検非違使(読み)ケンビシ

デジタル大辞泉 「検非違使」の意味・読み・例文・類語

けんび‐し【検非違使】

《「けびいし」の音変化。浄瑠璃用明天王職人鑑」の検非違使勝舟に用いられてからの名称》文楽人形かしらの一。30歳前後の眉目秀麗な男性を表し、主役級の役に用いる。

けびい‐し〔ケビヰ‐〕【検非違使】

平安初期に設置された令外りょうげの官の一。初め京都の犯罪・風俗の取り締まりなど警察業務を担当。のち訴訟・裁判をも扱い、強大な権力を持った。平安後期には諸国にも置かれたが、武士が勢力を持つようになって衰退した。けんびいし。
諸国に置かれた検非違使の事務を扱う所。検非違使所

けんびい‐し〔ケンビヰ‐〕【検非違使】

けびいし(検非違使)

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精選版 日本国語大辞典 「検非違使」の意味・読み・例文・類語

けびい‐しケビヰ‥【検非違使・撿非違使】

  1. 〘 名詞 〙 ( 「けんびいし」の撥音「ん」の無表記 )
  2. 平安初期、弘仁七年(八一六)頃に設置された令外の官。京中の犯人の検挙や風俗取締りなどを職務とした。のちに訴訟裁判も取り扱うようになって強大な権限をもち、令制の弾正台刑部省、京職の職掌はここに移った。長官の別当は、中納言または参議である衛門督(ときに兵衛督)が兼任し、その下の佐、大少尉、大少志も衛門府の官人で使宣旨により任じられた。ほかに看督長(かどのおさ)、案主長(あんじゅのおさ)、火長(かちょう)などが属した。けんびいし。
    1. [初出の実例]「又下宣旨撿非違使、畢亦冝同移一レ之」(出典:類聚三代格‐二〇・弘仁一一年(820)一一月二五日)
    2. 「在庁官人・撿非違使(ケビイシ)・健児所等過分の勢ひを高せり」(出典:太平記(14C後)一三)
  3. 中央にならって大和国、武蔵国そのほかの諸国に設置された職名。また、その役所。その任務は中央に準じた。検非違所(けびいどころ)。検非違使所(けびいしどころ)
    1. [初出の実例]「大和国撿非違使正六位上伊勢朝臣諸継預把笏、諸国撿非違使把笏、始於此人」(出典:日本文徳天皇実録‐斉衡二年(855)三月二六日)
  4. 伊勢神宮香取神宮鹿島神宮などに置かれ、神社境内の検察追捕などをつかさどった職。
    1. [初出の実例]「応伊勢大神宮神郡撿非違使事〈略〉望請、神民之中乾事者宛撿非違使、一向令犯罪之人」(出典:類聚三代格‐一・寛平九年(897)一二月二二日)
  5. けんびし(検非違使)

けんび‐し【検非違使】

  1. 〘 名詞 〙 ( 「けびいし(検非違使)」の変化した語で、「用明天皇職人鑑」の検非違使勝舟から出た名称 ) 文楽人形の頭(かしら)の一種。三〇歳前後の男性をあらわし、眉や鬘の種類により、広い範囲の主役的な役柄に用いる。「菅原伝授手習鑑」の梅王丸武部源蔵など。けんびいし。
    1. 検非違使
      検非違使

けんびい‐しケンビヰ‥【検非違使】

  1. 〘 名詞 〙
  2. ( 「けんぴいし」とも ) =けびいし(検非違使)色葉字類抄(1177‐81)〕
  3. けんびし(検非違使)
    1. [初出の実例]「検非違使(ケンヒイシ) いづれ実方の頭なり」(出典:楽屋図会拾遺(1802)下)

けいびい‐しケイビヰ‥【検非違使】

  1. 〘 名詞 〙 ( 「けんびいし(検非違使)」の変化した語 ) =けびいし(検非違使)日葡辞書(1603‐04)〕

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改訂新版 世界大百科事典 「検非違使」の意味・わかりやすい解説

検非違使 (けびいし)

京都の警察・裁判を管掌した令外官(りようげのかん)。略して使とも。弘仁年間(810-824)の中ごろ創置されたと推測されており,その初見は816年(弘仁7)に左衛門大尉となり検非違使の事を兼行したとみえる興世書主である。左右衛門府職員が〈使の宣旨〉により兼任するのが原則で,弘仁左右衛門府式では定員を左右それぞれにつき官人1,府生1,火長5と定め,貞観・延喜式では左右それぞれ佐1,尉1,志1,府生1,火長(かちよう)9に増員し,834年(承和1)には別当が置かれている。火長は看督長(かどのおさ),案主,官人従者などからなり,式にはみえないが,火長の下に下部と称する下輩が置かれていた。佐の定員は時代が下っても式制どおり左右各1であるが,尉以下の職員については,必要に応じ増員が図られている。別当は参議・中納言で衛門督(かみ)を帯びるものが任命され,その発する別当宣庁宣ともいう)は勅宣に準ずる権威をもつ重職であり,佐は別当を補佐することから家柄・人物を選んで補任することになっていた。尉は検非違使庁の実務の中心を担う職員で,法律に精通した明法(みようぼう)道出身者や武力に秀でたものが任用された。平安末期以降明法道出身の尉には坂上・中原両家のものが任用され,武力に秀でたものは追捕(ついぶ)尉といい武士が起用され,少尉を原則とした。志には明法道出身者が起用されることが多く道志と称し,府生は志以上に準ずる職で追捕や裁判に従い,看督長は獄直や追捕に当たり,案主は検非違使庁の書類をつかさどり,官人従者は府生以上の官人ないし看督長が出動するときに従卒となった。看督長などからなる火長身分と府生以上官人との身分的・職階的差は大きい。下部は放免(ほうめん)ともいい,前科者を捜査の便のためにあてたもので,卑賤視されていた。検非違使は京都警察・司法機関の頂点に位置することから,大きな権力を振るい,人々から頼られるとともに恐れられてもいた。京都警察・司法機関として検非違使が十分に機能したことから,後には諸国や郡ないし荘園単位で置かれることがあった。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「検非違使」の意味・わかりやすい解説

検非違使
けびいし

平安時代初期以降主として京中の非違(ひい)を検察するため設けられた令外官(りょうげのかん)。左右に分かれ、その役所を検非違使庁、略して使庁という。使庁は衛門府(えもんふ)に置かれ、使官人も原則として衛門府官人が兼帯した。最初は職員の数も少なかったが、のちには増員され、延喜(えんぎ)衛門府式では左右それぞれにつき佐(すけ)1、尉(じょう)1、志(さかん)1、府生(ふしょう)1、火長(かちょう)9を置くことになっており、さらにこれらの職員の上に使別当(べっとう)が置かれた。使別当には衛門督(かみ)が就任するのが原則で、多く参議ないし中納言(ちゅうなごん)が兼任し、別当宣(せん)は奉勅宣に匹敵するといわれるほどの権威を有していた。検非違使の武力としては、火長身分である看督長(かどのおさ)が京都市中を巡邏(じゅんら)し日常的な警察業務に従っていたが、尉クラスの官人が多数の従者、郎等(ろうとう)を率い、武士団のごとき編成をもって事にあたることがあった。

 検非違使は京ないし近京の地を管轄するだけでなく、宣旨を得て遠国に出動することがあり、1028年(長元1)平忠常(ただつね)の乱のときも最初検非違使が鎮圧のために差遣された。検非違使は犯人追捕にあたるとともに裁判や科刑のことも行い、さらに民事的訴訟も受理し、市(いち)の管理や道路、河川の修復ないし賑給(しんごう)などの京都市内の民政にも関与し、運上物の検封や租税未進の勘徴ないし検田のような租税収取関係の任務につくこともあった。中央に置かれた検非違使が有効であったことから、地方においても国ないし郡単位で置かれ、神社に置かれることもあり、治安維持にあたった。武士の台頭により勢力は衰え、鎌倉時代以降は実質を失っていった。

[森田 悌]

『井上満郎著『平安時代軍事制度の研究』(1980・吉川弘文館)』『谷森饒男著『検非違使を中心としたる平安時代の警察状態』(1980・柏書房)』


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百科事典マイペディア 「検非違使」の意味・わかりやすい解説

検非違使【けびいし】

平安時代の令外官(りょうげのかん)。弘仁年間(810年―824年)の中ごろに置かれ,やがて左右の検非違使庁ができ,別当以下の職員が定められた。初め京都市中の殺人・強盗・謀叛(むほん)人などの逮捕が中心であったが,のちには訴訟・裁判も行い,弾正台・刑部(ぎょうぶ)省・京職(きょうしき)などの仕事を吸収し,強大な権力をもった。武家の興隆に伴い検非違使庁の権限は衰退,鎌倉期以降は有名無実化したが,京都市政機関としては中世を通じて存続。
→関連項目衛府衛門府篝屋京職刑部省下文検断嵯峨天皇鹿田荘弾正台別当判官物源為義

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「検非違使」の意味・わかりやすい解説

検非違使
けびいし

平安時代,嵯峨天皇のとき創設された令外官の一つ。弘仁1 (810) 年の平城上皇の変 (→薬子の変 ) 以後,治安維持の必要から左・右衛門府内に設けられた。おもに京内外の巡検と盗賊無法者の追捕にあたり,天長1 (824) 年に独立の機関として編成,左・右検非違使庁が設置され,承和1 (834) 年には文室秋津が別当に任命されて両庁が統一された。同6年,弾正台の職能も吸収し,京内外に対する警察権を完全に掌握し,さらに訴訟,裁判にまで職掌が拡大され,威勢はすこぶる強大であった。斉衡2 (855) 年頃には大和国には検非違使が存在しており,次第に諸国にもおかれた。武士の勃興により勢力は衰えていった。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「検非違使」の解説

検非違使
けびいし

平安~室町時代に,おもに京中の警察・裁判を担当した職。唐名は廷尉。検非違使は,衛門府の警察権と弾正台の糾弾権を統合する京中警察機関として弘仁年間(810~824)に成立した。10世紀以降,律令裁判制度の形骸化にともなって権限を拡大し,のちに「朝家此職ヲ置キテ以来,衛府ノ追捕,弾正ノ糺弾,刑部ノ判断,京職ノ訴訟,併セテ使庁ニ帰ス」(「職原抄」)と評される強大な権限を獲得するに至る。その官制は,弘仁年間の創設段階に尉・府生,824年(天長元)に佐,834年(承和元)に別当,858年(天安2)に志が設置されて別当・佐・尉・志・府生の職制が整い,佐以下は衛門府の官人が使宣旨によって任命された。下級職員には看督長(かどのおさ)・案主長(あんじゅのおさ)・放免などがいた。

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旺文社日本史事典 三訂版 「検非違使」の解説

検非違使
けびいし

平安初期に設置された令外官 (りようげのかん) の一つ
嵯峨天皇のとき,主として京の治安維持のために置かれた。衛門府の中に置かれ,犯人逮捕を仕事としたが,検非違使庁が設けられるにしたがい,刑部省・弾正台・京職などの仕事を吸収。訴訟・裁判も扱うようになって権威は強大であった。諸国にも置かれたが,武士の勃興によってしだいに形骸化した。

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世界大百科事典(旧版)内の検非違使の言及

【刑罰】より

…犯罪と刑罰の関係について唐律と比較すると,同一の行為に対する刑罰は,養老律では1等から数等減軽されている場合が多い。9世紀ころから律令制はしだいに変容し,やがて検非違使(けびいし)庁が設置されるや,律の規定を改め,盗犯については,律による笞杖から死刑に至る基本刑を換算して,徒1年から15年までの刑を科し,私鋳銭の罪には終身徒刑に財産刑を併科し,また役年終わるもなお前非を悔いない者に対しては,獄舎に拘禁して終身配役することとした。また当代には(恩赦)が乱発されて刑政が弛緩し,とくに仏教思想の影響もあってか,弘仁年間(810‐824),死刑の執行が停止され,以後1156年(保元1)にそれが復活するまで約350年間,死刑の執行が行われなかったことが注目される。…

【天皇】より


[供御人支配と公家新制]
 律令制の弛緩,変質,荘園公領制の形成とともに,この二つの支柱のあり方も大きく変化する。権門,寺社の占取によって狭められた山野河海に対する支配は,この時期には交通路に対する支配として機能するようになり,天皇はそこをおもな活動の舞台とする商工民,芸能民などの非農業民に対し,天皇家の直属機関として設置された蔵人所(くろうどどころ),検非違使(けびいし)等を通じてその支配を及ぼした。遍歴して交易に携わらなくてはならない商工民,芸能民は,それまでにかかわりをもっていた内蔵寮,掃部寮(かもんりよう),造酒司(さけのつかさ)等のいわゆる内廷官司や,御厨子所(みずしどころ),納殿(おさめどの)のような小官衙を通して,各地の関,渡,津,泊(とまり)等における課税免除,自由通行権の保証を求め,供御人(くごにん)の称号を得て過所を与えられたが,この過所を発給したのはこれらの官司,小官衙を統轄した蔵人所であった。…

【別当宣】より

…古文書の一形式。検非違使(けびいし)別当宣の略。検非違使は平安時代初期の弘仁年間(810‐24)に設置された令外官(りようげのかん)で,その長官が検非違使別当である。…

※「検非違使」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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