オランダ領東インド(読み)オランダりょうひがしインド(英語表記)Dutch East Indies

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

オランダ領東インド
オランダりょうひがしインド
Dutch East Indies

ニューギニア島西部を含む現在のインドネシア共和国領土の旧名。 1596年に最初のオランダ貿易船がジャワ島バンテンを訪れ,1619年にジャカルタを占領。マルク諸島 (香料諸島) をも制圧し,オランダ勢力は 17世紀後半からジャワ内部に浸透した。 1811~16年イギリスがジャワを一時占領したが,返還後,オランダ領東インド総督は本国の財政難解決のため,30年から強制栽培制度を実施し,莫大な利益をあげた。 19世紀末にはジャワ以外の開発も進み,また圧政への反省から寛容政策に転じたが,インドネシア独立の機運が高まり,1949年に主権委譲が実現。オランダの支配は終った。

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百科事典マイペディアの解説

オランダ領東インド【オランダりょうひがしインド】

17―20世紀前半オランダが領有した現在のインドネシア共和国全域にわたる植民地。Dutch East Indies。オランダ領インドネシア(蘭印)とも。1602年オランダ東インド会社の設立により統治を始め,1799年末会社解体後はナポレオン戦争の影響により1811年―1816年英国の統治を受け,のち再びオランダ領となり王室直轄の総督治下に入る。本国の国力が衰えている時期には過酷な〈強制栽培制度〉を基礎とした開発と搾取がジャワ島を中心として進んだが,英国統治時代(ラッフルズ)から自由主義的な傾向がみられた。しかしこの間,原住民の不満はジャワ戦争(1825年―1830年),アチェ戦争(1873年―1903年)の二大反乱として爆発した。第2次大戦後インドネシア(共和国)として独立。
→関連項目ジャワ[島]

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世界大百科事典 第2版の解説

オランダりょうひがしインド【オランダ領東インド Dutch East Indies】

オランダがその植民地としていた現在のインドネシア共和国全域(旧ポルトガル領チモールを除く)に与えていた名称(オランダ語ではNederlandsch‐Indiëと書き,多くの場合〈東〉という語は入れない)。すでに18世紀ごろから,オランダ東インド会社の公式文書にこの名称が用いられているが,名実ともにインドネシア全体を含むに至ったのは1915年以後とされる。 東インドに初めて到達したオランダ船は,1596年6月,ジャワ島西部のバンテン港に停泊したコルネリス・ド・ハウトマンの船隊である。

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