キルギス(国)(読み)きるぎす(英語表記)Kyrgyz Republic 英語

日本大百科全書(ニッポニカ) 「キルギス(国)」の意味・わかりやすい解説

キルギス(国)
きるぎす
Kyrgyz Republic 英語
Kyrgyz Respublikasy キルギズ語
Республика Киргизия/Respublika Kirgiziya ロシア語

中央アジアの北部に位置する共和国。キルギスタンKrygyzstan、あるいはロシア語キルギジアともいう。かつてはソビエト連邦を構成する15共和国の一つ、キルギス・ソビエト社会主義共和国Киргизская ССР/Kirgizskaya SSRであったが、ソ連崩壊(1991年12月)に先だつ1991年1月5日、国名を一時キルギスタン共和国とし、同年8月ソ連からの独立を宣言した。1993年5月、キルギス共和国の名に戻した。

 北部はカザフスタン、西部はウズベキスタン、南部はタジキスタン、東部は中国と境を接している。面積19万9951平方キロメートル、人口519万2000(2006推計)。住民はキルギス人が64.9%を占め、ほかにウズベク人(13.8%)、ロシア人(12.5%)、ウクライナ人(1.0%)などからなる(2009)。北部のビシュケク(ソ連時代の名称フルンゼ)と西部のフェルガナ盆地、東部のイシク・クリ湖畔に集中して住んでいる。イシク・クリ、ナリン、オシュ、タラス、ジャラル・アバト、チュイ、バトケンの7州があり、首都はビシュケク(人口83万7000、2007推計)である。

[山下脩二・木村英亮]

自然

東西900キロメートル、南北410キロメートルの比較的短い距離にもかかわらず、地形の変化が著しい山国で、高峰ポベーダ峰(7439メートル)を擁する天山山脈の大半を占める。チュー川やナリン川、タラス川などの河谷が山地部を刻んでいる。南西部はフェルガナ盆地の東縁にあたり、ナリン川など多くの河川はシルダリヤ水系に属する。平均気温は、河谷で1月零下6℃、7月15~25℃を記録する。年降水量は中央部で200ミリメートル、北西斜面で800ミリメートル程度である。そのため植物相は砂漠的ないしは半砂漠的であり、山岳部では山地ステップ(短草草原)や森林が広がる。

[山下脩二・木村英亮]

歴史

キルギジアには紀元前7~前6世紀に階級社会が生まれた。紀元後6~12世紀にはカラ・ハン朝などトルコ系の国家に、13世紀にはモンゴルに支配され、15世紀後半にキルギス民族体が成立した。フェルガナ地方は19世紀前半コーカンド・ハン国に征服された。帝政ロシアの中央アジア進出に伴い、1860~1870年代に全域がロシアに含まれることになり、ロシア農民の移住地となった。

 1917年十月革命後、11月から翌1918年なかばまでの間に、スリュクタ、キジル・キヤをはじめとして、ソビエト政権が全土で勝利し、キルギジアは5月に成立したトルキスタン自治共和国の一部となった。バイ(地主)やイスラム僧は1918年春からバスマチ運動とよばれる反ソ暴動を組織したが、1920年11月ごろまでにほぼ鎮圧された。1921~1922年には反植民地主義的土地・水利改革が行われ、6000人の農民が19万9000デシャチナ(1デシャチナ=1.092ヘクタール)の土地を受け取った。1924年、中央アジア民族的境界区分によって、キルギジアはトルキスタンから分離し、ロシア共和国内のカラ・キルギス自治州となり、1926年自治共和国に昇格、さらにのち1936年にキルギス・ソビエト社会主義共和国となった。

 ソ連で1980年代後半からペレストロイカ(建て直し)が進行するなかでキルギスの最高会議は1990年12月に主権宣言を行い、1991年ソ連の八月クーデター事件直後の8月31日にソ連からの独立宣言を採択した。当時の大統領アカエフは物理学者で、クーデター事件の際にはただちに反対の意志表示を行った。

 1993年5月5日、最高会議で新憲法が採択された。これはソ連解体後、バルト三国以外では初めて採択された憲法である。アカエフは1995年12月24日の大統領選挙で72%を得票、1996年2月には大統領に組閣権を与えるなど大統領権限を強化する方向で憲法を改正し、国民投票で94.5%の支持を得た。2000年に行われた大統領選挙で3選。しかし、アカエフは政権が長期化するにつれて独裁色を強めていき、汚職の蔓延(まんえん)や野党弾圧、報道統制などに国内外からの批判を浴びた。2005年2月から3月にかけて行われた議会選挙では与党が勝利したが、選挙結果を不満とした野党側の訴えをきっかけに大規模な反政府運動がおこった。同年3月24日に反政府勢力はビシュケクの政府庁舎、大統領府等を占拠し、アカエフはロシアへ亡命、4月5日大統領を辞職した。同年7月には大統領選挙が行われ、アカエフ政権下で首相を務めたバキエフKurmanbek Bakiyev(1949― )が当選した。2009年7月の大統領選挙でバキエフは再選されたが、国家の私物化や2010年1月実施の公共料金引上げなどで国民の支持は下がっていった。2010年4月に発生した政変によりバキエフは辞任、元外相のオトゥンバエワRoza Isakovna Otunbayeva(1950― )を議長とする暫定政府が発足した。6月には新憲法とオトゥンバエワ暫定大統領信任の是非を問う国民投票が行われ、7月に新憲法が発効、オトゥンバエワも2011年12月31日までの暫定大統領となった。なお、政変発生以降もキルギス系とウズベク系の民族衝突により多数の死者がでるなど不安定な情勢が続いている。

 1993年憲法では、大統領は議会・立法権、内閣・行政権、裁判所・司法権の三権の上にたつ憲法制度の保証者とされていたが、1996年2月には大統領の権限を強めるよう改正された。しかし2010年7月発効の新憲法では大統領の権限を縮小し、議院内閣制を採用している。ロシアおよびロシア系住民に対しては、1992年6月に「友好・協力および相互支援に関する条約」を結び、スラブ大学を創設するなど友好的な政策をとっているが、国家言語はキルギズ語と規定されており、二重国籍は認めていない。

 ソ連からの独立に伴い、1991年12月21日、独立国家共同体(CIS)設立協定に調印し、CISの加盟国となった。1992年6月の大統領令によって、領域内の旧ソ連軍を管轄下に置いたが、それより先、同年5月にタシケントで開かれたCIS首脳会議で、ロシア、アルメニアおよびトルクメニスタンを除く中央アジア3か国と集団安全保障条約を結び、10月にはロシア保安省と国境軍の地位に関する協定を締結した。また、1994年7月ロシアと軍事同盟を結んだ。中国、トルコ、イランなどCIS外の周辺諸国との関係も相互に強めつつある。1994年6月北大西洋条約機構(NATO(ナトー))の「平和のためのパートナーシップ」(PFP)協定の枠組み文書に調印した。

[山下脩二・木村英亮]

産業・経済

国土全体の54%(2005)が農業に利用されている。ブドウ、綿花、タバコ、アンズなどの栽培に適した気候条件下にあり、なかでもフェルガナ盆地は綿花の単一栽培地域として名高い。従来多くの地域で水不足に悩まされていたが、豊富な万年雪や氷河を水源とし、これらから水を引き入れることによって砂漠地帯の灌漑(かんがい)が飛躍的に発展し、古くから営まれている牧羊業に加えて、果樹、穀物、テンサイ(サトウダイコン)、タバコなどの栽培が盛んになった。また、大麦、小麦も栽培され、これによって穀物は完全に自給されている。

 地下資源は、金や水銀、アンチモンのほか、レアメタルの豊かな鉱床があり、石炭、石油、天然ガスも産出する。工業は食品加工などがおもで、エネルギー資源に乏しく自立がむずかしい。綿繊維、羊毛、肉類、タバコなどの農産物や金、水銀などの鉱物資源を輸出し、石油、天然ガスなどの燃料および機械設備、化学製品などを輸入している。おもな貿易相手国はロシア、カザフスタン、ウズベキスタン、中国、スイスなどである。

 1994年4月末、カザフスタン、ウズベキスタンと3国で関税の相互撤廃などを柱とする共通経済圏創出に関する条約に調印、7月8日中央アジア協力開発銀行の設立で合意するなど、隣接国との経済協力を強めている。しかしソ連解体による分業体制の崩壊による打撃が大きく、アカエフは1995年にも「破局的状況」と述べた。経済改革も、資金が不足で民間投資の拡大が求められているが、インフレのため長期の見通しが立てられなかった。市場機構やインフラストラクチャー(経済基盤)の不十分さ、関係者の未経験などが障害となっているが、IMF(国際通貨基金)や世界銀行の支援を受け、経済の立て直しをはかっている。日本も1992年4月に渡辺美智雄(1923―1995)が副総理兼外相としてビシュケクを訪問して大統領と会談し、10月には緊急人道支援を実施している。主要援助国は日本のほか、アメリカ、ドイツ、イギリス、スイスである。1994年4月にはアジア開発銀行にも加盟した。海抜1606メートルのイシク・クリ湖などの観光資源もあり、観光開発を進めることも必要であろう。

 1993年5月にそれまでのルーブルにかえ、独自の通貨ソムの発行に踏み切り、インフレの抑制に努めた。

[山下脩二・木村英亮]

社会

口伝の英雄叙事詩『マナス』は重要な文化遺産である。中央アジアのイスラムはしばしば過大な評価をされるが、ここではカザフスタン、トルクメニスタンなど旧遊牧地域と同じく、イスラムが政治的に大きな役割を果たすことはないと考えられる。文字は1928年にいったんラテン文字が採用されたが、1940年にキリル文字(ロシア文字)に変えられた。キリル文字とロシア語はすでにキルギス人のものとなっており、1993年にはビシュケクにキルギス・ロシア(スラブ)大学も開学した。ロシアとの文化的関係は簡単には消えないであろう。

 義務教育は初等教育4年、中等教育5年の9年間。キルギズ語が国語で、ロシア語が公用語として使われている。

[山下脩二・木村英亮]

『栗本慎一郎著『シルクロードの経済人類学――日本とキルギスを繋ぐ文化の謎』(2007・東京農業大学出版会)』『今井正幸・和田正武他著『市場経済下の苦悩と希望――21世紀における課題』(2008・彩流社)』『清水陽子著『シルクロードを行く――中央アジア五カ国探訪』(2008・東洋書店)』


出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

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