各国の中央銀行が、金利や通貨供給量を調整することで物価の安定を図り、国民経済の健全な発展に資することを目的として実施する経済政策。
[白井さゆり 2022年6月22日]
日本銀行政策委員会の金融政策決定会合において金融市場調節方針が決定され、その方針に沿って日本銀行が金融市場に対して資金供給または資金吸収(公開市場操作、オペレーション)を日々実施することで、短期の市場金利を誘導する。一般的に、金融市場調節の操作対象として短期金利を採用することが多く、その金利は「政策金利」ともよばれる。日本銀行では無担保コールレート(オーバーナイト物)を採用してきた。おもな資金供給手段として、共通担保資金供給オペレーション(国債などを担保にとって金融機関へ貸し付けて資金供給)、資産買入れオペレーション(国債や国庫短期証券などを買い入れて資金供給)、国債買現先(かいげんさき)オペレーション(国債や国庫短期証券をあらかじめ定めた期日に売戻し条件付きで買い入れて資金供給)などがある。一方、おもな資金吸収手段としては、手形売出しオペレーション(日本銀行が振り出した手形を売却して資金吸収)、国債売現先オペレーション(日本銀行が保有する国債などをあらかじめ定めた期日に買戻し条件付きで売却して資金吸収)、国庫短期証券の売却オペレーションなどがある。
その他の貸付制度として「補完貸付制度」(ロンバート型貸出制度)がある。金融機関からの借り入れ申請を受けて、担保の範囲内でいつでも受動的に資金を融通する仕組みで、貸付期間は1営業日である。適用利率は、2008年(平成20)12月以降、年0.3%が維持されている。金融機関はこれより高い金利で金融市場から資金調達をするとは考えにくいため、同利率が短期の市場金利の上限を形成している。
また、「補完当座預金制度」は、日本銀行が受け入れる当座預金などのうち、「所要準備額」(金融機関の預金に対して預金準備率が適用される金額)を除いた、「超過準備額」に対して利息を付す制度である。2008年に補完当座預金制度が導入されて以降、付利は2016年1月末の金融政策決定会合でマイナス金利の導入を発表し、翌2月16日に実施するまでは、年0.1%が適用されてきた。補完貸付制度の適用利率と補完当座預金制度の付利が、それぞれ金融市場の金利の上限と下限を形成し、操作対象である無担保コールレートがこの範囲内で推移する傾向があることから、これら二つの金利は「コリドー(回廊)」とよばれる。
[白井さゆり 2022年6月22日]
2013年1月の金融政策決定会合において、総裁白川方明(しらかわまさあき)のもとで、物価の安定目標として消費者物価指数(CPI)の対前年比上昇率2%が採用された。その際、物価の安定の概念的な定義として、家計・企業などが「財・サービス全般の物価水準の変動に煩わされることなく、消費や投資などの経済活動にかかる意思決定を行うことができる状況」であり、かつ経済の持続的な成長と整合的であることと説明している。こうした理解のもとで、同目標をできるだけ早期に実現すると約束した。政策目標として消費者物価指数を採用したのは、国民の実感に即した、家計が消費する財・サービスを包括的にカバーした指標であり、しかも速報性が高く、基準改定が5年周期と長いことなどを重視したためである。
[白井さゆり 2022年6月22日]
1990年代初めに不動産と株式などの資産価格が暴落する、いわゆる「バブル崩壊」を経験し、その後1990年代後半には金融危機に直面した。この間、一時的な景気回復局面がみられたものの、長期にわたって景気後退とマイナスの需給ギャップ(すなわち、需要不足状態)に陥った。CPIと「コアCPI」(CPIから生鮮食品を除いた指数)ともに伸び率が低下を続け、1998年(平成10)ころからは緩やかなマイナス(すなわちデフレ)が続くようになった。そうしたなかで、以下の非伝統的政策が採用されるに至っている。
[白井さゆり 2022年6月22日]
〔1〕ゼロ金利政策(1999年2月~2000年8月) 無担保コールレート(オーバーナイト物)をできるだけ低めに推移するよう促し、短期金融市場に混乱の生じないようその機能の維持に十分配意しつつ、当初は0.15%前後を目ざし、その後は市場の状況を踏まえながら徐々に一層の低下を促すという、いわゆる「ゼロ金利政策」を導入。また、「デフレ懸念の払拭(ふっしょく)が展望できるような情勢」となるまでゼロ金利政策を継続するとの方針を明確化することで金融緩和を強化した。こうした将来の金融緩和方針を示す手法は、「時間軸政策」、または「フォワードガイダンス」とよばれる。2000年8月に需要の弱さによる物価低下圧力は大きく後退し、ゼロ金利政策の解除の条件である「デフレ懸念の払拭が展望できるような情勢」に至ったと判断してこれを解除し、無担保コールレート(オーバーナイト物)を0.25%前後へと引き上げた。しかし、このときのゼロ金利政策解除の判断については、デフレから脱却していないなかで早過ぎたとの見方が少なからずある。
〔2〕量的緩和(2003年3月~2006年3月) 2000年のアメリカITバブル崩壊によって日本では輸出と生産が大きく減少し、物価の下落が続いていた。そのため、日本銀行は2001年3月に「量的緩和」政策の導入を決定した。このとき、金融市場調節方針の操作対象である無担保コールレート(オーバーナイト物)はすでにゼロ%近くにあり、これ以上金利は下げられないと判断し、量的緩和を決定した。量的緩和には次の特徴がある。
(1)金融市場調節の誘導目標の変更:無担保コールレート(オーバーナイト物)から、日本銀行当座預金残高に変更。目標額は当初の5兆円程度から9回引き上げられて2004年1月には30兆~35兆円程度に達した後、量的緩和の解除まで同目標額を維持した。この目標額はおもに期間1年以内の短期の資金供給オペレーションを繰り返すことで達成された。また、必要があれば国債買入れを増額することも決定した。
(2)量的緩和の継続についての方針の明確化:日本銀行は、「コアCPIの対前年比上昇率が安定的にゼロ%以上となるまで」量的緩和を維持すると約束した。いわゆるフォワードガイダンスである。2003年10月にこの方針をより明確化し、出口の条件として、第一に、直近公表のコアCPI対前年比上昇率が単月でゼロ%以上となるだけでなく、基調的な動きとしてゼロ%以上であると判断できることが必要であるとし、第二に、コアCPI対前年比上昇率が先行きふたたびマイナスになると見込まれないことが必要(多くの委員がゼロ%を超える見通しを有していることが必要)であるとした。ただし、これらの条件は必要条件であって、経済・物価情勢によっては、これらの条件を満たしたとしても量的緩和の継続が適当と判断される場合もあるとも明記した。
2005年11月にコアCPIの対前年比上昇率はプラスに転じた(CPIは2006年1月にプラスに転換)。そこで、日本銀行は2006年3月に量的緩和解除の条件がすべて満たされたと判断してこれを解除し、金融市場調節の操作対象を無担保コールレートに戻して、当初はおおむねゼロ%の誘導目標を設定した。もっとも、2006年8月にはCPIの基準年が2000年から2005年に改定され、それまでプラスの値とされた伸び率がマイナスに修正されたため、事後的にみれば解除条件を満たしていなかったことが判明した。CPIの下方修正は過去のトレンドと比べてかなり大きく、日本銀行の予測を超えるものではあったが、解除については、CPIの改定を待って判断すべきだったとの批判や、解除の決定は早計だったとの批判も聞かれた。
〔3〕包括的金融緩和(2010年10月~2013年3月) リーマン・ショック後の景気後退を背景にして、2010年10月に包括的金融緩和政策の導入を決定した。同時に、金融市場調節方針における金利誘導目標である無担保コールレート(オーバーナイト物)を0.1%程度から0~0.1%程度に変更して、実質的なゼロ金利政策を採用した。包括的金融緩和は次のような特徴をもつ。
(1)金融緩和の継続についての方針:「中長期的な物価安定の理解」に基づく物価安定が展望できる情勢になるまで、実質的なゼロ金利政策を継続するとの約束を取り決めた(フォワードガイダンス)。中長期的な物価安定の理解とは、CPIの対前年比上昇率が「2%以下のプラスの領域にあり、委員の大勢は1%程度を中心」という表現で示された。さらに2012年2月に同方針は大きく変更された。中長期的な物価安定の「理解」から「目途(めど)」(英語ではgoalと翻訳)へと変更されたが、これは各委員の見方を網羅した「理解」から委員全員が合意したことを示す「目途」の採用へと前進したことを意味する。そのうえで、目途は「2%以下のプラスの領域」にあるとして「当面は1%を目途」と定義し、目途は原則1年ごとに点検することとした。さらに、「物価上昇率1%を目ざして、それが見通せるようになるまで、実質的なゼロ金利政策と資産買入等の基金による金融資産の買入れ等の措置により、強力な金融緩和を推進していく」として、方針の内容を強化した。なお、金融緩和の継続は、金融面での不均衡の蓄積を含めたリスク要因を点検し、経済の持続的な成長を確保する観点から、問題が生じていないことを条件とすると明記された。
(2)資産買入等の基金の導入:買い入れる資産は、(残存期間が1~3年までの)国債、国庫短期証券、社債、コマーシャルペーパー(CP)、指数連動型上場投資信託受益権(ETF)、不動産投資法人投資口(J-REIT(ジェーリート))から構成された。既存の3か月物と6か月物の「固定金利方式の共通担保資金供給オペレーション」の運用は継続された。これを含む同基金による残高は、当初は2011年末までに35兆円に増額することを決定したが、その後数回にわたって引き上げられ、2013年末までに101兆円、2014年中に111兆円まで増額することが予定されていた。しかし過度な円高と緩やかなデフレが続き、2013年1月に掲げたCPIの対前年比上昇率2%の物価安定目標の達成にはこれらの金融緩和手段では不十分との批判が強まった。
[白井さゆり 2022年6月22日]
2013年4月に、総裁に3月下旬に就任したばかりの黒田東彦(くろだはるひこ)の最初の金融政策決定会合において、CPIの対前年比上昇率2%の物価安定目標を2年程度の期間を念頭に置いてできるだけ早期に実現するために、非伝統的な「量的・質的金融緩和」政策が採用された。通称、「異次元緩和」「黒田バズーカ」「超金融緩和」ともよばれる。同政策のもとで、金融調節方針の操作目標を無担保コールレートから、量的な金融緩和を推進する目的で「マネタリーベース」に変更した。マネタリーベースは、日本銀行当座預金、日本銀行券発行高、および貨幣流通高の合計である。2013年4月当初は年間約60兆~70兆円に相当するペースでマネタリーベースを増加させるように金融市場調節を行っていたが、2014年10月に年間約80兆円に相当するペースで増加するよう、マネタリーベース増加額を拡大した。
〔1〕量的・質的金融緩和 「量的・質的金融緩和」(QQE)のうち、「量的金融緩和」とは金融市場調節方針の操作目標であるマネタリーベースの増加をさす。量の拡大を目的とする金融緩和では大量の資金供給が必要なため、資金供給手段は銀行への貸付よりも多額の国債買入れが中心となる。国債は残存期間が1年以下から最長40年まですべての年限のものを買い入れており、当初は長期国債の保有残高を年間約50兆円に相当するペースで増加するよう買い入れを行う方針であったが、2014年10月に年間約80兆円に相当するペースで増加するよう、買い入れペースを増加させた。
「質的金融緩和」とは、リスク性資産の買入れや国債買入れの平均残存期間を延長する経済政策をさす。資産価格のリスク・プレミアム(投資家が国債対比で要求する超過利回り)を下押しするために、リスク性資産としてETFとJ-REITを大規模に買い入れた。ETFの年間買入れ額については、2013年4月の1兆円程度から2014年10月に3兆円程度へ、さらに2016年7月には6兆円程度へ増額した(このうち、3000億円は2002年に金融機関から買い入れた株式の売却未完了分について、2016年4月から10年かけて毎年3000億円程度売却する金額に相当するもので、売却による株式市場への影響を相殺するためにほぼ同額のETFの買入れを行う)。J-REITの年間買入れ額については、2013年4月の300億円程度から2014年10月に900億円程度へ増額した。社債とコマーシャルペーパーについては「包括的金融緩和」のもとで買い入れた資産の残高維持のための再投資を実施した。一方、国債買入れの平均残存期間については2013年4月の7年程度(6~8年)から2014年10月に7~10年程度へ、2015年12月に7~12年程度へと長期化を図った。
〔2〕マイナス金利付き量的・質的金融緩和 2016年1月に、量的・質的金融緩和に加えて、新たな政策手段としてマイナス金利政策を導入しており、それ以降は「マイナス金利付き量的・質的金融緩和」とよばれる。「量」「質」「金利」の3次元の金融緩和手段を活用してCPIの対前年比上昇率2%の物価安定目標の早期実現を図った。ここでいう「金利」とは、マイナス金利をさす。具体的には、日本銀行当座預金を三つ(基礎残高、マクロ加算残高、政策金利残高)に区分し、それぞれ年0.1%、0%、マイナス0.1%の金利を適用しているが、このうちの政策金利残高に適用されるマイナス0.1%をさす。マイナス金利は、2016年時点では日本銀行当座預金のごく一部(10兆~30兆円)に適用されているにすぎないが、新しく増える当座預金に適用されており、マイナスの付利は金融機関が日本銀行に利息を支払うことを意味するため、金融機関としては日本銀行当座預金を減らし、かわりに融資を増やすというインセンティブが働くと考えられている。
日本銀行当座預金の3層構造方式は、マイナス金利の適用が金融機関の収益を過度に圧迫し、金融仲介機能を弱めることを防ぐ観点から、さまざまな形式でマイナス金利の免除措置を設けているスイス、スウェーデン、デンマークなどの事例を参考にして導入された。しかし日本の場合、多額の国債買入れにより当座預金の増額ペースが大きいために金融機関の利息負担が重くなる。そのため、一定額を政策金利残高からマクロ加算残高に移す仕組みを導入して金融機関の利息負担の抑制に努めたが、その結果、しくみが複雑となり市場や国民の理解が得にくいという課題が残った。
マイナス金利の適用によって、短期金融市場においてもマイナス金利で銀行間取引が成立しやすくなることで、イールドカーブの起点を引き下げる効果が期待された。それまで継続してきた大規模な国債買入れとあわせて、イールドカーブ全体に強い下押し圧力が加わることで、実質金利を引き下げ、消費・投資などの総需要を拡大し、それにより物価上昇圧力が高まることが想定された。また、企業によっては低金利での長期社債の発行が可能となった。しかし、いくつかの副作用も指摘された。たとえば、すでに預金金利が0%程度に近い状態のもとで貸出金利が低下したために銀行の利鞘(りざや)が縮小し、貸出しが伸び悩むなかで銀行収益を減少させる結果となった。また、マイナス金利の導入後、国債利回りの多くの年限のものがマイナスになり、かつ国債のイールドカーブが極端にフラット化したため、短期的には保有国債の評価益や売却益が得られるものの、やや長い目でみた運用収益を減少させることになった。マイナス金利で運用できない金融機関・投資家の撤退などもあって、国債の流動性の低下もみられた。
〔3〕マイナス金利付き量的・質的金融緩和の継続方針 マイナス金利付き量的・質的金融緩和の継続方針については、CPIの対前年比上昇率2%の物価安定目標の実現を目ざし、これを安定的に持続するために必要な時点まで継続すると定めた。また、経済・物価のリスク要因を点検し、同目標の実現のために必要な場合には、量・質・金利の三つの次元で追加緩和措置を講じると表明した。経済・物価のリスク要因には、ハイパーインフレ、デフレ、バブル生成などの金融不均衡、国債市場の流動性の低下などが含まれており、これらのリスクを点検しながら金融政策運営を実施することとした。
〔4〕長短金利操作付き量的・質的金融緩和へ変更 2016年1月に導入済みの短期金利に対するマイナス0.1%のマイナス金利とともに、新たに10年物国債金利をおおむね0%程度で推移するよう促す「長短金利操作(イールドカーブコントロール)」を導入した。この仕組みの継続方針についても2%の物価安定の目標の実現を目ざし、安定的に持続するのに必要な時点まで継続すると修正した。2018年7月にこの仕組みに柔軟性を加え、10年物国債金利を0%程度で推移させるための国債買入れを経済・物価情勢等に応じて上下にある程度変動しうるものとした。公表文には明記しなかったが、同日の総裁による記者会見で、おおむね±0.1%の幅から上下その倍程度の±0.2%に変動しうると指摘し、初めて変動幅を明示した。2021年(令和3)3月にはこの変動幅を正式に±0.25%へと引き上げている。
〔5〕その他の資金供給制度
(1)成長基盤強化と貸出増加を支援するための資金供給:成長基盤強化と貸出増加に向けた金融機関の取り組みを金融面から支援する目的で、まず、2010年6月に成長基盤強化を支援するための資金供給オペレーションを、次に、2012年12月に貸出増加を支援するための資金供給オペレーションを、おのおの、時限措置として導入した。4年間の低利で貸し付ける制度で、マイナス金利導入以降は0%の金利が適用された。
(2)成長基盤強化を支援するための資金供給:日本経済の成長に資する19項目(研究開発、起業、事業再編、観光、環境・エネルギー事業、医療・介護・健康関連事業など)への投融資を行う金融機関に対して、その内容を確認したうえで、低利・長期の資金を供給する仕組み。基本となる貸付枠のほかに、出資・ABL(動産・債権担保融資)等向け特別枠、小口向け特別枠、アメリカ・ドルを用いた特別枠がある。2022年(令和4)6月末で終了予定。
(3)貸出増加を支援するための資金供給:貸出残高を増やした金融機関に対し、増加額実績の2倍相当額まで、低利・長期の資金を供給する枠組み。資金供給総額には上限が設定されていない。
上記の成長基盤強化を支援するための資金供給と貸出増加を支援するための資金供給は、その後、「貸出増加支援資金供給」とよばれている。
(4)新型コロナウイルス感染症(COVID(コビッド)-19)対応金融支援特別オペレーションの導入:2020年3月に感染症の拡大による経済活動への打撃を踏まえ、0%金利で1年以内の満期で貸し付ける支援制度を導入した。同制度の活性化を図り、銀行による貸出しを促進するために、その後、担保要件を緩和したうえで、2021年3月にさらなるインセンティブを導入した。具体的には、貸出促進付利制度を創設し、新型コロナウイルス感染症対応金融支援特別オペレーションのプロパー融資分には適用金利(預金金利)をプラス0.2%、プロパー融資分以外(制度融資分)をプラス0.1%に設定した。その結果、銀行による日本銀行からの借入れを促進したが、2022年9月末に終了を予定している。
[白井さゆり 2022年6月22日]
アメリカの金融政策は、アメリカ独特の中央銀行制度である連邦準備制度(FRS)により実行される。
連邦準備制度は、連邦準備制度理事会(FRB)と12の連邦準備銀行から構成される。FRBは連邦準備制度を統括しており、議長、副議長を含む7人の理事で構成される。金融政策は、連邦公開市場委員会(FOMC)のメンバー12名で決定される。FOMCのメンバーはFRBの7人の理事とニューヨーク連邦準備銀行の総裁が常任しており、他の4人は残る11の連邦準備銀行から持ち回りで参加し、投票権をもつ。なお、投票権がない連邦準備銀行の総裁も金融政策運営の討議に参加している。年4回の経済・物価見通しは19名全員が提示する。
[白井さゆり 2022年6月22日]
2008年のサブプライム危機は、通常の信用貸出の急増に基づく単純な銀行危機とは異なっていた。さまざまなノンバンクを含む大規模な金融システムのもとで、幅広くかつ複雑な金融商品――たとえば、住宅ローン担保証券(MBS)、MBSに対する保険契約であるクレジット・デフォルト・スワップ、その他の資産担保証券(ABS)――などがかかわっており、ヨーロッパなど国際的にもシステミックに連鎖する大規模な金融危機であった。FRBは、2008年3月には投資銀行のベアー・スターンズを救済するためにJPモルガン・チェースとの合併に関与し、その後、巨大保険会社のAIGの救済などを実施した。ベアー・スターンズとAIGを救済した根拠として、これらのノンバンクが巨大かつシステミックに他の金融機関や商品とリンクしていること、および債務超過に陥っていなかったためとFRBは指摘している。一方、投資銀行のリーマン・ブラザーズの破綻(はたん)を容認したのは、債務超過であったことやFRBに救済権限がないと判断したためと説明している。
しかし、リーマン・ブラザーズの破綻は、リーマン・ショックとなって世界金融危機へと発展した。アメリカの短期金融市場で資金が枯渇すると、FRBはノンバンクやマネーマーケットミューチュアルファンド(MMMF:money market mutual fund)、コマーシャルペーパー(CP)市場などへ果敢に多額の資金を供給した。MMMFについては、それまで個人投資家を中心に預金のような商品として資金が流入してきたが、リーマン・ショックを契機に急速に資金が流出したため、FRBはMMMFによる資産の投げ売りによって金融危機が連鎖・深刻化するのを防ぐために資金供給を行った。CP市場はブローカー・ディーラーや資産担保証券(ABS)発行者、その他の金融機関による主要な短期資金の調達市場である。MMMFが資金の出し手であったことから、MMMFによる資金流出で資産担保証券発行者などの資金が枯渇して危機が波及するのを防ぐ目的で、資産担保証券発行者などにも資金供給を実施した。また、FRBが保有する国債などの貸出しも実施した。これらの流動性供給手段によってFRBは最後の貸し手としての役割を果たしたとみなすことができる。
[白井さゆり 2022年6月22日]
また、FRBは2007年9月に当時5.25%あったフェデラル・ファンド・レート(政策金利)の利下げを急ピッチで断行し、2008年12月には同レートは0~0.25%の過去最低水準に達した。この段階で、これ以上の利下げ余地は乏しいと判断したFRBは、低い金利水準を長く維持する方針(フォワードガイダンス)を示し、さらに資産も買い入れることによって非伝統的金融緩和政策を実施した。買入れ資産としては、アメリカの国債とエージェンシーとよばれる政府機関・政府支援機関が発行するMBSや債券を対象とした。
その後、当時の議長のバーナンキは2013年5月に、経済情勢が良好ななかで、年末に向けた資産買入れ額の減額(テーパリング)の可能性を示唆した。しかしこれが市場に大きな負のサプライズを起こし、金利は急騰した。これは、一般的には「テーパータントラム」(Taper Tantrum)とよばれている。しかし、その後、経済が回復基調を強め、雇用の改善が顕著で予想以上の速さで失業率が低下したため、市場に大きな混乱を起こすことなく2013年12月のFOMCで資産買入れ額の減額を決定し、翌2014年1月(バーナンキの議長としての最後の会合)から実施すると決めた。資産買入れ額の減額は同年10月に終了し、保有する資産の残高維持のための再投資は継続した。2015年12月には新議長ジャネット・イエレンのもとで最初の利上げを果たし、フェデラル・ファンド・レートを0~0.25%から0.25~0.5%へ引き上げている。その後、同レートを段階的に引上げ、1~1.25%まで引き上げたところで、2017年10月にこれまで買い入れた証券(国債とMBSなど)の保有残高を段階的に減らしていく「量的引締めQuantitative Tightening」に着手した。その後も利上げを続けつつ量的引締めを継続したが、利上げについては2018年12月に2.25~2.5%に引き上げて以降、2019年初めには段階的に金融政策の正常化を継続する方針を撤回し、利上げプロセスは停止し、2019年8月から利下げに転じた。さらに同年9月、10月の利下げによってフェデラル・ファンド・レートは1.5~1.75%に達した。量的引締めについては2019年9月までで取りやめ、計画より早く終了した。
2020年に新型コロナウイルス感染症(COVID(コビッド)-19)の感染が拡大を始めると、同年3月に一気にフェデラル・ファンド・レートを引き下げて0~0.25%に戻し、大量な資産買い入れを開始した。しかし景気回復が明確になると、2021年11月から買入れ額の段階的な減額(テーパリング)を実施した。さらに新型コロナウイルス感染症の変異株の世界的な蔓延によりサプライチェーンが不安定化したことや、半導体不足による自動車などモノの物価の高騰により、アメリカのインフレ率がFRBの長期目標である2%を大きく超えると、インフレ懸念から買入れ額の減額幅を加速し、2022年3月に買入れを終了した。FRBの資産規模は新型コロナウイルス感染症の拡大前の4兆ドル強から9兆ドル弱に達しており、新型コロナウイルス感染症の拡大に対応する過程で、いかに大規模な量的緩和が実施されてきたかがわかる。
2022年に入ると、ロシアのウクライナ侵攻とそれによる欧米や日本の対ロシア経済制裁措置もあって、エネルギーや食料などのコモディティ価格が上昇し、アメリカのインフレ率は7%を超え、しばらくインフレ目標2%を大きく上回る可能性が高まった。このため2022年3月には予想通り0.25%の利上げを行い、フェデラル・ファンド・レートは0~0.25%から0.25~0.5%へ引き上げられるとともに、年内6回ある会合すべてで0.25%ずつ利上げをして1.75~2%とし、さらに2023年も4回の利上げの見通しを示している。また保有する資産の縮小(量的引締め)も開始する見込みである。急速な利上げで景気減速に拍車がかかるおそれがあるが、高いインフレの抑制を優先した形になる。
[白井さゆり 2022年6月22日]
ヨーロッパ連合(EU)の金融政策はヨーロッパ中央銀行(ECB)と、共通通貨ユーロを採用する19か国の中央銀行が参加するヨーロッパ中央銀行制度(ESBC:European System of Central Banks)により実行される。ユーロ圏の物価安定を実現し、ユーロの購買力(通貨価値)の維持を目的とする。物価の安定については中期的にインフレ率「2%未満、2%近傍」と定義している。2021年7月にはECBがインフレの下方バイアス(実際のインフレが2%を下回ることを選好していること)を有しているとの誤解を解くために「2%」に変更した。
[白井さゆり 2022年6月22日]
リーマン・ショックが世界金融危機に発展すると、ユーロ圏は銀行危機に直面した。そこで、ECBは政策金利(メインリファイナンス金利)を2008年10月の4.25%から2009年5月にかけて1%まで積極的に引き下げた。また、資金供給オペレーションを拡充して平常時よりも長期間の資金を融資し、固定金利で応札額全額を供給する仕組みを導入した。2010年初めにギリシアを発端にしたユーロ債務危機が深刻化し、こうした債務国(周縁国)がデフォルトしてユーロからの脱退を迫られるといった不安が投資家の間で浮上し、ユーロの崩壊懸念が高まった。そこで、ECBは2010年5月から2012年3月までの間に、周縁国の国債を限定的に買い入れる「証券買入れプログラム」(Securities Market Program)を導入し、合計2200億ユーロ相当の買入れを実施した。また、2009~2012年に「カバードボンド買入れプログラム」(Covered Bond Purchase Program)を導入し、担保付き証券を合計100億ユーロ相当買い入れた。
[白井さゆり 2022年6月22日]
その後、ユーロ債務危機がふたたび深刻化したため、2012年7月にECB総裁マリオ・ドラギは、「ユーロを守るためになんでもする用意がある」と発言し、その直後の8月に金融緩和プログラム(Outright Monetary Transactions:OMT)を発表、翌9月にOMTを実施可能とした。OMTは、ユーロ圏加盟国がヨーロッパ連合(EU)と国際通貨基金(IMF)の経済プログラムあるいは予備的プログラムを実施するという条件付きで、残存期間1~3年の国債を買い入れるという内容である。結局、OMTは一度も実施されなかったが、スペインやイタリアの国債についても、必要があれば無制限に買い入れることが可能だとの強いメッセージを市場に送ったことで、ユーロ崩壊リスクを招きかねない投機攻撃がおさまった。この対応は、ユーロ圏の金融市場の安定化に貢献したことで高く評価されている。ただしOMTについては、ドイツ憲法裁判所に対してドイツ憲法とEU条約に違反しているとの訴訟が起こされ、ドイツ憲法裁判所はヨーロッパ司法裁判所に対してOMTがEU条約のもとで違法性があるかどうかの裁定を付託した。2015年1月にヨーロッパ司法裁判所の法務官は、OMTは一定の条件を満たす必要があるが、原則、合法であるとの判断を示した。これを受けて2015年6月にヨーロッパ司法裁判所は「OMTは合法である」との最終判決を出した。そして、ドイツ憲法裁判所は2016年6月に、六つの条件を満たす場合に、ECBはドイツ憲法に抵触せずにOMTを実施できるとした。その条件には、国債発行環境が歪(ゆが)まないこと、買入れ価格は当初から制限されることなどが含まれている。
また、2011年12月と2012年2月の2回にわたり3年物の長期資金供給オペレーション(Longer-Term Refinancing Operations:LTRO)も実施し、ユーロ圏周縁国の銀行が資金調達する際の費用の低下に寄与した。
[白井さゆり 2022年6月22日]
その後、低インフレの長期化、予想インフレ率の低下、銀行の資産縮小、ユーロ高などを懸念して、2014年6月以降、ECBは包括的な金融緩和政策に着手した。ECBの預金ファシリティ金利にマイナス金利を適用して、2014年6月にマイナス0.1%とし、その後、段階的に引き下げて2016年3月にはマイナス0.4%としている。当初は資産買入れを回避するためにマイナス金利政策を導入し、資産買入れ決定後は、資産担保証券(ABS)やカバードボンドなどに限定した。しかし、予想インフレ率の低下が止まらなかったことや、低インフレの長期化によって実質金利が上昇しデフレに陥る懸念が高まったことから、2015年1月に大規模資産買入れ方針を発表し、同年3月から開始するに至った。買入れ資産は段階的に拡大し、2017年3月まで国債、政府機関債、国際機関債、地方債、社債などをあわせて毎月800億ユーロの買入れを実施した。この資産買入れにあたっては、買入れ価格の下限、買入れ額の上限、各国ごとの国債買入れ配分方法などについて制約を課しており、こうした制約は前述のヨーロッパ司法裁判所の判決で指摘された条件とかなり整合的である。その後、資産買入れ額を段階的に縮小し、2018年末で買入れを停止した。
このほか、2014年9月に民間貸出しの実績をもとに長期資金を低利で貸し出す制度(Targeted Longer-Term Refinancing Operations:TLTROⅠ)を導入し、2016年6月まで四半期ごとに実施した。銀行による民間への貸出実績をもとにECBはその3倍までの金額を低い貸出金利(2016年3月からは0%)で貸し出している。LTROとの違いは、ECBの銀行への貸出しを、銀行による民間貸出しの実績に応じて資金供給枠が付与されることで、銀行がECBから調達した資金を貸出しよりも国債などの購入にあてることを抑制するくふうをしたことにある。なお、ECBから銀行が借り入れる時期は2018年9月までと設定された。さらに、2016年3月にTLTROⅡを導入し、借入れ期間を4年の固定とし、一定以上の民間貸出しを増やす銀行ほど低利の貸出金利(最低金利は、預金ファシリティ金利と同じマイナス0.4%)で資金供給を受けられるようになった。
しかし、ECB内では、ドイツやオランダなどユーロ圏コア国によって、資産買入れやマイナス金利政策などの金融緩和効果を疑問視する批判的な意見がよく聞かれる。ECB理事会でこうした政策を決定する場合も、理事会メンバーが全員一致でない場合もしばしばみられる。さらに、それらの金融緩和手段がユーロ圏の総需要の拡大やインフレ率の引き上げをもたらす効果が限定的だとの見方も強まりつつあり、実際に追加緩和をしてもユーロ安が起きにくくなっている。加えて、マイナス金利政策や国債利回りのマイナス化によって、ドイツなどコア国を中心とする金融機関の収益性が低下したり、ECBへの利息の支払い負担が重石(おもし)になっているとの批判も強まっている。しかし、ECBの金融緩和は総需要を拡大するというよりも、信用緩和を目的としている。周縁国の銀行のなかには資産縮小が続き、不良債権比率が大きく資本不足をきたし、貸出しに慎重になるところもあり、それが周縁国の景気回復を遅らせている可能性がある。そのため、そうした銀行の資金調達費用を引き下げて信用貸出しを促すねらいがあり、この点では一定の効果があったといえる。
その後、2018年末に資産買入れを完了したECBは2019年後半に利上げの可能性を模索したが、ユーロ圏の景気がはかばかしくないこともあり、2019年9月にむしろマイナス金利をマイナス0.4%からマイナス0.5%へと引き下げた。また資産買入れについては、この間償還が到来した債券については再投資をして保有残高を維持してきたが、2019年11月に資産の買入れを毎月200億ユーロのペースで再開した。
新型コロナウイルス感染症(COVID(コビッド)-19)の発生により、2020年3月には前述の資産買入れ額を継続しつつ、一時的に新型コロナウイルス感染症拡大に対応するための緊急資産買入れプログラムpandemic emergency purchase programme(PEPP)を別途開始した。信用格付けの低いギリシア国債は前述の資産買入れプログラムからは除外されているが、PEPPでは容認した。PEPPの下での資産買入れ総額は1.85兆ユーロにも達し、大規模な量的緩和が実施されたが、2022年3月で終了した。急激に資産買入れ額が減少することが債券市場に及ぼす影響を緩和するために、2019年に再開した資産買入れプログラムは、2022年4~6月期にはそれまでの毎月200億ユーロから400億ユーロへ増やし、7~9月期には300億ユーロへ、10月以降は200億ユーロへ戻し、必要と判断されるまで継続するとした。ところが世界的なエネルギー価格の上昇と、ロシアのウクライナ侵攻および欧米などによる対ロシア経済制裁措置により、エネルギー価格や小麦などの価格が高騰し、ユーロ圏の物価が一段と上昇した。このため、2022年3月には資産買入れ額を減らし、2022年6月には毎月200億ユーロとすることを決めた。また、同年後半には資産買入れを停止し、利上げの可能性が示唆されたが、それによってインフレ抑制を重視する姿勢を示した。
[白井さゆり 2022年6月22日]
中国の金融政策は中央銀行である中国人民銀行によって実行され、これまでは人民元をおもにアメリカ・ドルに対して安定させる為替(かわせ)政策が中心であった。もともと中国の金融市場においては、中国に対する高い成長期待や海外との金利差、および居住者による対外投資のほうが外国からの資本流入よりも規制が厳格であるといった資本規制などもあって、海外からの多額の資金流入に長く直面してきた。経常収支の黒字と資本の純流入によって国際収支は大幅な黒字を計上しており、人民元は常に増価(人民元高)圧力が高い状態にあった。そのため中国人民銀行は外国為替市場で頻繁かつ大規模に人民元売りの介入を続けて、ドルなどの外貨準備を4兆ドル程度まで蓄積してきた。このように、人民元を市場に供給することで人民元の増価圧力の抑制に努める為替政策が、中国の金融政策の中心であった。人民元はそうした為替介入もあって経済ファンダメンタルズ(経済の基礎的条件)からみて過小評価状態にあったため、人民元増価期待も高まりやすく、投機的な短期資金の純流入も多くみられた。
[白井さゆり 2022年6月22日]
世界金融危機以降、中国は大型景気対策によって高い成長率を維持したが、過剰生産、過剰投資、過剰債務といった弊害も顕在化した。経済成長率は人口動態の変化、構造改革の遅れ、および投資から消費へのリバランス(配分調整)の遅れもあって、しだいに低下した。実質成長率は2014年の7.3%から2015年には6.9%へ低下し、かろうじて政府の2015年の年間目標である7%前後を達成した。このため、中国に対する成長期待も低下し、金利も金融緩和によって徐々に引き下げられたため、海外との金利差も縮小した。世界金融危機以前から人民元は緩やかな増価(人民元高)基調にあったが、2014年にドルが多くの通貨に対して急速に増価する(ドル高になる)と、ドルに対して安定させている人民元も急速に増価した。その結果、人民元の過小評価状態はほぼ解消された。そうしたなかで、2014年ころから中国本土からの資本流出が続く状態がみられるようになり、長く続いた人民元高圧力と人民元高期待から、逆に人民元安圧力と人民元安期待へと大きな転換がみられた。ここには、2014年にアメリカが資産買入れ額の縮小(テーパリング)を実施しアメリカの金利が急騰したことに加え、政策金利(フェデラル・ファンド・レート)の引上げによる金融政策の正常化が意識されるなかで、中国企業がドル高期待から短期ドル建て債務の返済を急いだことや、海外収益の一部を中国本土に還流させずに海外に留める姿勢を強めたことも影響しているとみられる。
[白井さゆり 2022年6月22日]
中国人民銀行は、2014年3月から人民元の対ドル相場を中間値の上下2%の範囲内で日次推移するよう誘導していた。毎日早朝にその日の人民元の中間値を設定していたが、前日の終値との相関性が低く、おもに中国人民銀行の政策意図が反映されているとみられていた。しかし、市場の実勢相場(たとえば前日の終値)と中間値の乖離(かいり)が大きくなって、3%を超えるようになってきた。そのような乖離を持続することは不可能と判断し、乖離を縮小するために人民元を切り下げることとし、2015年8月11日から13日にかけてドルに対する中間値を3日連続して合計4.5%切り下げた。しかし、この切下げ幅は従来の為替相場の変動範囲を超えており、世界に人民元ショックを引き起こした。その政策判断自体は適切であったが、輸出が伸び悩んでおり、しかも鉄鋼、セメントなどの過剰生産問題が深刻ななかで、十分な対外説明のないまま突然人民元の切り下げが行われたことで、世界は中国が元安誘導によって輸出を促進する意図がある、と誤って受け止め、世界の金融市場の不安定化を招いた。同年7月末からの株価の下落とともに中国経済への懸念と中国政府の政策意図への不信感が高まって、世界各国がリスク回避姿勢をとることにつながった。
その後、中国政府は人民元をドルに対してよりも通貨バスケットに対して安定化させる、より柔軟な為替政策へ軸足を移した。2015年12月には、中国外貨取引センターが13の主要通貨からなる通貨バスケットに対する人民元の指数を公表し、そうした意図を示唆した。しかしそれがかえって人民元の対ドル相場を減価させる意図があるととらえられて世界の金融市場を不安定化させ、中国の株価も下落した。この間、中国人民銀行は、人民元安期待が定着することで中国本土から資本流出が加速することをおそれて、人民元の対ドル相場に対する減価圧力(人民元安・ドル高)を緩和しようと、外国為替市場で介入を続けた。すなわち、外国為替市場に介入して外貨準備を取り崩してドル売り、人民元買いを実施するとともに、2016年度前後から既存の資本規制を厳格に適用することで資本流出の抑制(たとえば、企業による多額の外貨への両替に対して内容確認の徹底、外資系企業による本国送金に対する停止指示など)に努めた。また、ドルを中心とする外貨準備の取崩しによって人民元を市場から吸収したために中国の金融市場が引き締め的になった。そこで、中国人民銀行は銀行預金に対して適用する預金準備率の引下げ、基準金利の引下げ、および大量の資金供給オペレーションの実施などによって金融緩和に努めた。とはいえ、中国人民銀行は、大幅な金融緩和によって金利差が縮小すると、一段と資本流出を招くおそれや過剰生産・過剰投資・過剰債務問題をふたたび悪化させるおそれが生じることから、緩やかな緩和策を持続した。経済減速に対する景気対策は、おもに政府のインフラ投資や住宅購入促進政策などが中心である。その後、中国当局による既存の資本規制の厳格な適用やさまざまな介入もあって、為替市場や株式市場も落ち着きを取り戻した。
[白井さゆり 2022年6月22日]
中国の金融市場には、オンショア市場(中国本土の市場)とオフショア市場(香港(ホンコン)を中心とする中国本土外の市場)がある。これらの市場は資本規制によって分断されているため、人民元相場も、オンショア相場(CNY)とオフショア相場(CNH)がある。中国人民銀行は、金融政策運営においてCNYに注目しているが、海外の投資家などは、より市場化が進んでいて需給を反映しやすいCNHに注目している。たとえば、人民元安期待が高まるような局面では、CNHのほうが、CHYよりも人民元安になる傾向がある。
[白井さゆり 2022年6月22日]
2015年12月に国際通貨基金(IMF)は、人民元がIMFの特別引出権(SDR)バスケット通貨の基準に適合していると判断し、ドル、ユーロ、ポンド、円に加えて5番目の通貨として2016年10月にバスケットに含めることを決めた。SDRはIMFが1969年に創設した国際準備資産である。通貨単位としても利用されており、IMFの加盟国に割り当てられる出資額(Quota)の評価に使われている。IMF理事会は5年ごとにSDR通貨バスケットの構成を見直しており、2015年がちょうどその時期にあたることから、中国政府は 2015年5月にIMFに対して、人民元についてSDR通貨バスケット入りに関する審査を要請した。IMF理事会はSDRバスケット通貨になるための条件は、(1)財・サービスの輸出額が大きいこと、(2)「自由に利用できる通貨」(Freely Usable Currency)であること、としており、審査の結果、全会一致で承認され、2016年10月から通貨バスケットに組み入れることが決定した。
これに先だつ2010年のSDR通貨バスケットの構成の見直しの際にも、中国政府は審査を申請したが、当時は「自由に利用できる通貨」の条件に適合しないと判断され、採用されるに至らなかった。なお、自由に利用できる通貨とは、ドル、ユーロなどのように資本規制がなく完全に自由な交換が可能な通貨と同義ではない。中国のような新興国の場合、国際的な銀行取引や債券発行がまだ十分発達しておらず、資本規制も残るため、先進国と同じ条件を要求するのはむずかしい。バスケット通貨の数を増やす意向であるIMFは、そこで新たな基準を設けることとした。具体的には、各国中央銀行の保有する外貨準備に当該国通貨が資産として保有されるようになっているか、外国為替市場においてスポット市場とデリバティブ市場で当該国通貨の取引量が増えているか、金利が市場化されているか、といった点に注目することにした。2000年以降、中国は自由利用可能な通貨として容認されるために、金融・資本市場の自由化、たとえば、国内預金金利の上限の撤廃、外国投資家による中国の資本市場へのアクセスの拡大、中国企業による対外直接投資の促進、貿易決済における人民元利用の促進などを推進してきた。また、20か国以上の中央銀行と二国間通貨スワップ協定を積極的に締結しながら人民元のオフショアセンターの形成に力を入れており、その結果、各国中央銀行はしだいに人民元建て預金や人民元の利用を増やしてきた。こうした進展度合いや国内の金融・資本市場改革をIMFは評価したとみられる。
[白井さゆり 2022年6月22日]
金融政策は財政政策,産業政策などと並ぶ経済政策の一つであり,中央銀行または中央銀行に代わる政策当局によって行われる。
経済政策の究極の目的は国民福祉の向上であり,〈物価の安定〉〈低い失業率の達成,維持〉〈生活水準の向上〉〈国際収支の改善〉などがあげられるが,金融政策についてはとりわけ〈物価の安定〉〈貨幣価値の維持〉が重視される。〈貨幣価値の安定〉という場合には,対外価値つまり為替レートの安定が含まれる。金本位制やIMF体制のもとでは,国際収支の均衡を維持し,金平価やIMFの平価(パリティ)を維持することが国内物価の安定と並んで重視された。第2次大戦後1970年代に至るまでの日本では,金融政策は主として国際収支の悪化を防ぎ,平価を維持することを目標に運営された。なお先進工業国では第2次大戦後,完全雇用の達成,維持が経済政策の重要な目標とされ,雇用法等が制定されたこともあって,低い失業率の達成,維持が金融政策の重要な目標の一つとされた。ただ,低い失業率を達成しようとすると賃金が上昇し,物価が高騰する一方,物価の上昇を抑えようとすると失業が増加するというトレード・オフ(二律背反)の関係が存在するばかりか,物価の上昇はインフレ期待を生み,インフレ期待は賃金のいっそうの上昇を招来するために,一定水準以下に失業率を引き下げようとする政策はインフレーションを生ずることになりやすいことが知られるようになり,低い失業率の達成を金融政策の目標とする考え方は影響力を失うに至った。日本でも,1960年代初めには成長を促進するために低金利政策を推進すべきだとする政府と,景気の行過ぎを警戒し政策の機動的運営を主張する日本銀行との間に公定歩合の引上げをめぐって意見のくい違いを生じた。しかし70年代に入り変動為替相場制に移行するとともに,73年秋の第1次石油危機後のインフレーションの苦い経験を踏まえ,物価の安定を最優先する考え方がしだいに定着するに至った。
なおこの過程で,金融政策の運営にあたっては究極目標と政策手段との間に中間目標ないし運営目標を設け,この運営目標を達成することによって究極目標の実現を図るべきだという考え方が主張され,運営目標としてマネー・サプライを重視する考え方が各国の政策当局で採用されるに至った。これは,金融政策の諸手段によって直接,究極目標を達成することは必ずしも容易ではないからである。中間目標としては,政策当局がその政策手段を用いることによって的確にコントロールできると同時に,中間目標と究極目標との間に安定した関係があり,中間目標をコントロールすることによって究極目標を達成することができるものが望ましい。物価の安定という政策目標に照らして考えた場合,中間目標としてはマネー・サプライが最適であるということで,マネー・サプライの増加率を一定の範囲内におさめることを目標とするマネタリー・ターゲットmonetary target政策が広く採用されるようになった。このような政策はインフレーションの抑制にある程度の効果をあげたが,マネー・サプライを一定の目標値内におさめることが必ずしも容易でないばかりか,マネー・サプライと物価との間の関係も必ずしも安定的でなく,中間目標としてどのような範囲の通貨を取り上げるべきかといった問題が生ずるに至っている。とくに80年代に入り各種の新しい金融商品が登場し貨幣に対する需要が大幅に変動するようになった結果,なにを通貨とするのが適当かという点をめぐって,困難が生じている。最近では,中間目標としてマネー・サプライに代わって名目GNPや実質利子率を使うべきだという主張もみられる。
金融政策の主体は各国の中央銀行または中央銀行に代わる通貨当局である。日本では日本銀行が金融政策の直接の責任者であるが,金融市場に大きな影響を与える国債の種類,発行条件,借換債の種類,条件等の決定は大蔵大臣によって,また郵便貯金の金利は郵政大臣が郵政審議会に諮問し政令で定められる。
日本銀行の行う金融政策については,1949年6月の日本銀行法の一部改正によって日本銀行政策委員会が設けられ,公定歩合の決定,公開市場操作実施の方針,市中金利の最高限度の決定,準備預金制度の準備率の決定・変更等はすべてこの政策委員会によって決定される。政策委員会は日本銀行総裁のほか金融,商工業,農業に関し経験と識見をもつ者,大蔵省,経済企画庁の代表者の7人によって構成される。中央銀行の自主性を高めるとともに,民主化を図る目的で設立されたものであるが,アメリカの中央銀行である連邦準備制度Federal Reserve Systemの理事会のような独立性をもたない。そのため公定歩合の決定・変更が政府の政治的考慮によって左右され,金融引締政策の発動が遅れたという例もみられる。なお,郵便貯金の金利が,他の金利と違い郵政省の所管事項とされるため郵貯の増大に伴い金融政策が二元化するという問題が生じている。
中央銀行の行う金融政策のうち古くから行われてきたのは,貸出政策と手形・債券の売買操作の二つである。その後アメリカで連邦準備制度が創設され,法定準備率の変更が金融調節の手段として使われるようになり,貸出政策,手形・債券売買操作と並んでこの三つを伝統的な金融政策の手段と呼ぶようになった。
貸出政策とは,中央銀行の市中金融機関に対する貸出しの量を調節することによって,市中金融機関による対民間貸出し,証券投資等を規制しようという政策である。中央銀行の貸出しは割引と貸付けの二つからなり,前者は市中金融機関が割り引いた手形の再割引を中央銀行に求めるものであり,後者は金融機関に対する手形貸付け,証書貸付け,当座貸越し等の貸付けである。古くは中央銀行の貸出しは再割引が中心であったから,貸出政策は割引政策ないし再割引政策と呼ばれた。その後,通常の貸出しが増加するにつれて貸出政策という言葉が使われるようになった。貸出しを規制する方法には,貸出しの条件である金利等を変更する方法と貸出量を直接規制する方法の二つがある。前者,とくに貸出しの基準となる金利(公定歩合)を変更する政策が公定歩合政策ないし金利政策である。後者には,市中金融機関に対する貸出限度額を金融機関ごとにあらかじめ決めておく貸出限度額規制のほか,道徳説得moral suasionなどがある。
手形・債券の売買操作は,金融市場の繁閑に応じて,中央銀行が直接または間接にその代理機関を通じて手形や債券を売買することによって金融調節を行うものであり,相対売買方式と公開市場における売買方式の二つがある。後者が,公開市場操作(オープン・マーケット・オペレーション)である。相対売買は個々の金融機関との間で相対(あいたい)で売買を行うもので,貸出しと実質的に変わらない。ただ公開市場操作のためには発達した公開市場の成立が不可欠であり,日本で多少とも公開市場操作が行われるようになったのは,80年代以降のことにすぎない。公開市場操作と相対方式の大きな違いは,前者が中央銀行のイニシアティブで一方的に行いうるのに対して,後者は相手方との合意が必要なこと,前者が公衆の保有する通貨量に直接,影響を与えうるのに対して,後者は金融機関の準備に影響を与え,間接的に通貨量に影響を与えるにすぎないことである。
支払準備率操作は,金融機関に対して預金の一定割合を現金または中央銀行への預金の形で保有することを義務付けるとともに,金融の緩急に応じて,この割合すなわち法定準備率を変更する政策である。準備率を状況に応じて変動するので可変的支払準備制度とも呼ばれる。日本では準備預金制度といい,一定期間の平均預金残高に対して一定率をかけた平均所要準備を日本銀行預け金の形で保有することを義務付けている。準備率が引き上げられると金融機関は,準備を積み増すために貸出し等を抑制するのである。
以上の伝統的な金融政策のほかに,政策当局は市中貸出しを直接規制したり,特定の分野に対する貸出しを選別して優遇したり抑制する政策を行う場合がある。第2次大戦後の日本で引締めの際にしばしば用いられた窓口規制(窓口指導ともいう)は,市中貸出規制の典型的な例である。
貸出政策,手形・債券操作等の伝統的な政策手段では所期の効果があがらないとか,効果が現れるまでに時間がかかる場合に,伝統的な手段を補完するために,窓口規制や選択的金融政策の手段が用いられる。とくに第2次大戦後の日本では窓口指導等の直接的な規制手段が大きな役割を果たしたといわれている。これは,資金が不足して資金の割当てが行われていたからである。選択的信用規制の代表的なものとしては,消費者信用の規制,株式金融の規制,住宅金融の規制,貿易金融の優遇措置等があげられる。これらは,割賦販売の際の最低頭金比率や株式の信用取引の際の最低委託証拠金率,担保率等を変更することによって消費者金融や株式投資,輸出入を規制し,消費の行過ぎや株価の過熱等をコントロールすると同時に,必要な場合には頭金比率や証拠金率を引き下げて,消費の停滞,株式の暴落等を防ぐことを目的としたものである。
金融政策がどのような経路を経て物価や生産等の経済活動に影響を与えるかについては,いろいろの考え方がある。一方には金融政策とくに通貨量の変動は物価水準に影響を与えるにすぎないという考え方があり,他方には利子率の変化を媒介として投資や生産,雇用に影響を与えるという考え方がある。長期的には物価水準に影響を与えるにすぎないとしても,金融政策はその過程で利子率等の信用条件に影響を与え,その変動を媒介として経済活動に大きな影響を与える。
→経済政策
執筆者:館 龍一郎
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
出典 (株)外為どっとコムFX用語集について 情報
…このうち金利操作の政策は,公定歩合政策または金利政策という(広く金利操作の政策一般を金利政策ということもある)。貸出政策は,手形・債券売買操作,支払準備率操作,市中貸出規制(窓口規制)等の政策手段とともに,通貨供給量(マネー・サプライ)や市中金利を操作しようとする金融政策の重要な一政策手段である。すなわち日銀貸出しの量と金利を操作することにより,民間金融機関の支払準備あるいは短期資金の量とコストに影響を与え,民間金融機関の民間非金融部門(企業,家計等)への貸出行動,ひいてはマネー・サプライに変化をもたらす政策である。…
…そこで不況の状態を脱出するにはいかなる方策があるかを考えると,有効需要の原理によって総需要の水準を引き上げればよいことがわかる。財政・金融政策とよばれるものは,いずれも総需要に影響を与えることによりGNPの水準をコントロールしようとするものにほかならない。先にみたとおり,政府による公共的支出は直接総需要の一部をなすものであるから,これは当然総需要に影響を与える。…
…日本銀行が用いている金融政策の一つの手段。都市銀行を中心とする主要な民間の銀行・金融機関が民間の企業などに供給する貸出額の過度の増加を防止することを狙いとして,日本銀行がこれら銀行・金融機関の四半期(3ヵ月間)貸出増加額に対し,上限を設定することを通じての信用規制をいう。…
※「金融政策」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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