ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説
イスラム教
イスラムきょう
Islām
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翻訳|Islam
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(2013-03-24 朝日新聞 朝刊 京都市内 1地方)
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m)とは、「(神の意志や命令に)絶対帰依(きえ)・服従すること」を意味した。のちには、広くそのような帰依の仕方を制度化した文化的社会的複合体をさすことばとなった。ちなみに、イスラム教徒を表す「ムスリム」muslimとは、元来そのように「帰依した者」を意味したのである。イスラム教はまた仏教やキリスト教と並ぶ世界宗教である。1966年の統計では、世界の総人口33億6000万人のうち、ムスリムは5億3000万人といわれていた。そのおもな内訳は、西アジアのアラブ諸国に3000万人、西アジアの非アラブ諸国(トルコ、イラン、アフガニスタン)に7200万人、北アフリカのアラブ諸国に6000万人、サハラ以南のアフリカ諸国に6000万人、セイロン(現スリランカ)、ビルマ(現ミャンマー)を含むインド亜大陸に1億4500万人、東南アジア諸国に1億人、ソ連(当時)に3000万人、中国に1500万人、バルカン半島に500万人、となっている。今日の世界のムスリムの総数は統計上は明らかでないが、世界の総人口が60億人とすれば、同じ割合の増加とみて約9億5000万人となる。[中村廣治郎]
hil
yaとは、イスラム以前の「無知」の時代、またはその時代の生活様式をさすことばである。広義には、古代南アラビアの諸王国や北アラビアのナバタイ王国、パルミラ王国の時代までも含まれるが、一般にはイスラム成立前1世紀余りの時代をさす。それはアラブ部族間の闘争時代である。人々は自己の部族のために戦い、それを誇りにした。部族のみが人間に安全を保障し、それがすべてであった。この時代に後世の範と仰がれる詩が突如生まれ完成した。詩人が活躍し、カーヒンとよばれるシャーマンが神がかりして人々に託宣を伝え、砂漠ではジン(霊鬼)が人に危害を加えるとして恐れられ、人々は自然石や刻んだ石を聖石、神像として崇拝していた。なかでもカーバ(神の館)の黒石は方形の仕切りで囲われた程度のものであったが、神殿の内外には多くの神像が安置され、メッカのクライシュ人のみならず、広くヒジャーズ全域の尊崇を集め、人々は神聖月には戦いをやめて巡礼にやってきた。その機会に市(いち)が立ち、詩人たちが集まって詩作を競った。神々のなかでもアッラート、ウッザー、マナートの3女神は有名であり、アッラーも至高神としてとくにクライシュ人に信仰されていた。総じて当時のアラブの信仰形態は多神教とはいえ、アニミズム的性格を強く残した原初的なものであった。
'a(男らしさ)とよばれる、部族の現世的繁栄に資する徳や価値であり、また「ダフル」(時)ということばで表された運命観であった。当時のメッカは商業都市として繁栄していたが、その裏には貧困や悪弊があらわになりつつあった。クライシュ人の一員としてムハンマドが生まれたのは、このような時代である。伝承によれば、南アラビアのヒムヤル王国を滅ぼしたアビシニア(エチオピア)の将軍アブラハが象の大軍を率いてメッカを攻めた「象の年」(570)のことといわれている。[中村廣治郎]
b)、(4)預言者(ナビーnab
) 神の被造物にすぎない人間が、思いのままにすべてを支配する絶対的な神を前にして安全に生活し、かつ来世における救いにあずかるには、人間の知恵や理性では不十分である。神の啓示がなければ、闇夜(やみよ)に取り残されたも同然である。そこで神は、人類の祖アダムの創造以来、次々と預言者(使徒)を各共同体(ウンマ)に遣わして、正しい信仰と行為規範を伝えさせた。アダムをはじめとして、ノア、アブラハム、イサク、ヨセフ、モーセ、ダビデ、ソロモン、ヨハネ、イエスのほか、フード、サーリフ、シュアイブなど、28人の名がコーランにあがっている。伝承によれば、その総数は約12万4000人ともいわれるが、正確には知られないという。これらの預言者の最後がムハンマドである。なかでも、モーセ、ダビデ、イエス、ムハンマドにはそれぞれ、とくに天啓の書として「律法(りっぽう)」「詩篇(しへん)」「福音書(ふくいんしょ)」および「コーラン」が授けられた。これらの一連の啓示および諸聖典の内容は、普遍的一神教という点では本質的に同じものであり、コーランは最後の聖典としてそれらを最終的に確証し補正するものとされる。すなわち、現実に存在するコーラン以前の諸聖典は歪曲(わいきょく)されていて本来の啓示を正しく伝えていないので、神は最後にムハンマドを遣わして、人間が守るべき信条と法を完全に示し、それを人々に正しく伝えさせた、とするのである。
khira) 天地万物は過去の一点において神によって創造されたように、永遠ではない。やがてそれは終末のときを迎える。終末は天変地異となって現れるが、それがいつであるかは、だれにもわからない。一瞬後のことかもしれないし、遠い将来のことかもしれない。初期の啓示には、終末が目前に迫っていることを思わせるものが多い。すべてが滅び去ったのち、死者は生前の状態に蘇生(そせい)し(復活)、神の前に引き出され、生前の信仰と行為の裁きを受ける。信仰し行い正しい人は天国で平安な生活を送り、信仰せず不義をなした者は地獄において永遠の罰を受ける。これらについてのコーランの記述は具体的でリアルである。
da) 「アッラーのほかに神はない。ムハンマドはその使徒(預言者)である」ということを告白することである。これは、入信の際に告白することばであり、また礼拝その他のおりにムスリムがつねに表白するものである。このままの形ではコーランにはないが、それは端的にムスリムになること、またそうであることを表明することである。すなわち、前半の部分で一神教の原理を、後半の部分でムハンマドが神の使徒であることを認め、それによってムハンマドを通して神が啓示したことば(コーラン)を真実と認めることを意味するからである。
al
t) 被造物である人間が創造主である神を前にして己を低くし、神の偉大さと栄光をたたえる儀礼的行為である。1日5回(夜明け前、正午、午後、日没後、夜)、一定の時刻に一定の形式に従って行われる。金曜日の正午にはモスクでの集団礼拝が行われるが、このほかにも断食明けの祭りや犠牲祭、雨乞(あまご)いなどの特別の場合にも行われる。
t 喜捨、施しのことである。サダカが自発的に随時になされる施しであるのに対し、ザカートは一定量以上の財産に課せられる宗教税、救貧税とでもいうべきものである。金銭、穀物、家畜など、種類に応じて課税率は定められている(たとえば、金銭は2.5%)。こうして集められたザカートは、貧者、旅人、孤児などの困窮者に与えられることになっている。世俗化の傾向にある今日の多くのムスリム諸国では、ザカートの支払いは個人の発意にゆだねられている。
awm) これはイスラム暦の第9月のラマダーン月に行われる断食のことである。夜明けから日没までの間いっさいの飲食を断ち、慎み深い生活を送ることをいう。病気や旅行でできなかった人は、他の月に同じ日数だけ断食をするか、貧者に食を施すことによって償うことができる。断食は、人間の最大の欲望である食欲に打ち勝ち、同時に食なき者への思いを新たにするときであるともいわれる。
ajj) イスラム暦第12月のズール・ヒッジャ月、7~10日の間、「神の館」であるメッカのカーバ神殿およびメッカ近郊の聖域への巡礼をいう。肉体的能力と資力のあるムスリムが一生に一度は行うべき義務とされている。
d
tというが、これは神への奉仕の意である。つまり、五柱とは神に対する人間の奉仕義務のことである。これに対して、日常生活を行ううえでの人間相互の関係、たとえば、婚姻、相続、契約、売買、裁判、刑罰、聖戦などを規制する人間の義務関係、つまり法的規範を「ムアーマラート」mu‘
mal
tという。このイバーダートとムアーマラートをあわせたものがイスラム法(シャリーア)の内容をなし、イスラム法学(フィクフ)が明らかにするものである。イスラムとは、このような生活規範のなかに示されている神の命令に従って日常の生活を営むことである。この意味でイスラム教は、生活に密着した宗教であるといえる。ムスリムになるということは、日常とは異なる特別な生活をすることではない。日常生活を自覚的に正しく生きようとすることにほかならない。イスラムはそれを抽象的な道徳として説くだけではなく、そのための具体的な生活規範をも明らかにしているのである。そのような生き方のなかに、現世の福祉と来世における救いがある。なぜなら、イスラムにおける正義とは、神がそのことばのなかに示した命令のことであり、したがって、正しく生きるということは、神に従順に生きることだからである。こうしてイスラムの信仰は必然的に共同体的形態をとり、さらには国家的形態をとろうとする。イスラムのこの実践的性格は、その最初の、そしてもっとも高度に発達した学問が、神学ではなく法学であるということに現れている。それは、イスラムの教義が単純平明であることにもよるが、なによりもまずムスリムが最初に直面した問題が、何をなすべきか、つまり、どのように行動すれば神の意にかなうのか、という具体的な行為規範であったことによる。そのための第一のよりどころとなるコーランをいかに正しく解釈するかということから、コーラン学や文法学が生まれ、さらに古詩学や伝承学、そしてイスラム法解釈の方法論を明らかにする法理論が生まれ、さらに神学(カラーム)が生まれたのである。[中村廣治郎]
ldeke(1836―1930)はコーラン研究やセム語文献学に、フランスのマッシニョンL. Massignon(1883―1962)やイギリスのニコルソンR. A. Nicholson(1868―1945)はスーフィズム研究に、アメリカのマクドナルドD. B. Macdonald(1863―1943)は神学研究に優れた業績を残した。これらはイギリスのギブH. A. R. Gibb(1895―1971)、ドイツのシャハトJ. Schacht(1902―69)、フランスのコルバンH. Corbin(1903―78)らに引き継がれて今日に至っている。出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報
…信者をムスリムというが,それは〈絶対的に服従する者〉の意である。イスラムそれ自体が宗教の名であるから,イスラム教と呼ぶ必要はない。かつて欧米ではモハメッド教,マホメット教Mohammedanism,中国で清真教,回回教,回教,日本でも回教と呼ばれたことがあるが,正しい呼称ではないために現在ではほとんど用いられなくなっている。…
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