷中の三河屋に生まれる。本名斎藤源之助。放蕩ののち,見込まれて安政5(1858)年2代目延寿太夫の次女のお葉に婿入り,4代目延寿太夫を襲名する。河竹黙阿弥と深く提携して「十六夜」「夕立」「三千歳」「雁金」など数多くの名作を生み出し,劇場音楽としての清元節の地位を高めた。明治24(1891)年2代目太兵衛,26年延寿翁と改名。養子の3代目栄寿太夫が5代目を継ぎ,名手といわれたお葉と共に数々の芸談を残した。辞世の句「気はかろし接木仕遂げてひぢ枕」。<参考文献>伊原敏郎・後藤寅之助編『唾玉集』,井口政治編『延寿芸談』

(竹内有一)


清元延寿太夫(2代)

没年:安政2.9.26(1855.11.5)
生年:享和2(1802)
江戸後期の清元節の家元。初代の子で江戸生まれ。初名巳三治郎。文化13(1816)年松江藩主の松平不昧(治郷)より栄寿太夫の名をもらう。文政10(1827)年2代目延寿太夫を襲名。「お染」「落人」「神田祭」などを初演し,弘化2(1845)年太兵衛と改める。流行歌を作品に取り入れるなど時流にも敏感で,名人の名をほしいままにした。没後の評に,「序破急もなく人情薄しといへども当時の人気に適ひたる自在の美音なれば聞人なべて称嘆」(柳糸亭三楽『都の錦』1865)と伝えられる。妻の磯,娘のお葉も清元節の名人。門弟が3代目延寿太夫を継いだが芸才に乏しかった。

(竹内有一)

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「清元延寿太夫」の解説

清元延寿太夫(初代) きよもと-えんじゅだゆう

1777-1825 江戸時代後期の浄瑠璃(じょうるり)太夫。
安永6年生まれ。初代富本斎宮(いつき)太夫に師事し,2代目をつぐ。富本をはなれ,文化11年清元延寿太夫と名のり,清元節を創始。文政7年延寿斎とあらためる。生来の美声と庶民の好みにあった曲節で清元節の基礎をかためたが,文政8年5月26日暗殺された。49歳。江戸出身。姓は岡村。通称は吉五郎。前名は豊後路清海(ぶんごじ-きよみ)太夫。

清元延寿太夫(4代) きよもと-えんじゅだゆう

1832-1904 江戸後期-明治時代の浄瑠璃(じょうるり)太夫。
天保(てんぽう)3年生まれ。江戸の人。清元節家元2代延寿太夫の娘清元お葉の婿。安政5年4代をつぐ。河竹黙阿弥(もくあみ)とくみ,「十六夜(いざよい)」「雁金(かりがね)」など,おおくの名作を初演した。明治24年2代太兵衛,26年延寿翁と改名。明治37年3月16日死去。73歳。旧姓は斎藤。本名は岡村源之助。

清元延寿太夫(2代) きよもと-えんじゅだゆう

1802-1855 江戸時代後期の浄瑠璃(じょうるり)太夫。
享和2年生まれ。初代清元延寿太夫の子。清元節家元。栄寿太夫をへて文政10年2代目を名のり,のち太兵衛(初代)とあらためる。美声で知られ,端唄(はうた)をとりいれるなど工夫をこらし,「名人太兵衛」とよばれた。「お染」「神田祭」などを初演。安政2年9月26日死去。54歳。江戸出身。姓は岡村。通称は藤兵衛。

清元延寿太夫(5代) きよもと-えんじゅだゆう

1862-1943 明治-昭和時代前期の浄瑠璃(じょうるり)太夫。
文久2年6月25日生まれ。清元節家元4代延寿太夫,お葉夫妻の養子。明治30年5代目を襲名。美声と学識で知られる。清元節の語り口を上品にあらためて普及につとめた。大正3年清元会を創立。昭和18年5月22日死去。82歳。江戸出身。旧姓は斎藤。本名は岡村庄吉。

清元延寿太夫(7代) きよもと-えんじゅだゆう

1958- 昭和後期-平成時代の浄瑠璃(じょうるり)太夫。
昭和33年8月12日生まれ。6代清元延寿太夫の長男。7代尾上菊五郎に師事して歌舞伎の舞台にたち,昭和54年清元にもどる。57年6代清元栄寿太夫を襲名。平成元年7代清元延寿太夫を襲名し,清元節高輪派家元をうけついだ。東京出身。東京芸大卒。本名は岡村清太郎。

清元延寿太夫(6代) きよもと-えんじゅだゆう

1926-1987 昭和時代の浄瑠璃(じょうるり)太夫。
大正15年9月27日生まれ。5代清元延寿太夫の孫。父の4代栄寿太夫が昭和14年死去したため5代栄寿太夫となり,23年清元節家元6代延寿太夫をついだ。昭和62年2月5日死去。60歳。東京出身。慶大卒。本名は岡村清道。

清元延寿太夫(3代) きよもと-えんじゅだゆう

1822-1858 江戸時代後期の浄瑠璃(じょうるり)太夫。
文政5年生まれ。江戸の人。清元節家元2代延寿太夫の門弟で,その妹婿。嘉永(かえい)6年ごろ3代目をつぐが,芸才にとぼしく不評で,後年離縁された。安政5年8月10日死去。37歳。姓は町田。通称は繁次郎。

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367日誕生日大事典 「清元延寿太夫」の解説

清元 延寿太夫(5代目) (きよもと えんじゅだゆう)

生年月日:1862年8月13日
明治時代-昭和時代の清元節太夫
1943年没

清元 延寿太夫(6代目) (きよもと えんじゅだゆう)

生年月日:1926年9月27日
昭和時代の浄瑠璃太夫
1987年没

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