愛知県中南部、三河(みかわ)湾に臨む港湾都市。東三河地方にあり、1954年(昭和29)蒲郡、三谷(みや)の2町と塩津村が合併して市制施行。1962年形原(かたはら)町、1963年西浦町を編入。背後は幡豆山地(はずさんち)に囲まれ、前面の三河湾上に大島、竹島などの島々が散在し、県下有数のレクリエーションの場になっている。JR東海道本線が通じ、蒲郡駅を起点に名古屋鉄道蒲郡線が出ている。国道は23号、247号、473号が走り、有料の三ヶ根山(さんがねさん)スカイライン、三河湾スカイライン、音羽蒲郡道路(三河湾オレンジロード)などもある。蒲郡港は、三河港の一翼で重要港湾、また臨海工業地帯を擁する国際貿易港である。江戸時代には東海道が御油(ごゆ)、赤坂を通り、当地域は単なる農漁村であった。1888年(明治21)東海道本線の蒲郡駅が設置され、1889年新橋―神戸間が全通するや一躍駅前集落として発展した。産業は、農業がミカン、工業は繊維が中心で、繊維ロープの生産量は日本一を誇るが、精密機械工業も伸びている。とくに形原地区は麻ロープの全国一の産地。新しく海岸を埋め立ててつくった臨海工業地帯には食品、機械、鉄鋼など各種の近代工場が立地している。漁業は湾内、沿岸漁業が主で、形原港、三谷港、西浦港が基地。形原港は一色港、師崎(もろざき)港とともに県内有数の水揚げ高を誇っている。観光は三河湾国定公園の最大の拠点で、三谷、形原、西浦などの温泉のほか、海、山の観光資源を有する。竹島の八百富(やおとみ)神社社叢(しゃそう)は暖地性植物の繁茂地で国指定天然記念物。竹島水族館、生命の海科学館などのほか蒲郡競艇場もある。面積56.92平方キロメートル、人口7万9538(2020)。
[伊藤郷平]
『『蒲郡市誌』全3冊(1972~1976・蒲郡市)』▽『『蒲郡市三十年史』(1984・蒲郡市)』
愛知県南部の市。渥美・知多両半島に抱かれた三河湾に面し,背後の三方は三河高原末端部の山地に囲まれる。1954年蒲郡町,三谷(みや)町,塩津村が合体,市制。人口8万2249(2010)。中心市街の蒲郡は中世初期に熊野社領蒲形荘,竹谷荘に属し,熊野社に連なる鵜殿氏が城を築いて支配した。戦国時代に松平氏の勢力が入り,竹谷,形原,五井などの松平一族が封じられた。江戸時代には5・10の日の六斎市が開かれている。1888年の東海道線開通を契機に古くから三河木綿で知られる綿織物業や形原町の麻綱の製造が発展,車窓からの海岸美が《鉄道唱歌》にも歌われ,観光都市ともなった。その後,形原,西浦,三谷の温泉や三ヶ根山,遠望峰山の観光開発も行われ,有料道路も建設された。1966年,国際貿易港に指定された蒲郡港は木材の輸入が多く,埋立地には木材関係の企業が相次いで進出している。周辺山麓部には蒲郡ミカンが栽培され,おもに中京市場へ出荷される。府相町海岸の沖合約400mに竹島があり,八百富神社の社叢は天然記念物に指定されている。竹島は現在橋で本土と結ばれている。名鉄蒲郡線も通じる。
執筆者:溝口 常俊
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