SF映画(読み)エスエフえいが(英語表記)science fiction film

改訂新版 世界大百科事典 「SF映画」の意味・わかりやすい解説

SF映画 (エスエフえいが)
science fiction film

SF映画の歴史は,1895年,イギリスの作家H.G.ウェルズが彼の空想科学小説《タイム・マシン》(1895)のイメージを,友人の科学者R.ポールの協力のもとに,当時発明されたばかりの〈映画〉と幻灯を駆使して,遊園地のびっくりハウス的な幻覚ショーを催したときに始まる。これは一種の疑似体験としての世界最初の視聴覚メディアの実験でもあった。次いで1902年,フランスの奇術師G.メリエスがJ.ベルヌの空想科学小説から初の〈SF映画〉《月世界旅行》を完成した。

 第1次世界大戦直後の19年,ドイツ表現主義映画の最初の傑作として名高いR.ウィーネ監督の《カリガリ博士》が,マッド・サイエンティスト(狂った科学者),その実験から生まれた怪物,怪物に襲われる美女という〈怪奇映画〉のパターンを創造した。さらに,フリッツ・ラング監督の《メトロポリス》(1926)は,表現派というよりも初の本格的SFスペクタクルであり,ロボットを作る実験室のエピソードや,バベルの塔建設の幻想などを,〈シュフタン・プロセス〉による特殊効果を駆使して描いた壮大な作品だが,興行的な失敗から製作会社のウーファを破産寸前に追い込んだ。当時これを見て愚の骨頂とこきおろしたウェルズは,それから10年後,〈ロボット労働者や超高層建築といったがらくたのイメージを払拭(ふつしよく)した真の未来映画〉の範を示すべく,自作の小説《来るべき世界Things to Come》(1933)をみずから脚色し,W.C.メンジース(1896-1957)が監督して,SF映画史に残る作品となったが,これまた興行的には敗退した。一方,ハリウッドでも,30年に初のSFミュージカル《50年後の世界》(デビッド・バトラー監督)が失敗するという例もあり,未来ものは当たらないというジンクスができて,SF映画はメジャー各社からは敬遠された。その裏には,パラマウントが,ウェルズの《宇宙戦争》(1898)の映画化を1925年に立案し,スペクタクル映画の巨匠セシル・B.デミルに白羽の矢を立てたが,デミルは興味を示さず,30年にはエイゼンシテインが,原作者の快諾を得て映画化を企画して果たさず,さらに32年にはヒッチコックがイギリスで映画化を企画し,製作者A.コルダが乗り気になったものの,映画化権を握ったパラマウントとの折合いがつかず,結局,コルダは同じウェルズの前述の《来るべき世界》を製作するに至ったといういきさつもある。そして38年には,アメリカで当時23歳のオーソン・ウェルズがこれをラジオドラマ化(《火星人来襲》)してセンセーションを巻き起こすことになる。結局,恐怖の火星人がスクリーンに姿を現すまでには,さらに20年ほどの歳月が流れることになる。

 そうした本格SF不振の反面,当時〈怪奇映画〉で当てたユニバーサルが,1936年に,いわゆる〈スペース・オペラ〉(宇宙を舞台に善と悪が闘うヒロイックな冒険小説や劇画)を〈連続活劇〉として映画化したバクター・クラブ主演の《フラッシュ・ゴードン》(当時のメジャー作品1本の半分の予算で,シリーズ全26本を6週間で撮り上げたという)を大ヒットさせ,その総集編が《超人対火星人》と題して日本でも公開された。続いて,そのシリーズの続編(1938,40)や,同じ主演者による《バック・ロジャース》シリーズ(1939。日本では総集編を《原子未来戦》のタイトルで公開)が作られた。このことから,〈巨費を投じてまともに作ったSFは当たらないが,ボール紙のセットとでくのぼうの役者と陳腐なプロットでいけば金になる〉という,新たなジンクスが生まれた。こうして,SF映画はひとまずハリウッドのB級映画のジャンルの一つとなる。

 そうした中で,特筆すべきは,怪奇映画の古典的名作となった《キング・コング》(1933)の誕生である。絶海の孤島の奥に,前世紀そのままの世界があるという,A.C.ドイルの《失われた世界》的な設定によるこの映画は,そもそもは,A.B.シュドサックと共同監督したM.C.クーパーの〈ゴリラと大トカゲを闘わせる〉という,〈やらせ〉記録映画の企画から生まれた。つまりは怪奇・恐怖映画の客層をねらった発想なのだが,RKOの技術部門で,恐竜の模型アニメーション(人形アニメーション)に取り組んでいた特撮の名手W.H.オブライエン(くしくも前述のドイルのSFの映画化《ロスト・ワールド》(1925)の特撮も担当している)の仕事ぶりを見て,この技法で巨大ゴリラを大暴れさせようと決心したことから,上映時間1時間40分のうち,後半1時間はすべて山場に次ぐ山場という,空前の特撮スペクタクルが完成。そのパニック場面の数々のほら話的な壮大さは,げてものの域をこえたSFのイメージに満ちていた。悲鳴美女フェイ・レイをひたすら追い求めたがゆえに,エンパイア・ステート・ビルの頂上から,あえなく撃ち落とされる凶暴かつ哀れなキング・コングの〈人間味〉が,圧倒的な人気を博し,RKOは〈コングとフレッド・アステア〉によって赤字続きの屋台骨を支えることになる。

アメリカで,真の意味でのSF映画ブームが始まるのは1950年代である。その理由として,宇宙開発の急速な進展が大衆の想像力を刺激したことや,1947年以来のUFO目撃者の急増,マッカーシー旋風(マッカーシイズム)のあおりで〈コミュニストの脅威〉が社会的な強迫観念にまで高まったこと(ロラン・バルトが《神話作用》でいうように,〈円盤は,ソビエトの未知の何か,他の惑星と同じように明白な意図の知られていない世界からやってくるのだと仮想されていた〉),さらに,広島への原爆投下以来,核兵器の脅威と世界滅亡の予感がアメリカ社会一般に広がり始めたことなどがあげられる。

 50年,ハンガリー生れの人形アニメーション作家G.パル(1908-80)が劇映画に進出し,SF作家R.ハインラインの協力(原作および共同脚本)を得て,テクニカラーによる特撮もの(人形アニメーション併用)《月世界征服》(1950。I. ピシェル監督)をイーグル・ライオンで製作し,SF映画としては空前のヒットとなった。その製作を知ったB級映画専門のリッパート・プロが3週間で撮り上げ,ひと足お先に封切った便乗映画《火星探険》も,わずか9万4000ドルの製作費で100万ドルの興収を上げた。これが口火となって各社こぞってSFに取り組み,RKOが恐怖の侵略型宇宙人(インベーダー)物《遊星よりの物体X》(1951),フォックスが核戦争の愚かさをさとす友好型宇宙人物《地球の静止する日》(1951),モノグラムが二色方式シネカラーによる安手の宇宙物《火星超特急》(1951),パラマウントがG.パル製作のテクニカラー特撮による破滅物《地球最後の日》(1951)を作り,いずれもヒット。53年には年間27本の長編が作られるに至った。

 〈サイエンスフィクション〉なることばは,H.ガーンズバックが主宰する《アメージング・ストーリーズ》誌から1929年に生まれて以来,もっぱら小説の呼称として使われてきたわけだが,ここに至って,初めて〈書かれたサイエンス・フィクション〉に対して,〈ムービー・サイエンス・フィクション〉,または〈スクリーン・サイエンス・フィクション〉が市民権を得たといえる。

1950年代のSF映画の二大特色は〈インベーダー物〉と〈放射能怪獣物〉で,映画史家S.C.アーリーによれば〈怪奇映画が50年代になってSF映画になって現れた〉ことになり,〈狼男やミイラ男や歩く死骸(ゾンビ)が,宇宙からの侵略者や核爆発の放射能によって眠りからさめた太古の恐竜,あるいは巨大化した生物になった〉のである。〈インベーダー物〉についていえば,当時,前述の《地球の静止する日》のような平和の使者的宇宙人は例外で,以後,76年の《地球に落ちてきた男》,77年の《未知との遭遇》における〈友好的宇宙人〉の登場まで,SFのスクリーンは,スーザン・ソンタグのいう〈惨劇のイマジネーション〉〈破壊の美学〉一色に染め上げられることになる。その代表作が1953年の《宇宙戦争》で,パラマウントが握っていた映画化権がやっと実を結ぶ。これは監督のB.ハスキンよりも,SFファンタジー物専門の製作者G.パルのフィルムといえるだろう。宇宙船から発射される赤や緑の破壊光線の強烈な原色効果は,パルの人形アニメの〈悪夢のミュージカルナンバー〉そのもので,パニック映画としての最高の迫力を生んだ。《宇宙戦争》の色彩効果を受け継いだJ.ニューマン監督の《宇宙水爆戦》(1955)は,のちに評価が高まった。この作品は,かつての《フラッシュ・ゴードン》から,きたるべき《スター・ウォーズ》までの,いわば〈スペース・オペラ〉の空白をつなぐ位置を占めるフィルムでもあった。

 同じ侵略宇宙人でも,《来るべき世界》のW.C.メンジース監督の《惑星アドベンチャー》(1953。シネカラー)の火星人は,地球人の後頭部に指令装置を埋め込み,地球征服に協力させるという知能犯型。物理的な破壊ではなく人間の精神を侵略するのである。ジャック・フィニー原作,ドン・シーゲル監督の《盗まれた街》(1956)では,宇宙からやってきた人間大のさやが,一夜にして眠っている人間そっくりの複製となり,すり替わってしまう。ただ,彼らには人間の喜怒哀楽の感情がない。SFスリラーの小傑作と呼んでいいこの作品は,当時のアメリカでまったく逆の二通りの受取られ方をした。一つは,複製人間=コミュニストという反全体主義の見方,もう一つは,〈赤狩り〉に扇動された保守的な気風が広がるありさまを表現しているという反マッカーシイズムの見方である。それは,この映画の脚色が〈赤狩り〉のブラックリストにのせられたダニエル・メインウォーリングだからという解釈からだけではなく,のちにN.ジュイスンが撮ったSFならぬPF(ポリティカル・フィクション)コメディ《アメリカ上陸作戦》(1966)で戯画化された,アメリカ小市民の〈コミュニズム〉恐慌症によるのだろう。なにしろ,テレビシリーズ《インベーダー》(1967)に至っては,侵略宇宙人を目撃した主人公が,その事実を人々に伝えようとするが信用されないというパターンの反復で,正体を見破られて射殺されたインベーダーが,〈赤く光って〉消滅するのである。一方,こういう〈人間に化けた宇宙人〉物は,製作者にとってはグロテスクなメーキャップに手間と費用をかけたあげく,しょせんはげてものになってしまう怪奇SFよりも,安直で効果的という利点もあったといえよう。〈放射能怪獣物〉,つまりSFモンスターとしては,レイ・ブラッドベリの短編《霧笛》に基づいた《原子怪獣現わる》(1953)が皮切りとなる。これは特撮のレイ・ハリーハウゼンの師である,《キング・コング》のW.オブライエン直伝の〈模型アニメーション〉による恐竜のしっぽの先まで動くアニメートが見ものだった。この映画のヒットに続いて,巨大なアリ(実寸の模型を操り操作で動かす)が人間を襲う《放射能X》(1954),巨大なタコが都会を襲う,これもハリーハウゼン特撮の《水爆と深海の怪物》(1955。日本では短縮版で公開),さらに,リチャード・マシスン原作の,放射能の霧を浴びた主人公が日に日に縮んでいき,相対的に猫やクモが巨大化したのと同じ危機に襲われるという逆発想の《縮みゆく人間》(1957)などが作られた。ちなみに《縮みゆく人間》の監督ジャック・アーノルド(1916-92)は,ブラッドベリーのオリジナルシナリオによる,赤青眼鏡方式の立体映画《それは外宇宙からやって来た》(1953。未),やはり赤青立体方式(ただし日本では普通版で公開)による,《キング・コング》のエロチックな〈美女と野獣〉伝説にのっとった《大アマゾンの半魚人》(1954),毒グモが巨大化する《タランチュラの襲撃》(1955)などの,1950年代のSF映画に実績を残した職人監督である。一方,日本では本多猪四郎監督,円谷英二特殊技術監督による東宝作品《ゴジラ》(1954)が誕生する。企画段階の題名は《海底二万哩の大怪獣》で,これは《原子怪獣現わる》を想起させる。この大ヒットによって,ぬいぐるみの怪獣がミニチュアの都会を踏みつぶす東宝特撮シリーズが生まれ,アメリカでも,レイモンド・バーの出演シーンを撮り足して再編集し,画面の天地を削ってシネスコ版プリントにした《怪獣王ゴジラ》が公開されてヒットした。しかし,ハリーハウゼンの巧緻(こうち)なアニメーションに比して,〈100ポンドのゴジラ・スーツを着こんだみすぼらしい怪獣〉との酷評も受けている。もっとも安直な割りに効果的な〈ゴジラ・スーツ〉方式は一部で注目され,のちにイギリスでネーミングまでゴジラに似た《怪獣ゴルゴ》(1961)なども作られた。

 こうした50年代のSF映画群を〈世界的な不安を反映し,同時にそれを和らげてくれる〉現代の寓話としてとらえたS.ソンタグは,それらのプロットのパターンを,いくつかのバリエーションを含めて次のように分析している。(1)到来(怪獣の出現,他の天体からの宇宙船の着陸など)。発見者はふつうただ1人で,もっとも多くの場合,科学者である若い主人公である。(2)大破壊の現場をおおぜいの人間が目撃して,発見者(主人公)の報道が確証される。(3)首都で科学者のグループと軍隊の間で対策会議が開かれる。(4)破壊のイメージが続く。主人公のガールフレンドに危機が迫る。軍隊の無力と都市の壊滅。(5)最終的戦術の成功と怪獣またはインベーダーの敗退。主人公とガールフレンドはほおを寄せ合い,屹然(きつぜん)と空を見上げる。〈ほんとうに全滅したのだろうか?〉。

 なお,この時期,J.ベルヌ原作,R.フライシャー(1916-2006)監督のディズニー・プロ作品《海底二万哩》(1954)が,インベーダーとも放射能怪獣とも無縁なアドベンチャーSFとして作られている。イギリスでは,B.ゲスト監督のハマー・プロ作品《原子人間》(1955)がヒットした。BBCのテレビドラマの映画化だが,地球にもどった宇宙飛行士が,付着していた宇宙寄生体(?)に侵されてしだいに奇怪な姿になり,病院を脱出して人や獣を襲い,血を吸いつくす。だれにも説明のつかない不気味さは,当時としてはかなり強烈で,SFの設定を借りた怪奇映画といってもいい。事実,ハマー・プロは,50年代後半から《ドラキュラ》《フランケンシュタイン》などの怪奇映画路線に活路を見いだすことになる。ほかにも,怪奇ともナンセンスともつかぬ作品は無数にあり,核爆発によって文明が滅びた後に生き残った数人(この設定も低予算SFに多く,いまだに作られている)の中に,ギャングが1人,ストリッパーが1人いて,彼らが三つ目の食人ミュータントに襲われるという,ロジャー・コーマン(1926- )監督の《原子怪獣と裸女》(1956)のような珍品も現れ,“Z”movie,“Z”trash(B級ならぬ〈Z級映画〉,これ以下はないという〈最低のがらくた〉)と呼ばれるに至った。こうしたピンからキリまでのSFラッシュの中で,ハリウッドの名門というべきMGMが,初めてSFに手を染め,シェークスピアの《テンペスト》を宇宙物に翻案した大作,F.M.ウィルコックス(1905-64)監督の《禁断の惑星》(1956)を製作。若い探検隊員に愛娘を奪われたくない博士の潜在意識が,姿なき怪物と化して宇宙船を襲うというのは,当時としては優れてSF的な発想で,ただ見えぬままでは映画にならないため,電磁バリアーにかかってレーザー銃の一斉射撃を受けるくだりで,その赤い火花に縁取られて肉食獣のごとき姿が浮かび上がる光景(ディズニー・プロから出向したアニメーター,I.G.リースとJ. メドーが担当)は大迫力である。ただし宣伝面では,コメディ・リリーフ的なずんぐり型ロボットのロビーを前面に押し出した。それでも〈イドの怪物〉という根本の発想は,一般観客には理解しがたいものだったらしく,興行的には不振で〈早すぎた名作SF〉の1本になってしまった。

 マッカーシイズムと米ソ冷戦の時代が去ると同時に,SF映画ブームは衰退し,以後68年まで,何本かの異色作が断続的に作られるにとどまった。例えばG.パル監督の《タイム・マシン》(1960),そして,それ以来浮上してきた〈時間テーマ〉によるクリス・マルケル監督の短編《ラ・ジュテ》(1964),A.レネ監督の《ジュ・テーム,ジュ・テーム》(1968)。さらにW.リラ監督の《光る眼》(1960),コーマン監督《X線の眼を持つ男》(1963),マリオ・バーバ監督の《恐怖の怪奇惑星》(1965),ゴダール監督の《アルファビル》(1965),トリュフォー監督の《華氏451》(1966)。その中で注目すべきは,《海底二万哩》を撮ったフライシャー監督の《ミクロの決死圏》(1966)で,縮小された原子力潜航艇が,人体の血管内を進むイメージは,きたるべき《2001年宇宙の旅》の前ぶれともいえる。

1968年,20世紀フォックス社の《猿の惑星》と,MGMの《2001年宇宙の旅》によって,SF映画は新しい歴史の幕をあける。SFファンだけでなく,タイム・パラドックスを扱ったハードなSFながら一般のおとなや子どもにも人気を博し,通算5本のシリーズになるほどの大ヒット作となった《猿の惑星》によって,SF映画は興行的信用を獲得し,またSF作家A.C.クラークの脚本と,NASA(ナサ)の全面的協力による最新のテクノロジーを映像技術に導入した,スタンリー・キューブリック監督の70ミリ超大作《2001年宇宙の旅》は,SF映画として初めて世界的にベストテン映画としてランクされるという〈芸術的〉評価を得た。この作品のクライマックスのサイケデリック効果は,それに続く,人類の進歩,生と死,生命の永遠性をシンボライズした〈哲学的〉部分を難解とする観客にさえも,理解を超えた異次元を有無をいわせず疑似体験させるという意味で,1895年にH.G.ウェルズの催した幻覚ショー以来の斬新な映像の実験といえる。また,人格をもったコンピューター〈HAL〉に表された,人間のコントロールを超えるテクノロジーの進歩への脅威は,それ以前に《禁断の惑星》の姉妹編《宇宙への冒険》(1957)にも描かれているが,作品自体の子どもっぽさのため,話題にはされなかった。《2001年宇宙の旅》以来,人類よりも優秀な電子頭脳による世界支配の悪夢は,往年のインベーダーや放射能怪獣にとってかわる近未来のリアリティをもつ主要なモティーフとなり,〈《メトロポリス》のロボットの形を変えた復活〉ともいわれた。D.F.ジョーンズの小説《コロサス》の映画化,J.サージェント監督の《地球爆破作戦》(1970)は,その中から生まれた小傑作といえる。また,同じころに作られたR.バディム監督の《バーバレラ》(1967)は,SFエロチック・コミック・ストリップ(劇画)の映画化で,SFのイメージ自体は格別のこともないが,いわばコスチューム・プレー宇宙版といったそのフィーリングは,きたるべきSFエンタテインメントの時代を予告したものともいえる。

 《2001年宇宙の旅》の特殊視覚効果と,《猿の惑星》の寓話的ストーリー性をミックスすれば,SF映画は芸術的にも商業的にも成功するという確信をもったプロデューサーのG.カーツと監督のジョージ・ルーカスは,かつてのSF劇画と〈連続活劇〉の粋を集めた《スター・ウォーズ》を77年に発表,これとスティーブン・スピルバーグ監督のUFO映画《未知との遭遇》(1977)の〈興行記録を書き換えた〉ヒットによって,SF映画は,従来の〈SF=サイエンス・フィクション〉ではなく〈SF=サイエンス・ファンタジー〉(スペース・オペラを含む)として,西部劇やミュージカルが衰退した後のハリウッドをささえるドル箱となった。宇宙怪奇映画《エイリアン》(1979),冒険活劇《スーパーマン》(1979),そして,《ピーター・パン》を下敷きにした宇宙ホームドラマ,スピルバーグ監督の《E.T.》(1982)によって頂点を迎えたわけだが,この新たなSFブームに共通の要素として,1940年代の連続活劇(日本ではほとんど公開されなかった)や,50年代のB級SF映画の〈定石の楽しさ〉を,最新のコンピューター技術を導入した特撮を駆使して展開したエンタテインメント復権の魅力があげられる。もう一つの50年代のSFの映画的記憶の再現として,3D(立体)映画の復活という現象があり,さらに特撮の発達(圧搾空気を用いた変身シーン)を媒介にして,《アルタード・ステーツ》(1980)や《遊星からの物体X》(1982)などのような,SF映画から怪奇映画への逆流現象も見られる。《2001年宇宙の旅》の観念的哲学的な要素は,アメリカよりもむしろ,ソ連のアンドレイ・タルコフスキー監督(1932-86)の《惑星ソラリス》(1972。スタニスワフ・レム原作)や,《ストーカー》(1979)に継承されているというべきかも知れない。
SF →怪奇映画
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内のSF映画の言及

【2001年宇宙の旅】より

…1968年製作。シネラマ・70ミリの大画面によるSF映画で,400万年前の原始時代に始まり,一気に2001年の未来まで飛ぶ。なぞの黒い石板モノリスの秘密を追う宇宙飛行士が,木星に接近してから,異次元空間(サイケデリック効果)にまきこまれ,新人類誕生を予感させるスターチャイルドに生まれ変わるという結末は,飛躍した展開と説明を極度に抑えて解釈を観客各自にゆだねた演出のため,大傑作という評価と冗長で難解という評価にわかれた(日本では大阪・名古屋など一部の地域の封切りで,ラストの〈白い部屋〉のシーンに日本語の解説ナレーションを流すという苦肉の策をとり,かえって観客を混乱させたりした)。…

【メトロポリス】より

…ラング自身は後年,失敗作であったことを認めている。なお,70年代に入って〈アメリカ版〉が,電子音楽のサウンド・トラック入りで,おりからのSF映画ブームに乗って再公開された。【柏倉 昌美】。…

※「SF映画」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

ゲリラ豪雨

突発的に発生し、局地的に限られた地域に降る激しい豪雨のこと。長くても1時間程度しか続かず、豪雨の降る範囲は広くても10キロメートル四方くらいと狭い局地的大雨。このため、前線や低気圧、台風などに伴う集中...

ゲリラ豪雨の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android