フランスの建築家。クレルモン・フェラン生まれ。1978年、パリ第6建築大学卒業。1979年、国立土木大学(エコール・デ・ポンゼショセ)で都市計画を学ぶ。1980年、国立高等社会科学大学大学院で18世紀の修道院について研究。1981年に自らの事務所を開設。
1989年パリのグラン・プロジェ(大統領ミッテランの指示で行われたパリの都市改造計画。1980年代初めに開始)の最後を飾るフランス国立図書館の国際コンペにおいて一等を獲得し、ペローは一躍世界的な注目を浴びた。このコンペの結果は時代の変化を鮮やかに象徴している。多くが1980年代のポスト・モダンを反映したデザインを提案したのに対し、シンプルな4本のガラスの塔をきわだたせたペローの案は、1990年代における透明な建築の流行に先鞭をつけた。図書館でありながら全面ガラスを採用し、モダニズムに回帰しつつもガラスの内側に可動の木製パネルを設置することで、直射日光の侵入に対して配慮している。図書館は、建築の内側に自然を囲い込み、ミニマル・アートやランドスケープ・デザインからの影響が認められる。また金属製の織物の開発など、工業的なディテールにもこだわっている。
ペローは、ハイテク風のデザインを行う一方で、自然と建築の関係を追求した。例えばデンマークのコロニーハーフェン(1995)は、1本の果樹を4枚のガラス板で囲み、梯子(はしご)を一つ置く屋外のインスタレーションである。また、ベルリンのオリンピック自転車競技場および水泳プール(1999)は、巨大な円盤と矩形の施設を地面より低く埋め込み、りんごの樹を植えて周囲の風景から建物を隠している。巨大なボリュームでありながら、フランス国立図書館と同様、外側からははっきりと見えない建築を繰り返す。小さな城館を改造したユジノール・サシロール会議場(1991、サン・ジェルマン・アン・レー)も諸施設を地下に収蔵し、既存の部分を丸いガラス面の上に置く。円形のガラスを池に見立て、あたかも水上の館のようである。
そのほかの主な建築作品にマルヌ・ラ・バレ高等電子技術学校(1987、パリ郊外)、パリのベルリエール工業館(1990)、イブリーの浄水場(1994、パリ)など。著書に『ドミニク・ペロー』Dominique Perrault(1994)、『自然』Des Natures(1996)、『家具と織物』Meubles et Tapisseries(1997)などがある。
[五十嵐太郎]
『Dominique Perrault(1994, Artemis, Zürich)』▽『Des Natures ; Jenseits der Architektur(1996, Birkhäuser, Basel)』▽『Meubles et Tapisseries(1997, Birkhäuser, Basel)』▽『伊東豊雄・元岡展久ほか著『ドミニク・ペロー――都市という自然』(1998・TNプローブ)』▽『東京大学工学部建築学科安藤忠雄研究室編『建築家たちの20代』(1999・TOTO出版)』▽『Bibliothèque Nationale de France 1989-1995(1995, Birkhäuser, Basel)』▽『Dominique Perrault, Architect(1999, Actar, Barcelona)』
フランスの詩人、童話作家、批評家。パリに生まれる。韻文コント集(1694)、「赤ずきん」「青ひげ」「サンドリヨン(シンデレラ物語)」などを含む散文コント集『童話集』(1697)の作者として名高いが、フランス幻想文学の先駆者として評価されている。シャルル・ノディエは「文学における幻想的なものについて」(1830)で、ペローの妖精(ようせい)物語にフランス幻想文学の源泉をみている。またペローは、フランス17世紀を代表する批評家で、1671年アカデミー会員となり、アカデミーの集会で朗読した詩「ルイ大王の世紀」le Siècle de Louis le Grand(1687)をきっかけにしておこった「新旧論争」のおりには、進歩派を代表して、保守派のボアローと渡り合った。彼は近代作家がギリシア、ローマの作家に勝ると主張し、ボアローたちは古代作家を擁護した。ペローの論旨は『古代人近代人比較論』Parallèles des Anciens et des Modernes4巻(1688~97)にまとめられ、保守派を論破している。
[窪田般彌]
『新倉朗子訳『ペロー童話集』(岩波文庫)』
フランスの舞踊家、振付者。リヨンに生まれる。A・ベストリスなどに学び、1830年パリ・オペラ座でデビュー、M・タリオーニのパートナーを務め、35年に退団。ヨーロッパ各地で踊り手、振付者として活躍、ナポリでC・グリジをみいだし、のち結婚した。41年、グリジを主演に不朽のロマンチック・バレエの傑作『ジゼル』を振り付けて、パリ・オペラ座で初演。その後、ロンドンのマジェスティ劇場、ペテルブルグの帝室劇場のバレエ・マスターを務め、多くの作品を振り付けた。ほかの代表作に『エスメラルダ』『パ・ド・カトル』『パリスの審判』『四季』など。
[市川 雅]
フランスの批評家,童話作家。17世紀後半に活躍した神学者や建築家などのペロー4兄弟の末弟。弁護士の資格を得て大臣コルベールの下で働き,重用される。しかし1671年にはアカデミー・フランセーズ会員となり,87年の総会で国王の頌詩《ルイ大王の世紀》を発表した。ルネサンス以来の古典尊重の文芸思潮に反発し,古代と近代の作家を同次元に置いて比較し,前者の絶対視を否定したことによって,新旧論争の口火を切る。古代派の反撃に対して,4巻の《古代人・近代人比較論》を著した。第1巻(1688)は建築,彫刻,絵画,第2巻(1690)は散文,第3巻(1693)は韻文,第4巻(1697)は科学を取り扱い,それぞれの分野における近代の優越性を説く。さらに古代派の頭目ボアローの風刺に対して,《女性の擁護》(1694)を書いたが,アルノーの仲介により両者は和解した。新旧論争は18世紀に入って再燃し,フェヌロンの《アカデミーへの書簡》によって終息するが,文学史・思想史上,古代の権威と古典主義の否定という大きな意義をもち,ペローの名は近代派の代表者として忘れられることはない。彼はまた17世紀末から著しい妖精物語の流行に刺激されて,民間伝承に素材を求め,97年に《昔々の物語》あるいは《お伽噺》と呼ばれる童話集を書いた。《眠れる森の美女》《赤頭巾》《青ひげ》《長靴をはいた猫》《妖精》《シンデレラ》《まき毛のリケ》《親指小僧》の8編を収める。これ以前に書かれた3編の韻文の物語,《サリュス侯爵夫人あるいはグリゼリディスの忍耐》《願いごと》《ロバの皮》を加えて,いわゆるペロー童話集として,後世に伝わった。合理主義者でモラリストであるペローは,童話のうちに鋭い人間観察を秘め,しかも簡潔な表現によって,きわめて皮肉な心理分析を展開する。フランス文学におけるこのジャンルの代表者と評価される。
執筆者:戸張 智雄
フランスの舞踊家,振付師。リヨンに生まれ,幼時から古典舞踊を習うが,道化芝居やサーカスに出演もする。13歳のときパリへ出て,当時人気のあったアクロバットの名手マズリエCharles-François Mazurier(1798-1828)のような踊り手になることを夢見てA.ベストリスに師事するかたわら,動物園に通って猿の生態の観察までした。種々の劇場で踊ったのち,1830年オペラ座でデビューする。のち世界各地で踊るが,ナポリで当時14歳のグリジを発見し,彼女を世に出すことを生き甲斐とし,その教育に努め,41年,パリのオペラ座において《ジゼル》の主役を踊らせることに成功する。その後ロンドン,ペテルブルグなどで振付をし,ことに後者においてはロシア・バレエの発展に大きく寄与した。舞踊家としては身軽で,複雑な技術を得意とし,〈空気のペロー〉といわれた。舞姫偏重のロマンティック・バレエの時代にあって批評家,観客の双方から賞賛された数少ない男性舞踊家の一人である。オペラ座時代にはロマンティック・バレエの女王タリオーニの相手役を務めたが,彼の人気が災いしてタリオーニの不興を買い,退団に追い込まれたとの説もある。振付師として《ジゼル》(1841),《オンディーヌ》(1843),《ラ・エスメラルダ》(1844)などの名作を数多く残した。
執筆者:薄井 憲二
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…青髯Barbe‐Bleueとは,フランスのC.ペローの《昔話集》(1697)に収められた同名の物語の主人公ラウルのことである。不気味な青い髯のゆえに恐れられている大金持ちの貴族が新妻を迎えるが,彼女は夫の留守中に禁断の小部屋をのぞいてしまう。…
…ヨーロッパで口伝えの昔話で,フランスのC.ペローが〈童話集〉に再話して収めたもの。赤ずきんとよばれる娘が母の言いつけで祖母に菓子を持って行く途中,狼に出会う。…
…以下,〈絵本〉や〈口承文芸〉については別項にゆずり,狭義の児童文学の歴史をたどってみよう。
【西洋】
世界の児童文学の源流に立つのはC.ペローである。ペローの《ガチョウ小母さんのお話》(1697)は,昔話に初めて文字をあたえ,〈赤ずきん〉や〈長靴をはいた猫〉〈親指小僧〉を子どもたちの永遠の財産にした。…
…フランスのシャルル・ペローが1697年に出版した《昔々の物語ならびに教訓》に再話として収めた昔話。遺産として猫しかもらえなかったある三男坊に,猫がカラバ侯爵という名をつけて巧みに王に推挙するいきさつを物語る。…
…イギリスでは〈nursery rhymes(子ども部屋の歌)〉と呼ぶのが普通。この俗称の起源は,1765年ころニューベリーJohn Newberyが出版した童謡集《がちょうおばさんの歌Mother Goose’s Melody》にあるといわれる(この書名には1697年に出版されたフランスのC.ペローの童謡集の副題《がちょうおばさんの物語Contes de ma mère l’Oye》の影響があるだろう)。18世紀初頭のボストンで孫たちに童謡を教えたエリザベス・グース夫人の名まえに由来するというアメリカの俗説もある。…
…とくに17世紀末フランスの宮廷やサロンで,特定の作家による再話や創作が流行しはじめ,それらが各国にひろまり,近代児童文学の成立に大きな影響を及ぼす。狭義の妖精物語として知られる初期の代表作はオーノア夫人によるもの(1697‐98)で,《金髪姫》《青い鳥》などがあるが,同時期のC.ペローによる《眠れる森の美女》《サンドリヨン》などの〈物語集〉(1697)のほうが広く読まれ,18世紀における妖精物語の嚆矢となる。ルプランス・ド・ボーモン夫人の《美女と野獣》などがこの伝統をうけついだが,19世紀になるとドイツのグリム兄弟らロマン派の作家たちによる組織的な再話の試みがなされ,セギュール夫人らの創作妖精物語の試みもあらわれる。…
…古代近代論争とも呼ばれ,2期に分かれる。前期は1687年ペローの国王の頌詩《ルイ大王の世紀》に端を発し,ギリシア・ラテンの古典と当代のフランス文学の優劣をめぐって,ペロー,フォントネル等の近代派と,ボアローを中心とするラ・フォンテーヌ,ラ・ブリュイエール等の古代派が対立。94年にアルノーの仲介によって両派が和解する。…
※「ペロー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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