稲の収穫を祝い、豊穣(ほうじょう)を祈る式典。「しんじょうさい」ともいう。その年の新穀を天神地祇(ちぎ)に献供するとともに、天皇自ら食す行事で、宮中神嘉殿(しんかでん)で行われた。11月の中または下の丑(うし)、寅(とら)、卯(う)、辰(たつ)の日にわたって行われ、卯の日が新嘗祭、辰の日が豊明節会(とよのあかりのせちえ)である。丑、寅の両日には豊明節会に舞う五節舞姫(ごせちのまいひめ)の帳台(ちょうだい)の試(こころみ)(下稽古)、御前(ごぜん)の試などが行われた。五節舞姫は4人構成で、公卿(くぎょう)の娘2人、国司の娘2人が舞う。丑の日は天皇が常寧殿の帳台に参る舞姫をご覧になり、翌寅の日の御前の試には、舞姫を清涼殿に召してご覧になる。この日、殿上の淵酔(えんずい)と称して清涼殿で公卿などに酒を賜り、朗詠、今様などをうたう。卯の日は童女御覧(わらわごらん)。その夜が新嘗祭。翌辰の日が豊明節会。天皇は豊楽院(ぶらくいん)あるいは紫宸殿(ししんでん)に出御する。天皇には新穀の御膳(ごぜん)を供し、群臣にも賜り、白酒(しろき)・黒酒(くろき)が出される。一献(いっこん)・国栖奏(くずのそう)、二献・御酒勅使(みきのちょくし)、三献で五節舞が行われる。大歌所の別当の大歌につれて舞姫が舞台にあがり、五たび袖(そで)を翻して舞う。帳台の試、御前の試、童女御覧などはこの日のための予行にすぎない。この儀式は、天皇即位の大嘗会(だいじょうえ)と同じ方法で行う厳粛なものである。
後花園(ごはなぞの)天皇(在位1428~64)のとき以後中絶したが、東山(ひがしやま)天皇(在位1687~1709)時代に再興。明治以後、新嘗祭(にいなめさい)として11月23日を定め、1948年(昭和23)以降現在の勤労感謝の日として受け継がれている。
[山中 裕]
〈にいなめまつり〉または音読して〈しんじょうさい〉ともいう。宮中の儀式の一つで,11月23日天皇が新穀を天神地祇に供え,天皇みずから食す。旧祝祭日の一つであったが,第2次大戦後〈勤労感謝の日〉として国民の祝日の一つとなった。律令制では,11月〈上卯相嘗祭,下卯大嘗祭〉(《令義解》)と規定し,後者は新嘗に相当するが区別ははっきりしておらず,後になって,一年一度のを〈新嘗〉,天皇一代一度のを〈大嘗〉と区別するようになった。これをニイナメとよむのは後になってからで,本来はニイナエ(ニヒナヘ,ニヒノアヘ。アヘは〈饗〉で神に食物を供えることないしは神人共食の意味である)らしく,ニフナミという東国風の音(《万葉集》巻十四)もあった。ニヒ,ニフは稲積(にお)を意味するニホとも関連が深い。北陸に民俗行事として伝承されるアエノコトや,関東の十日夜(とおかんや)などは,民間で古くから行われた収穫関係の行事で,ニイナメの基礎をなすものである。
→大嘗祭(だいじょうさい)
執筆者:萩原 龍夫
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「にいあえのまつり・しんじょうさい」とも。稲の収穫を祝う神事。11月下卯の日とその翌日に行われていたが,現在では11月23日。朝廷のほか,伊勢神宮や出雲大社など各地の神社で行われ,その年に収穫された新穀(初穂)を神に献じる。朝廷では,卯の日に大社304座に班幣(はんぺい)し,天皇が神嘉殿で斎酒・御饌(みけ)を神とともに食した。伊勢神宮では,勅使の派遣による奉幣の儀に先立って大御饌祭が,つづいて別宮をはじめ諸社でも神事が催される。出雲大社では,新嘗祭後に古伝新嘗祭という独特の神事が行われる。
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…〈にいなめまつり〉または音読して〈しんじょうさい〉ともいう。宮中の儀式の一つで,11月23日天皇が新穀を天神地祇に供え,天皇みずから食す。旧祝祭日の一つであったが,第2次大戦後〈勤労感謝の日〉として国民の祝日の一つとなった。律令制では,11月〈上卯相嘗祭,下卯大嘗祭〉(《令義解》)と規定し,後者は新嘗に相当するが区別ははっきりしておらず,後になって,一年一度のを〈新嘗〉,天皇一代一度のを〈大嘗〉と区別するようになった。…
…旧暦2月から4月の春祭に対し,秋祭は旧暦9月から11月にかけて行われている。宮廷祭祀では,新穀を神に献上する伊勢神宮の神嘗祭(かんなめさい)が旧暦9月(現在は10月),天皇が神に新穀をすすめ感謝の祭りをし,新穀を食する新嘗祭(にいなめさい)が旧暦11月に行われる。一方民間では,田にあって農耕を守った神が,秋の収穫祭を境に人里離れた山に去る山送りの習俗が全国的に残されている。…
…祭祀令は,皇室の祭祀を大祭と小祭に分け,大祭は天皇みずから祭典を行い,小祭は掌典長が祭典を執行し,天皇が拝礼するものと定めている。
[大祭]
1月3日の元始(げんし)祭,2月11日の紀元節祭,春分の日の春季皇霊祭・同神殿祭,4月3日の神武天皇祭,秋分の日の秋季皇霊祭・同神殿祭,10月17日の神嘗(かんなめ)祭,11月23~24日の新嘗(にいなめ)祭,および先帝祭(毎年の命日),先帝以前3代の式年祭(没後満3,5,10,20,30,40,50,100年,以後100年ごとの命日),先后の式年祭,母后の式年祭が大祭である。このうち神嘗祭と新嘗祭以外は,みな明治以後に創制されたものである。…
…古代から続く天皇即位の儀式。天子が年毎の稲の初穂を,皇祖神に供えて共食する祭りを新嘗祭(にいなめさい)といい,それとほぼ同じ内容を,天子一代に一度の大祭として行うのが大嘗祭である。古くはこの祭りによってあらたな天皇の資格が完成するものとされていた。…
…天皇はこの天皇霊を身体に付着する儀礼を実修してきた。具体的事例は,毎年の新嘗祭(にいなめさい)と,即位時の大嘗祭である。大嘗祭は鎮魂祭を意味しており,先帝から遊離した天皇霊を,新帝の身体に鎮める鎮魂術が中心となっている。…
…祭りは本来季節を先導すべき行事であるから,実際の季節感覚に先行する。古代律令制下の神祇官所祭の四時祭では仲冬つまり旧11月の相嘗祭(あいなめまつり)と鎮魂(たましずめ)(鎮魂祭(ちんこんさい))と新嘗祭(にいなめさい)の三祭,季冬つまり旧12月の月次(つきなみ),鎮火(ほしずめ)(鎮火祭(ちんかさい)),道饗(みちあえ)の三祭が冬祭にあたる。相嘗は諸国の神々へ,新嘗は皇祖神へ新穀を供する収穫感謝の祭りであり,鎮魂は天皇霊を補強する神事であるが,季冬の三祭は季夏旧6月にも執行される社会安泰祈願の祭りである。…
…また,賀茂神社,石清水八幡宮など勅祭社であった神社でも御神楽は行われる。宮中で行われる新嘗祭,鎮魂祭などには,前記神楽歌一具以外の神楽歌が歌われるので,以下に曲名を記す。(1)神嘗祭用神楽歌 《幣(みてぐら)》(採物),《志都也(しずや)》《磯等(いそら)》(以上小前張)。…
※「新嘗祭」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...
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