沖縄県、宮古島(みやこじま)にあった旧市名(平良市)。現在は宮古島市(みやこじまし)の北部を占める。旧平良市は1947年(昭和22)市制施行。2005年(平成17)宮古郡城辺(ぐすくべ)町、下地(しもじ)町、伊良部(いらぶ)町、上野(うえの)村と合併し宮古島市となった。旧市域は宮古島北部域と宮古島北方に位置する池間島(いけまじま)と大神島(おおがみじま)を含む。方音ピサラ。石灰岩で覆われた比較的低平な地形であるが、中央部には北西から南東に丘陵が走る。宮古空港から那覇をはじめ東京、大阪、多良間(たらま)島、石垣島へ定期航空便があり、また平良港から伊良部、多良間へ定期船がある。市街地は、西里、下里、東仲宗根(ひがしなかそね)、西仲宗根、荷川取(にかどり)の5か字(あざ)で、古くから、宮古諸島の政治、経済、社会、文化、教育などの中心地であり、16世紀のはじめ、豪族仲宗根豊見親(なかそねといみやー)が宮古島を統一以来、ここが中心となった。平良港の後背地として発達し、港を中心に道路が延び、西部に国道390号が通じ、池間島とは池間大橋で結ばれる。公共施設、官庁の出先機関、商店などが集中している。農村地域に立地する村落のなかで、池間、大神、狩俣(かりまた)、島尻(しまじり)、大浦(おおうら)、久松(ひさまつ)は比較的古い村落といわれ、大神島は宮古島へ何度も強制移民を送り出した歴史をもつ。農業はサトウキビ栽培が中心で、肉用牛の生産も行う。池間島、久松、狩俣、西原では漁業も行われている。とくに池間島は1906年(明治39)愛媛県からかつお節加工技術を取り入れ、県下でも代表的漁村として発達した。400年の歴史を誇る宮古上布の産地であるが、近年は生産反数が減少している。狩俣湾、大浦湾、西平安名(にしへんな)岬などの美しい自然景観、漲水御獄(はりみずうたき)、ドイツ皇帝博愛記念碑、人頭税石(にんとうぜいせき)などの旧跡が多く、熱帯植物園、総合博物館、砂山ビーチ、パイナガマビーチもあり観光地化しつつある。
[堂前亮平]
『『平良市史』全10巻(1976~2003・平良市)』
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…第2次世界大戦前は県下有数のサトウキビ作地帯の純農村であった。稲嶺と平良(たいら)の両村落は南北アメリカ,とくにブラジルへの移民が多いことで知られる。現在,サトウキビ,野菜,花卉などの農業のほか,豚,乳用牛の畜産も盛んである。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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