江戸時代に築造された砲台のこと。とくに,幕府築造の東京湾品川沖の砲台を御台場という。1853年(嘉永6)ペリーの率いる軍艦が羽田沖まで進出したことに驚いた幕府は,再来日に備え,伊豆韮山代官江川太郎左衛門(英竜)らの献策により,8月,品川沖に11基の台場の築造を決定した。翌年にかけて5基が完成し,1基は中途で中止となり,残りは着手されることなく中止となった。おもに洋式の大砲が装備され,武蔵川越藩,陸奥会津藩等の大名に警備を命じたが,実戦に用いられることはなかった。台場は,山を削り海を埋めて島を造る方法をとったが,1基の面積は1.5~3haに及び,五角形ないし六角形をしている。備砲を除く台場構築費のみで75万両を要したといわれ,巨額の築造費は,多く町人・農民に幕府が命じた上金が充てられたが,資金の不足により計画どおり完成しなかった。現在,第3,第6の台場が当時の原形を残しており,水上公園となっている。1990年代にはレインボーブリッジ,東京臨海新交通〈ゆりかもめ〉が開通した。
執筆者:藤田 覚
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東京湾内に築造された砲台(砦(とりで))跡。「おだいば」ともいう。1853年(嘉永6)、アメリカ艦隊の来航による江戸侵攻に備え、伊豆韮山(にらやま)の代官江川英龍(ひでたつ)(太郎左衛門)が築かせた海上の砲台で、1年3か月かかって第一~第七の砲台を築いた(第四、第七台場は未完成)。一つの面積は約3.3万平方メートル、周囲を石垣で巡らした方形で、出入口は江戸の方向にあった。現在は第三と第六の台場跡が残されており、1926年(大正15)史跡品川台場に指定された。第三台場跡は都立水上公園として1928年(昭和3)開設、園内に陣屋、火薬庫跡がある。1968年(昭和43)有明埠頭(ありあけふとう)完成により、第三台場は堤防で陸続きとなった。さらに、13号埋立地(江東(こうとう)区)の一部になり、お台場海浜公園内の第三台場公園となっている。1993年(平成5)首都高速道路のレインボーブリッジが完成、1995年東京臨海新交通「ゆりかもめ」開通後、東京臨海副都心の一部として急速に発展、高層住宅、小・中学校、テレビ局、ホテル、ショッピング・モールなどができた。その南方に、1974年開館した船の科学館がある。第六台場は小島として東京港内にあるが未公開である。
[沢田 清]
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一般には大砲を架設する陣地。砲台。とくに幕末期に海防のため各地に設けられたものをさす。1806~07年(文化3~4)のロシアによる北方侵略に対し,江戸幕府は打払いを命じる一方,10年には会津・白河両藩に江戸湾防備のための台場建設をはじめて行わせた。25年(文政8)2月には異国船打払令が出され,各地で海防のための台場建設が進んだ。規模や形態はさまざまだが,幕末期には全国に1000カ所の台場があったという。現存遺構としては品川台場や西宮の砲台が有名。後者は摂海防備のために設けられ,66年(慶応2)に完成。直径17m,高さ12mの石造円形砲台で,大砲は2門ある。東京港区の品川台場は国史跡。
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