仏教に由来する語で,仏道をさまたげる悪神,人にわざわいを与える魔物を指す。魔は梵語〈マーラ(魔羅)〉の略で,人を殺したり人心を悩ませる悪霊,魔物であり,江戸時代には多く天狗を指した。天狗は人に害をなす反面,獲物のとれる方向を太鼓で知らせたりするよい面をそなえている。人にとり憑いてその人を一時的に狂気にさせたりするという魔性の動物も,他面,有益な予言や託宣を行うこともあると信じられていた。この点,西洋の悪魔の観念と異なっている。
西洋の悪魔は神に敵対するものであり,絶対的な悪としてとらえられている。悪魔と契約を結ぶ魔女は,キリスト教を冒瀆するものであり,当然処刑されるべきものと考えられた。ヨーロッパ人ほど魔女・妖術師に対する迫害を激しく徹底的に行った民族は他に例がない。アフリカでは妖術師と思われる者に毒薬を飲ませて有罪か無罪かを占ったあと,有罪者を処刑した社会もあるが,妖術師に対する告発は西洋に比べればおとなしいものであった。
西洋民族以外の諸民族では,神と悪魔の区別が不明確な場合が少なくない。たとえばインドネシアのバリ島民は,ムチャリンという魔神・悪魔が毎年疫病をもたらしにくると信じているが,この魔神は病気を治す神としてあがめられてもいる。アフリカのルグバラ族の片目,片手,片足の恐ろしい悪魔は,善神と別個の神ではなく,一つの神の悪なる側面を表すとされている。諸民族における悪魔という観念は,神や悪霊,死霊,精霊などの観念と不可分なことが多く,その観念内容は社会によってかなり異なっている。
執筆者:吉田 禎吾
西洋には例えば英語のdemon,devil,satanなど〈悪魔〉と訳される語は多い。そのうちサタンはヘブライ語に由来し,もとは〈敵対者〉の意味だが,キリスト教信仰の伝承過程で〈神の敵対者〉のなかの最高存在を指すようになった。旧約聖書ではなお,裁判所への告訴者,主の言説に対する反対者の性格が強いが,新約聖書では人類を誘惑して堕落させる悪しき霊の最高神格,あるいは〈この世の君(きみ)〉(《ヨハネによる福音書》12:31),〈死の権力(ちから)を有(も)つ者〉(《ヘブル人への手紙》2:14)と目されている。暗い誘惑者たる悪魔は,基本的にはキリストの光によって滅ぼされるが,この世の続く限り,人間はその誘惑に乗ぜられて,蘇(よみがえ)りのない死の手に陥る可能性がある。悪魔は,終末の日を俟(ま)たなければ絶滅しないのである。悪魔の発生源の一つは,天上から墜(お)ちた天使(ルチフェル)=星である。悪魔が堕ちた悪霊の人格的表現であるという教説は,ごく近年の第2バチカン公会議(1962-65)でも認められ,教皇パウルス6世によって確認されている。とはいえ,そのようなものとして外部から人間に悪と契約するように働きかけたり,はては悪魔の契約書を通じて個人の内部に棲みつく(悪魔憑き)という見解は,個人として存在する悪霊を祓う〈悪魔祓い(エクソシズムexorcism)〉や,悪霊に憑かれた地方共同体を排除する異端審問や魔女狩りのような中世的制度の余地を残すことになるので,カトリック神学内部でも,悪魔の表象を人間の内部にひそむ普遍的な悪と結びつける内面的理解が有力となりつつある。
神の敵対者,キリストの敵対者(アンチキリスト)である悪魔は,必然的に神の反像である悪魔を最高神とし崇拝する悪魔主義者を生み出す。キリスト教文化圏に発生した悪魔主義satanismが他の古代異教のなかの悪魔礼拝儀式と異なるのは,それが〈キリスト教的倒錯〉であるという点である。仏教にも,イスラムにも,それぞれ魔羅やイブリースのような悪神が存在し,古代ケルトのドルイド教やエトルリア文化にも類似の悪魔礼拝儀式はあったが,これらは倒錯を知らず,その行為はいまわしい悪として自覚されていない。キリスト教的悪魔主義のみが厳密に教会儀式のパロディまたは倒錯として成立したのである。教会がミサを行えば,これを裏返した悪魔ミサ(黒ミサblack mass)を行い,カトリックの慣習がミサに清浄な色彩である白を用いれば,黒ミサは黒い聖餅,黒い塗油を用いるというようにパロディを一貫させるのである。一方,正統教会に圧迫された異教徒たちは,古代異教や土俗宗教の悪神をキリストの反像として崇拝したので,内容的には排除された古代以来の土俗的異神を礼拝し,礼拝形式は教会ミサの倒錯として瀆神行為に耽った。中世の悪魔のなかには,このように多少とも教会によって地下に追われた古代や異教の神々の表象が混入した。パンやサテュロスのような獣身の古代の神々が悪魔の形象とされたのはそのためである。地方的な伝説や民俗伝承のなかのキリスト教以前の妖術師や魔術師が,キリスト教的解釈によって装いも新たに悪魔として蘇る場合もある。悪魔と契約して地獄に堕ちるファウストも,その誘惑者メフィストフェレスも,先行する古代伝説の中世的再話である。
悪魔との契約はしばしば性的妄想に結びついた。夜な夜なベッドを襲うインクブスincubus(魔女と情を通じる悪魔)やスクブスsuccubus(睡眠中の男子と交接する女の淫魔)がこれである。悪魔憑きはまた集団感染すると,14世紀アーヘンの〈聖ヨハネの踊〉や15世紀初頭ストラスブールの〈聖ファイトの踊〉のような舞踏表現をともなった。17世紀の異端審問官ランクルPierre de Lancreのスペイン国境バスク人の魔女狂気に関する調査には,この種の集団舞踏ブランルの記録が見える。これらの魔女舞踏は旧石器時代の豊穣舞踏に酷似していたが,豊穣舞踏の踊り手が踏んだ大地が生産力を帯びるのに対して,悪魔の信徒たちがそっくりの踊り方をすると,その大地はあべこべに不毛になるとされた。16世紀以降の悪魔は,魔女たちの生息する草深い夜の森から修道院や都会に浮上してくる。17世紀フランスの修道院を舞台にした悪魔憑き事件では,修道女たちが魔女の役を演じ,司祭が悪魔の役を割りふられた。このような悪魔司祭のなかでは,1661年にエクスで火刑に処せられた司祭ゴーフリディLouis Gaufridy,1634年に同じく火刑台に登ったイエズス会士グランディエUrbain Grandierなどが知られている。グランディエにまつわる事件(ルーダンの悪魔憑き)は先年カワレロウィッチJerzy Kawalerowicz監督によって映画化された(《尼僧ヨアンナ》1960)。一方,黒ミサは王の身辺にまで及び,ルイ14世の愛妾モンテスパン夫人がパリの魔女ボアザン夫人Mme.Voisinと組んで,恋仇のフォンタンジュMarie-Angélique Fontanges呪殺のために行った黒ミサは有名である。
文化史における悪魔の跳梁は,造形芸術の分野に早期の出現を見る。初期中世の教会彫刻は,悪を蛇,ドラゴン,バジリスクのような怪獣によって表現した。11世紀以来,人間と動物の混合種がこれに加わり,人体に翼や尻尾やヤギ脚や角を生やし,髪を逆立てて異様にしかめた顔の怪物彫刻が制作される。それらは下層職人の無意識のなかから浮上してきた古代異教神の似姿であり,また人界からもっとも離れた辺地の生息物の諸特性(空の鳥の翼,海中生物の水かき,森の獣の角や蹄)を集めた多重構造物であった。16世紀以降の脱神話化して人間の形姿をとる悪魔は,むしろ最後の審判(L.シニョレリ)や地獄堕ち,キリストや聖者への誘惑(M. パッヒャー),死神としての悪魔(デューラー)のように寓意化された。悪魔芸術の最後の燿(かがよ)いは,19世紀末,F.ロップスやG.モローの象徴主義絵画にまで届いた。文学では,16世紀以降の悪魔学書がしだいに脱神話化され,神父たちの教化文学が世俗化されるにつれて,詩人と小説家が悪魔の肖像作家となる。文学上の悪魔主義はダンテの《神曲》とミルトンの《失楽園》に始まり,18世紀末,〈サドとバイロン卿の影の下〉(M.プラーツ)に展開され,ナポリの夭逝詩人G.レオパルディと19世紀後半のノーベル賞詩人G.カルドゥッチ,ボードレールの《悪の華》,J.K.ユイスマンスの《彼方》に病める花々を咲かせた。日本でも谷崎潤一郎の初・中期作品が悪魔主義の名で呼ばれるが,その悪魔主義はキリスト教的倒錯とは無縁であり,もっぱら美的倒錯として成立した。
→怪物
執筆者:種村 季弘
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
われわれが普通、悪魔という場合、西洋のデビルdevilをさすことが多いが、日本語の「悪魔」および「魔」という語は本来仏教語で、修道の障害をなす悪霊(あくりょう)、善事に災いをもたらす悪神であるサンスクリット語マーラMāraに由来するとされる。それは瞑想(めいそう)中の僧を妨害し、騒音をたてたり、しばしば野生の鳥や獣に変装して、人々を脅かす。こうした悪魔・悪霊信仰は仏教の本質的要素とはいえないが、仏教の興隆時、古代インドではかなり広く普及していたと思われ、初期仏典にも登場している。
一般に、悪魔といった場合、そのような悪霊、魑魅魍魎(ちみもうりょう)の類から神と対抗する存在に至るまでさまざまであるが、いずれもある特定の神格によってとってかわられる前の既存の神々の末裔(まつえい)であることが多い。さまざまな手段を行使して世界を混乱に巻き込み破壊する悪魔は、多くの未開宗教において、宇宙を創造しその秩序を維持する神に対抗する存在として描かれるが、ときにはその争いはこの世界の終末にまで持ち越され、神およびそれに従う天使たちと悪魔および悪霊たちとの最後の決戦によって、結末を迎えることもある。
西洋のデビルはギリシア語のディアボロスdiabolosに由来するが、それはのちにキリスト教に取り入れられてサタンSatanとなる。サタンは、エジプトの宗教のセトSetと同様、悪の原理の人格化とみなされるが、当初においてはルシファーLuciferという名の大天使であった。彼は神の試練に堪えきれず下界に堕(お)とされたので「堕(だ)天使」ともよばれる。このキリスト教の悪魔観の成立にはイランの善悪二元論が大きな影響を与えたといわれるが、確かに、最後にサタンやイブリースIblīsが神のもとに従属するという展開は、コーカサスやアルメニアにおいてはかなり古くからなじみ深いものであったといえよう。
世界の起源を説明する場合、本来的には二つのやり方がある。一つは、二つの相反する性質――創造者であり破壊者である――をもつ最高神シバ、ビシュヌ、ゼルバンなどによる世界の創成であり、もう一つは、世界は善と悪という二つの相反する力によって創造されるというものである。後者の場合、もっとも代表的なのが古代イランのゾロアスター教の教えであり、そこではアフラ・マズダーとアフリマンという善悪二つの原理を表す神格によって世界は統御されている。この悪神アフリマンこそキリスト教の悪魔観の形成にもっとも重要な役割を果たしたとされる。『旧約聖書』においては、ヤーウェは善悪両方の源泉であって人間に危害を及ぼすことも多く、それは「神の怒り」とか「神の審(さば)き」というように説明されている。サタンはそこでは悪の原理を代表する存在としては描かれていない。紀元前6世紀ごろのサタンは単に「敵」の意であった。それが、「ヨブ記」では、ヨブに試練を与える悪神たる性格をあらわにし、前1世紀に至るや、サタンは「創世記」のヘビと同一視されたり、世界に死をもたらした存在として非難を被るようになる。
ダンテによると、悪魔は三つの頭をもつという。ヤギの角(つの)、尾、割れたひづめをもつその形姿は、たぶんパンやサテュルスなどの異教の神々に由来するものであろう。
イスラム教の悪魔・悪霊にあたるのはジンJinnで、本来は「呪術(じゅじゅつ)的力」のことである。ジンは火からつくられるとされるが、善悪ともにあるなかで、悪いジンをシャイターンShaitānまたはイブリースともいう。
[植島啓司]
悪魔にあたる霊的存在はほとんど世界各地で信じられているが、それが意味するものはかならずしも同じではない。キリスト教文化では悪魔は神に敵対する絶対悪であるが、たとえば英語の悪魔demonの語源ギリシア語のdaímōnは単なる霊的存在を意味するもので善にも悪にも働くように、未開社会ではしばしば悪魔と神(善神)の区別はあいまいである。神も怒れば人間に災いを及ぼすし、逆に悪魔も慎重に慰撫(いぶ)すれば恵みをもたらす。日本でも祟(たた)り神も祭り上げれば強力な善神となる。むしろ多くの社会で神は善神と悪神の両面をもっている。ヨーロッパのキリスト教地域、イスラム教地域のように土着の宗教をもつ所に新しい宗教が入った場合、あるいは侵入者が新しい宗教を持ち込んだとき、古い神々、被征服民の神々は悪魔にされることが多い。神が世界の社会的、道徳的秩序の創造主であり守護者であるのに対して、悪魔はそれらの破壊者とされ、反社会的な人間、たとえば妖術者や邪術師は悪魔と結び付いているとされることがヨーロッパをはじめとして多い。悪魔に対する信仰は文化や社会秩序の崩壊に対する恐怖を反映しており、そして悪魔に対する不安が人々を社会規範の遵守に向かわせる。悪魔は神や世界秩序を強調するものであり、その意味では神と悪魔はたがいに補完的対立にあるといえるのである。換言すると、悪魔の存在は二元論的な世界観を支えるためにも必要なのである。
[板橋作美]
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…38年首都への帰還を許され,文壇の流行児としてもてはやされても,上流社会を見下した態度は変えなかった。永遠の反逆児を描いた叙事詩の最高傑作《悪魔》が長い推敲(すいこう)の末,舞台をカフカスに移して38年にほぼ完成する。39年同じカフカスを背景に,自由の身にあこがれつつも傷つき倒れた見習修道士の物語《ムツィリ》が書かれ,亡き母を追慕した《コサックの子守歌》(1840),生を凝視した《わびしくも悲し》(1840)などの抒情詩の逸品が続々と生まれてゆく。…
…この俗信は中世に至ってさらに強化される。魔女は通常コウモリに化身して家々を訪れるとされ,中世キリスト教美術ではコウモリの翼をもつ悪魔が盛んに描かれた。これはさらにダンテの《神曲》によって,コウモリの翼をもつ魔王サタンの姿に定着された。…
…イスラムではシャイターンshayṭānという。悪魔・悪霊などと同一視され,その概念は必ずしも一定ではない。サタンは,旧約聖書では神に従属するものとされ,神対サタンという二元論は避けられている。…
…一般に鬼神,守護神,悪魔などを意味し,本来は超自然的・霊的存在者を表すギリシア語ダイモンdaimōnに由来する語。ホメロスではほとんど〈神〉または〈神の力〉の同義語として扱われ,あらゆるできごとを引き起こす真の原因と考えられている。…
…そしてこれもキリスト教布教以前にケルト人の間で崇拝されていた神の姿である。そしてこれらの有角神は,ギリシア神話の半獣神パンなどのイメージと複合しながら,やがてキリスト教文化の下で悪魔として零落していくことになる。その場合は鹿とともに山羊のイメージも付与された。…
…新約聖書が悪魔を指して用いる多様な呼称(サタン,ベリアル,〈年を経た蛇〉など)の一つで,〈悪霊のかしら〉(《マタイによる福音書》12:24)と考えられた。元来はペリシテ人の都市エクロンの神〈バアル・ゼブルBaal‐Zebul(崇高なるバアル)〉の名が,ヘブライ語では〈バアル・ゼブブBaal‐Zebub(蠅のバアル)〉と蔑称化(《列王紀》下1章を参照)されたもので,新約聖書ではギリシア語形で現れている。…
…このほかにも,西インド諸島で信仰されている破壊力を持つ蘇生死体ゾンビzombie,魔女が自分の乳で育てて邪悪な目的に使役する使い魔familiar spiritなどはこの部類に加えることができよう。 中世からルネサンスにかけてのキリスト教世界では,〈魔女狩り〉の集団ヒステリーが妄想を生み,悪魔の手先とされる多数の妖怪が生みだされた。A.デューラーやJ.カロが描いた悪魔や地獄の魔物,怪物などはその視覚化であり,悪魔や魔物の特性や相互関連を研究する悪魔学も成立した。…
※「悪魔」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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