琉球王国時代の
秋田市の東にそびえ、標高一一七〇・六メートル。火山に似た秀麗な山であるが、花崗岩類よりなる基盤山塊が、火山噴出物である第三紀緑色凝灰岩に広く覆われたのち隆起した山地で、その後第三紀層が蝕去され、直接露出した基盤岩が壮年期の浸食をうけた結果、峻険な嶺線を形成し、
古くは太平を「おいだら」とよんだという。天明八年(一七八八)から寛政二年(一七九〇)まで
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
秋田県中部,秋田市東部北端の山。古くは〈おいだらやま〉ともいった。標高1171m。太平山地を代表する山で,前岳,中岳,奥岳などからなる。山体は新第三系の花コウ岩類と,これを覆うグリーンタフが主体で,地貌は険しく,美しい。山頂付近は灌木・草本帯で,標高900m以下はブナ林が卓越し,北側ではおもに秋田杉,南側ではミズナラが加わる。古来,山岳信仰の対象となり,山頂に太平山三吉(さんきち)神社がある。信仰圏は県内一円から北海道方面に及び,秋田市赤沼の里宮は1月17日の梵天祭でにぎわう。近世には秋田藩の重要な木材・薪炭の供給地で,藩は山守を置き,植林にも力を注いだ。西麓に仁別(にべつ)国民の森,太平山スキー場,仁別レジャーランド(1989年閉鎖)などがあり,現在は太平山リゾート公園となっている。
執筆者:北条 寿
《秋田郡村々神社調》には,山頂に薬師堂がまつられ修験の宝泉院が別当の任に当たっていたとあり,伝説では秋田郡太平元正寺の薬師が山頂に飛来したと伝える。現在山頂にまつられている太平山三吉神社は,その名が示すように,太平山の山神と三吉霊神とが合わせまつられたものである。三吉は山鬼の変化したもので,修行によって神通力を得た山人をまつったものともいい,あるいは〈みよし〉とも読むのは大和吉野山を模倣した三吉野の意であるともいわれている。いずれにしても,江戸時代後期から明治期にかけて流行神的様相を呈して信仰が広まっており,秋田市,大仙市,仙北市,仙北郡などを中心に多数勧請(かんじよう)されている。しかしその範囲からして,本来は山麓部の氏神的性格をもった神であったといえる。
執筆者:宮本 袈裟雄
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
秋田県中央部、秋田市と北秋田郡上小阿仁村(かみこあにむら)の境界にある山。標高1170メートル。太平山地の主峰をなし、緑色凝灰岩の基盤岩が広く露出している。古くから信仰の対象になった山で、山頂には太平山三吉神社(たいへいざんみよしじんじゃ)の奥宮がある。役小角(えんのおづぬ)の創建と伝えられ、801年(延暦20)坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)が東夷(とうい)征討の際戦勝を祈願し堂宇を建立、再興したという。
[宮崎禮次郎]
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
出典 日外アソシエーツ「事典 日本の地域遺産」事典 日本の地域遺産について 情報
…国道50号線沿いにある大平工業団地には,いすゞ自動車栃木工場が72年から操業を始め,関連工場も進出している。町の北西にそびえる太平山は県立自然公園に指定され,南斜面にはブドウ園が多い。中腹にある大中寺は曹洞宗の名刹(めいさつ)で,上田秋成の《雨月物語》でも知られる。…
…面積158km2。最高点の標高が109m(野原(のばる)岳)の低平な島で,琉球王朝時代に宮古は太平山(たいへいざん)とも呼ばれた。平良(ひらら)市と宮古郡の下地(しもじ)町,城辺(ぐすくべ)町,上野村からなり,人口4万7181(1995)。…
…北は米代川,南は雄物川によって限られ,西は秋田平野に向かって徐々に低くなる。山地中央部には最高峰の白子森(1179m)をはじめ,太平山(1171m),大仏岳(1167m),馬場目岳(1037m)と,おおむね標高1100m前後の峰が連なり,広大な山地を形成している。定高性を示す山稜の各所に浸食平たん面を残す一方,米代川と雄物川の支流の小河川による浸食作用が活発で,深い峡谷が刻まれて早壮年期山地の特徴を示す。…
※「太平山」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
〘 名詞 〙 年の暮れに、その年の仕事を終えること。また、その日。《 季語・冬 》[初出の実例]「けふは大晦日(つごもり)一年中の仕事納(オサ)め」(出典:浄瑠璃・新版歌祭文(お染久松)(1780)油...
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