翻訳|Olympia
ギリシア南部,ペロポネソス半島北西部のエリス地方,アルフェイオスとクラデオス川の合流するところにあるゼウスの聖地。ゼウスの祭典のさいに催されたオリンピック競技によって名高い。この地の宗教的伝統は古く,すでにミュケナイ時代にクロノスとガイアあるいは英雄ペロプスの崇拝が行われ,それがやがてゼウス崇拝に代わったと思われる。競技大会は公式には前776年に始まり,4年ごとの夏の季節に開催された。そのため,第何回オリンピックの第何年目という〈オリンピアード〉という紀年法が,前3世紀ころからギリシアで用いられた。競技会は最初のうちは小規模な地方的行事で,日数は1日,競技種目も徒歩競走くらいであったが,その後,幅跳び,槍投げ,円盤投げ,ボクシング,レスリング,競馬,4頭立て戦車競走,武装競走,少年競技などが加わり,最後には日数5日,競技種目23を数えるにいたった。参加都市の数もふえ,前5世紀の最盛期には,イタリア南部,シチリア島,小アジア,北アフリカ,黒海沿岸のギリシア植民都市がこぞって選手を派遣し,オリンピック競技は文字どおりギリシア民族の誇りと団結の象徴的意義を獲得した。祭典の前後は〈エケケイリア(神聖な休戦)〉の協定にもとづき,交戦中の都市も一時戦いを中止して,敵の選手の国内通過を許したという。競技はヘレニズム,ローマ時代にも続いたが,しだいに宗教と民族の純粋性を失って衰微し,394年のテオドシウス帝の禁止令によって終りをつげた。以来,オリュンピアはたび重なる地震や洪水,山崩れなどのために破壊され,数mの土砂の下に埋まって,人々の記憶から全く消え去った。オリュンピアの最初の大規模な発掘は1875-81年E.クルティウスの指揮するドイツ考古学者たちによって行われ,ゼウス神殿とその装飾彫刻,ヘラ神殿,評議会場,大宿泊所,体育練習場,円形記念堂,宝庫群,柱廊,走路約192mのスタディオン,ゼウス神像を製作した彫刻家フェイディアスの仕事場跡,パイオニオス作のニケ像,プラクシテレス作のヘルメス像などが出土した。
執筆者:松島 道也
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ギリシア本土エリス地方にあったゼウスの神域で,古代オリュンピア競技の開催地。ゼウス神殿をはじめ,この地の建造物は,かつては数多くの奉納品,彫刻を蔵し,ギリシア美術の一大宝庫であった。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
…冬季大会の回数はオリンピック大会とは別に数え,中止された大会は回数に加えない。
〔近代オリンピック〕
【オリンピックの復興とIOC】
フランスの教育学者クーベルタン男爵の〈スポーツによる青少年教育の振興と世界平和実現のために,古代オリンピックを復興しよう〉という呼びかけに応じ,1894年6月23日,パリ大学(ソルボンヌ)講堂で開催されたフランス・スポーツ連盟主催の国際スポーツ会議で,オリンピックの復興が全会一致で決定し,13ヵ国から選ばれた15人をメンバーとするIOCが創立され,クーベルタンの推薦で,ギリシアのビケラスDemétrios Vikélasが初代会長に就任,近代オリンピアードの第1年を96年とし,第1回大会を古代オリンピックがオリュンピア(ギリシア)で行われていたことを記念して,ギリシアの首都アテネで開催することを決めた。第1回大会終了後,クーベルタンが第2代会長に就任,多くの困難と闘いながら1925年まで在任し,オリンピック運動を軌道に乗せた。…
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[概念]
スポーツとは,競争を中心とする〈近代スポーツ〉,楽しさを中心とする〈ニュー・スポーツ〉,民族的なアイデンティティや儀礼を中心とする〈民族スポーツ〉,癒しや瞑想を中心とする〈瞑想系身体技法〉,健康を志向する〈体操・ダンス〉,自然との接点を求める〈野外スポーツ〉などの総称である。 近代スポーツには,サッカーや野球のようなボールゲーム,走・跳・投の陸上競技,剣道や柔道のような格闘競技,スキーやスケートのような氷雪上の競技,競泳や飛び込みのような水上競技,競馬やドッグレースのような動物のスポーツ,ヨットやボートのような舟のスポーツ,自転車や自動車のような車のスポーツ,ボールルーム・ダンスを中心とする競技ダンス,などが含まれている。…
…ギリシア世界にもクラシック(古典)時代以前から浴室があったことを推定させるが,最古の考古史料は前5世紀からである。例えば,オリュンピアで発見された浴場は,矩形の部屋に11個のテラコッタ製浴槽が並び,貯湯槽から容器によって給湯したことが判明している。前348年破壊されたオリュントスの住居跡からも浴室が発見されており,ヘレニズム時代のデロス,ゲラGela(シチリア島)にも浴場施設があった。…
…最も著名なのはサモス島のヘラの神域の主神殿で,前8世紀のもの,前650年ころのもの,前550年ころの建築家ロイコスRhoikosのもの,前530年ころの僭主ポリュクラテスのものと,4段階のイオニア式神殿形式発展の歴史がたどれる。オリュンピアのものは現存する最古(前600年ころ)の神殿遺構(6×16柱のドリス式)で,長年にわたる木造から石造への改築により,その円柱の太さ,形式が異なる。アルゴスのヘラの神域のものは建築家エウポレモスEupolemosが前420年ころ建てた(6×12柱のドリス式)。…
※「オリュンピア」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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