アメリカのブルース・シンガー、ギタリスト。本名チェスター・バーネットChester Burnett。第二次世界大戦後のシカゴ・ブルースを代表するブルースマン。ブルース・シーンに長くとどまり、黒人のための音楽としてブルースを歌い、多くのミュージシャンの精神的支柱となった。
ミシシッピ州ウェスト・ポイントに生まれる。綿花畑での労働を子供のころから強いられていたが、1923年に家族とともにミシシッピ・デルタ中央部のルールビルに移ったことが、後のミュージシャンとしてのウルフをつくることになる。すなわち、このエリアのもっとも影響力のあるエンターテイナーで、デルタ・ブルース(ミシシッピ川とヤズー川に挟まれたデルタ地帯で古くから盛んに歌われたブルース)の功労者チャーリー・パットンに1928年ごろ出会い大いに感化される。だみ声でうなるように歌うスタイル、見るものを楽しませようとするエンターテイナーとしての素養は、いずれもパットンとの接触によりこのころ形作られた。その後1930年代にサニー・ボーイ・ウィリアムソンⅡSonny Boy Williamson Ⅱ(1899―1965、ウルフの妹と一時結婚していた)やロバート・ジョンソンらとも活動、ブルカウ、ビッグ・フットといったステージ・ネームで知られるようになる。
1941年陸軍に入隊、1945年に除隊後綿花畑での労働に戻るが、1948年にアーカンソー州ウェスト・メンフィスのラジオ局KWEMでDJ兼シンガー兼広告宣伝マンとして番組をもったことから急速に知名度をあげ、これを聞いたサム・フィリップスSam Philips(1923―2003、エルビス・プレスリーを後に発掘して有名になる)からレコーディングの声がかかる。デルタ・ブルース・ギターの元祖パットン、ブルース・ハープ(ハーモニカ)の魔術師ウィリアムソンという両巨人からの直伝であったが、ウルフのテクニックはどちらもそう特筆すべきものでもなかった。「ハウ・メニー・モア・イヤーズ」「ライディン・イン・ザ・ムーンライト」(ともに1951)といった初期のヒット曲は、当時の南部のジューク・ジョイント(黒人専用のクラブ)での黒人ブルースマンの演奏ぶりを色濃く表している。
1952年にシカゴに移住、本格的にミュージシャンとして活動し、チェス・レコードに吹き込みを続ける。その後バンドのメンバーにも恵まれ、「イーブル」(1954)、「スモークスタック・ライトニン」「アイ・アスクト・フォー・ウォーター」(ともに1956)といった絶頂期の名作を残す(いずれも『モーニン・イン・ザ・ムーンライト』(1958)収録)。
1960年代に入ると、ウィリー・ディクソンWillie Dixon(1915―1992)の楽曲を多く吹き込み、「ザ・レッド・ルースター」「アイ・エイント・スーパースティシャス」(ともに1961)、その他ユーモラスな曲で人気を博す。ローリング・ストーンズがウルフに特別の敬意を払い「ザ・レッド・ルースター」をカバーし、イギリス・ヒット・チャートで1位にしたことからロック・ファンの間でも1960年代中ごろには知られるようになる。1965年には本人も全く想像しなかったアメリカ、ABCテレビの音楽番組「シンディグ」に出演しブルースを歌う。これ以降、ロック・ミュージシャンに尊敬されるブルースマンとして『ザ・ロンドン・ハウリン・ウルフ・セッションズ』(1971、エリック・クラプトン、ローリング・ストーンズ、リンゴ・スターRingo Starr(1940― )らとのセッション)といったアルバムも作られたが、けっして波長の合ったものではなかった。
1970年代は何度も心臓発作に見舞われ、そのたびにカムバックし不屈の闘志をみせ、『ザ・バック・ドア・ウルフ』(1973)のような名作も発表する。しかしついに癌(がん)には勝てず永眠した。ウルフの志はウルフ・ギャングといったグループにも伝えられ、そのブルース・スピリットはシカゴで受け継がれている。
[日暮泰文]
『Peter WeldingI Sing for the People; The Howlin' Wolf Interview,(in Down Beat ,1967, Maher Publications, Elmhurst)』▽『Peter GuralnickLost Highway(1979, David Godine, Boston)』
イギリスの女流小説家、批評家。哲学者で『英国人名辞典』の初代編集者レズリー・スティーブンLeslie Stephen(1832―1904)の次女として1月25日ロンドンに生まれ、ビクトリア朝最高の知性の集まる環境で成長した。セント・アイブスの海辺の別荘で両親や兄弟たちと過ごした幼年期の夏の経験、とくに若くして世を去った家族の中心的存在だった母の記憶が、彼女の人生と作品の世界を大きく支配するようになる。両親の死後、弟エイドリアンを中心に、ケンブリッジ大学出身の学者、文人、批評家が彼女の家に集まり、いわゆるブルームズベリー・グループとよばれる知的集団を形成した。1912年には、このグループの一員で植民地行政官であったレナード・ウルフLeonard Woolf(1880―1969)と結婚。レナードは、政治評論の筆をとるかたわら、ホガース出版社を設立し、妻のよき理解者、援助者となる。
1915年に処女作『船出』を、また1919年には『夜と昼』を出版。2作とも伝統的な小説作法に拠(よ)っているが、以後の新しい展開を予見させる。1922年の『ジェイコブの部屋』では、主人公が周囲の人に与える印象と周囲の人が主人公に与える印象をつなぎ合わせた新しい小説の形を試みた。これをより完成させた作品が『ダロウェイ夫人』(1925)である。この間、評論『現代小説論』(1919)や『ベネット氏とブラウン夫人』(1924)で新しい実験的な小説のあり方を主張、時代とともに「真実」のとらえ方も変わることを強調した。1927年には、幼年時代の原体験の叙情的昇華といえる『灯台へ』を発表。「意識の流れ」の技法を用いて人間の心理の最深部を探り、時間、事実と真実の新しい観念を示した。16世紀から20世紀まで生き、途中で性転換をする人物を通して描いた、友人ビタ・サックビル・ウェストの伝記『オーランドー』(1928)は、その観念の具現化の好例である。1931年に発表した『波』は小説より詩に近く、彼女の思想の究極を示すと同時に限界をも示しており、『歳月』(1937)、『幕間(まくあい)』(1941)はこの限界を越えようとする模索を示している。文芸評論集『普通の読者』2巻(1925~1932)、女性論『私だけの部屋』(1929)、『三枚のギニー金貨』(1938)などがある。1941年3月28日、ウーズ川に投身自殺。原因は少女時代からの強度の神経症の再発といわれている。
[佐藤宏子]
『『ヴァージニア・ウルフ著作集』全8巻(1976~1977・みすず書房)』▽『大沢実編『ヴァージニア・ウルフ』(1966・研究社)』▽『深沢俊著『ヴァージニア・ウルフ入門』(1982・北星堂)』▽『クウェンティン・ベル著、黒沢茂訳『ヴァージニア・ウルフ伝』全2巻(1976、1977・みすず書房)』
アメリカの小説家。ノース・カロライナ州アッシュビルに生まれる。石材店主の父と旅館業者の母から強い影響を受ける。ノース・カロライナ大学とハーバード大学大学院で劇作法を修めたのち、しばらくニューヨーク大学で教職につく。恋人、母、師、パトロンともいうべきアリーヌ・バーンスタインAline Bernstein(1880―1955)の励ましを受けて『天使よ故郷を見よ』(1929)を執筆し、『スクリブナーズ』誌の編集者マクスウェル・パーキンズMaxwell Perkins(1884―1947)に認められ、文壇に登場する。しかし、のちには2人と決別した。「真摯(しんし)なる小説はかならずや自伝的である」とウルフは書いているが、まさに彼の4小説『天使よ故郷を見よ』、『時間と河』(1935)、『蜘蛛(くも)の巣と岩』(1939)、『帰れぬ故郷』(1940)は、アメリカとヨーロッパを舞台とする総計3000ページに及ぶ自伝的超大河小説である。身長1メートル95センチ、体重100キログラムのウルフは、青春の激情がほとばしる文体で、ちょうどホイットマンのように、自己を通してアメリカを表現し続けたが、37歳で夭折(ようせつ)した。作品にはほかに、短編小説集『死より朝へ』(1935)、随筆『ある小説の物語』(1936)などがある。
[古平 隆]
『大沢衛編『トマス・ウルフ』(1966・研究社)』
イギリスの女流小説家,批評家。ロンドンのケンジントンに文学者レズリー・スティーブンの第4子として生まれ,文学的な環境に育ち,自宅で教育を受けた。1904年,父の死後ブルームズベリーに移り住み,いわゆるブルームズベリー・グループの一人として,《タイムズ》文芸付録などに執筆するようになった。05年ころからすでに神経症に悩んでいる。L.ストレーチーとの恋愛が不調に終わったのち,12年,セイロンの官吏の職を辞して急遽帰国したレナード・ウルフと結婚。彼は生涯,神経症に悩むこの天才小説家のよき伴侶であった。処女作《船出》(1915)と《昼と夜》(1919)は伝統的な小説といってよいが,第3作短編集《月曜日か火曜日》(1921)と,心理の動きを主として青年の一生を描いた《ジェーコブの部屋》(1922)では,内面世界に執着する独特の作風がはっきりと表れている。政治家夫人の一日の生活を背景にし,その意識を中心に据えることによって諸人物を巧みに描いた《ダロウェー夫人》(1925)と,父の投影の濃い哲学者一家の生活を心理的に描いた《灯台へ》(1927)により,いわゆる意識の流れに重点をおく内面描写と,それを表す詩的文体を完成した。この間,神経症の治療と自作の発表機関をつくるため,1917年手刷り印刷機を買い,夫とともに小出版社ホガース・プレスをつくり,マンスフィールド,T.S.エリオットの作品も出版した。次いで,エリザベス朝で16歳の少年,20世紀には36歳の女性という両性具備の主人公の形で,彼女の内的世界を表現した《オーランドー》(1928),男女6人の内的独白のみを連ねたきわめて象徴的な作品《波》(1931),比較的伝統的な形で中流階級の一家の18世紀から現在に至る姿を描いた《歳月》(1937),《幕間》(1941)などを完成したが,第2次大戦中の41年3月入水自殺した。
彼女はまた第1次大戦後の文学の理論的旗手として,人間の内面,その魂を直接描くことを主張し,《普通の読者》2巻(1925,32),《大佐の死床》(1950),《花コウ岩と虹》(1958)などにまとめられた文芸評論を発表しているが,男女問題についても,《私自身の部屋》(1929),《三ギニー》(1938)などの先駆的名著がある。なお夫レナードが抜粋編集した《作家の日記》(1953)は,彼女の作家的発展をよく示すとともに精神病理学的にも貴重である。
執筆者:鈴木 建三
アメリカの小説家。ノース・カロライナ州アッシュビルに生まれ,1920年に地元の州立大学を卒業したあとハーバードの大学院に進学,劇作術を学ぶ。28年に長編《天使よ故郷を見よLook Homeward,Angel》を完成するが,翌年に出版されたこの自伝小説は,山国の人々の生態のなまなましい描写と〈山なみのかなた〉に思いをはせる青年ユージーン・ガントのみずみずしい情感のゆえに,一躍ウルフをアメリカ文壇の新星の位置に据える。グッゲンハイム奨学金を得て30年に渡欧,翌年には帰国してブルックリンに住み創作に没頭する。短編を書くことで経済的窮迫をしのぎながら,ようやく書きためた膨大な原稿が,35年に名編集者パーキンズMaxwell E.Perkinsの手で長編《時間と川Of Time and the River》として出版される。前作同様ユージーンを主人公に,故郷の外へ出た孤独な青年の多感に揺れ動く心情を,魅力的な挿話の積重ねと奔流のような饒舌で描き出している。翌36年出版の講演《ある小説の物語》は,創作過程の秘密を率直に告白していて感動的である。遺作《織布と岩》(1939)と《帰れぬ故郷》(1940)はジョージ・ウェバーを主人公とし,とくに後者にはかつての自己中心癖から,自己を社会の一員として相対化しようとする発想への転換が顕著だが,作者が講演旅行中に結核を再発して夭折したために,十分に展開されぬままに終わった。ほかに短編集《死より朝へ》(1935)と《かなたの山々》(1941),それに講演《創作と生活》(1964)がある。
執筆者:酒本 雅之
イギリスの軍人。14歳で軍隊生活に入り,オランダ,ドイツなどを転戦した後,1758年,フレンチ・インディアン戦争でニューフランスのルイブール砦攻撃を命じられた。その功により陸軍少将としてケベック攻撃を命じられ,59年9月,現ケベック市のアブラハム高地の攻略に成功し,この結果ニューフランスはイギリスの手に落ちた。しかし戦傷を負い息を引き取った。
執筆者:大原 祐子
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1727~59
イギリスの軍人。フランスおよびインディアンとの戦争(ヨーロッパでの七年戦争)でヌーヴェル・フランス植民地への遠征軍を指揮。1759年,現ケベック市のアブラム平原の戦いでフランス軍を破ったが戦死した。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
…イスラム社会の慣行および慣習法を意味するアラビア語。ウルフ‘urfともいう。アーダの範囲はきわめて広く,イスラム以前からの慣習を指すこともあれば,政令によって新たに慣行化された事がらを指す場合もあった。…
…それによって,エンハーモニック転調も初めて可能になる。 ピタゴラス音律や純正律による調律では,特定の和音において〈ウルフwolf〉と呼ばれる著しい不協和音を生じることがある。またすべての長・短調が自由に使用できないという不都合がある。…
…ノリス的自然主義者スタインベックは《怒りの葡萄》(1939)で農民の窮境を叙事詩的に語り,コールドウェルは南部の貧しい白人を,J.T.ファレルは都会の不良少年を,黒人作家R.ライトは抑圧された黒人の姿を,それぞれなまなましく描いた。またT.ウルフやH.ミラーは自伝的作品によって原始的生命をもった個性への復帰を示した。 詩の分野では1912年に創刊された《ポエトリー》誌を中心に,E.L.マスターズやサンドバーグらのシカゴ・グループと呼ばれる詩人たちが中西部の民衆の心を口語的リズムで歌い出した。…
…イギリスの女流小説家バージニア・ウルフの小説。1927年刊行。…
…1906年ころから,イギリスのスティーブン家の姉妹バネッサ(のちのバネッサ・ベル)とバージニア(のちのバージニア・ウルフ)の家に集まった若い知識人のグループ。名称はスティーブン家がロンドンのブルームズベリー街にあったことに由来する。…
※「ウルフ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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