キルギス

精選版 日本国語大辞典 「キルギス」の意味・読み・例文・類語

キルギス

(Kirghiz)
[1] 〘名〙 トルコ系民族。漢代からモンゴル高原北西部のエニセイ川上流域に都市を築き、部族国家を形成していたが、一三世紀頃から天山山脈の北西に南下。コーカンド‐ハン国や清朝の支配をうけ、一八六四年以降はロシアに服した。革命後、一九三六年ソ連邦内のキルギス社会主義共和国を構成。現在はキルギス共和国を中心に一部は中国にも居住している。漢字で、黠戞斯・乞児吉思と書くこともある。堅昆(けんこん)。鬲昆(かくこん)。結骨(けっこつ)。契骨(けいこつ・きっこつ)
[2] 中央アジア南東部の共和国。天山山脈の北西に位置し、牧畜・綿花栽培が盛ん。一九九一年のソ連邦解体に伴い独立してキルギスタン共和国となり、九三年にキルギス共和国に改称。首都ビシュケク。

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改訂新版 世界大百科事典 「キルギス」の意味・わかりやすい解説

キルギス
Kyrgyz

基本情報
正式名称=キルギス共和国Kyrgyz Respublikasy/Kyrgyz Republic 
面積=19万9951km2 
人口(2010)=519万人 
首都ビシケクBishke(旧称フルンゼ)(日本との時差=-4時間) 
主要言語キルギス語,ロシア語(ともに公用語) 
通貨=ソムSom

中央アジア東部の共和国で,独立国家共同体(CIS)構成国の一つ。1993年5月の憲法改正で国名正称はキルギス共和国とされたが,キルギスタンと通称される。旧ソ連邦の構成国であったキルギス・ソビエト社会主義共和国が1991年独立し,改称したもの。この地域はキルギジアとも呼ばれ,その東部は中国の新疆ウイグル自治区と国境を接する。

国土の3分の2以上は,天山山脈パミール高原の3000m以上の高地からなる。森林は国土のわずか3%にすぎず,残りは砂漠とステップの植物,あるいは高山・亜高山植物がわずかに生育する地域である。夏は乾燥し暖かく,冬は谷や山麓では比較的雨量もあり気温も高い。人口はチュー,タラス,イシク・クル,フェルガナの谷と低地に集中し,その民族別の構成(1989)は,キルギス人52.4%,ロシア人21.5%,ウズベク人12.9%,ウクライナ人2.5%などであり,中央アジア5ヵ国のなかではカザフスタンに次いで中心民族の比率が低い。

キルギスタンがロシアの一部となったのは19世紀の50~70年代のことである(それ以前の歴史は〈キルギス族〉〈中央アジア〉の項を参照)。すなわち,1863年にはキルギス人の大部分が住む北キルギスタンが,76年ホーカンド・ハーン国が廃された後まもなく南キルギスタンがロシアに含まれることになった。帝政ロシアは91年に遊牧地の国家的所有を宣言し,その最良の部分をロシア人移住民に分配した。第1次世界大戦下の1916年7月,原住諸民族を戦時後方作業へ徴集する勅令を契機として発生した中央アジア大反乱は,キルギスタンの多くの地区を巻き込んだ。

 17年の二月革命後はキジル・キアなどいくつかの都市に労働者と兵士のソビエトが形成された。10月の段階では,北部ではチュー盆地の灌漑作業に従事する労働者が集中していたピシペク(現,ビシケク)が,南部ではキジル・キア,スリュクタ,コク・ヤンガクといった炭鉱地帯が革命的高揚の中心となった。スリュクタでは11月11日(新暦24日),キジル・キアでは11月末にソビエト政権が成立。さらに12月タラス盆地,18年1月オシ郡,2月ピシペク郡,4月ナリン,5~6月プルジェワリスク郡と続き,18年半ばには全土がソビエト政権の支配するところとなり,5月に成立したトルキスタン自治共和国の一部となった。

 ソビエト政権は,移住民富農の土地の貧農への分配,炭鉱国有化国民経済会議の創設などを行ったが,他方バイ(地主)やイスラムの指導者は18年春から夏に南部でバスマチ運動と呼ばれる農民の反ソビエト運動を組織し,破壊活動を行った。しかし,20年11月ナリンの大暴動のころを最後にバスマチ運動もほぼ鎮圧される。21-22年には反植民地主義的土地・水利改革が遂行され,約6000人の無土地・小土地農民が21万7000haの土地を受け取った。バスマチ運動が続いていた南部では27-28年,バイをなくすための土地・水利改革が激しい闘争を伴いつつ遂行され,そのなかで多妻制・カリム(婚約金)廃止など婦人の地位の向上を目ざす諸施策,遊牧民定住化などが実行に移された。これらの政策は30年代前半の農業の集団化期に引き継がれるが,遊牧民定住化は家畜の大量処分を引き起こし,28-34年に牛は41%に,ヤギ・羊は22.7%に減少した。工業化も開始され,28-40年に140の工業企業が操業を始め,40年の工業総生産は,13年の9.9倍となった。金属加工,石油,非鉄金属,製糖,食肉缶詰など新しい部門も生まれ,工業・農業国に変わった。キルギス人の工場労働者も養成され,39年にはキルギスタンの全労働者の17.9%に達した。

 キルギスタンは,1924年の中央アジアにおける民族的境界画定によってロシア共和国のカラ・キルギス自治州となったが,25年キルギス自治州と改称した。そして26年2月には自治共和国になり,36年12月にはさらに共和国に昇格し,ソ連邦構成共和国となった。30年代後半には大粛清の嵐がキルギスタンをも襲い,第一書記アンモソフM.Ammosov,第二書記ベロツキーM.Belotskiiをはじめ多くの党員が犠牲となった。

第2次大戦中,キルギスタンはタングステン,水銀,アンチモンの供給で軍事産業の一翼を担い,またソ連邦西部から多くの企業が疎開した。戦後は本格的な工業化が行われ,工作機械,農業機械,電気器具などの機械製作工業のほか,綿花精製,織物などの軽工業,食品工業も発展した。電力は豊富な水力資源を利用した水力発電が4分の1を占め,アラメディン,ウチクルガン,トクトグルなどの発電所が著名である。40年の発電量は5000万kWhにすぎなかったが,89年には151億kWhへと飛躍的に増大した。

 農業生産も発展しているが,その特徴は播種面積のうち,多年生牧草とサイロ用トウモロコシからなる飼料作物の比率が大きいことで,畜産の比重の高さを示している。その他穀物,綿花,ビート,タバコなどの工業作物,ジャガイモ,野菜などが重要である。1991年の生産量は穀物137万4000t(1913年43万6000t),綿花6万2000t(同上2万8000t)などで,野菜,ブドウなどの生産の増大もめざましい。畜産では1991年に牛が119万頭,ヤギ・羊952万5000頭,豚35万8000頭である。

 革命前,識字率は1~2%で,キルギス人は自分の文字さえもっていなかったが,現在はロシア文字を基礎とした文字を使用している(1926年まではアラビア文字,1940年まではラテン文字を使用)。そして旧ソ連の他の共和国と同じく10年制の普通中等義務教育への移行が終わった。ビシケクの国立大学をはじめ,10余の高等教育機関があり,その学生数は5万8000,中等専門学校48,学生数4万2700である(1991)。1913年にはわずか15人であった医者は,91年には1万6400人,住民1万人当り36.8人,ベッド数は同じく122床となった。

モスクワにおける1991年の8月クーデタ事件直後の8月31日にキルギス共和国最高会議が独立宣言を採択した。アカエフ大統領はクーデタ事件の際は,ただちに反対の意思表示を行った。93年5月新憲法が採択された。人口や経済規模が小さく,ソ連解体による分業体制崩壊のため,国民経済は破局的打撃を受けた。93年通貨単位ソムSomを導入し,94年4月カザフスタン,ウズベキスタンと関税の相互撤廃など共通経済圏創出に関する条約に調印,7月には中央アジア協力開発銀行設立に合意するなど,隣国との経済協力を強めている。94年10月にはまたCIS加盟12ヵ国首脳会議が政府間経済委員会を設置し,EU型の経済統合を進める方針が決められた。日本も市場経済化のモデルとして援助や借款を供与している。
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百科事典マイペディア 「キルギス」の意味・わかりやすい解説

キルギス

◎正式名称−キルギス共和国Kyrgyz Respublikasy/Kyrgyz Republic。◎面積−19万9945km2。◎人口−578万人(2014)。◎首都−ビシュケクBishkek(90万人,2014)。◎住民−キルギス人64.9%,ウズベク人13.8%,ロシア人12.5%など。◎宗教−イスラム(スンナ派)70%,ロシア正教6%。◎言語−キルギス語,ロシア語(ともに公用語)。◎通貨−ソムSom。◎元首−大統領,アタムバエフAtambaev(1956年生れ,2011年12月就任,任期5年)。◎首相−テミル・サリエフTemir Sariyev(1963年生れ,2015年5月就任)。◎憲法−2007年10月の国民投票で承認。◎国会−一院制(定員120,任期5年)。最近の選挙は2010年10月。◎GDP−44億ドル(2008)。◎1人当りGNP−490ドル(2006)。◎農林・漁業就業者比率−28%(1997)。◎平均寿命−男63.9歳,女71.4歳(2007)。◎乳児死亡率−33‰(2010)。◎識字率−99.2%(2009)。    *    *中央アジア北東部の共和国。1993年キルギス共和国を正称としたが,広くキルギスタンと呼ばれる。国土の大部分は天山山脈に属する山地で,標高4000〜5000mの山脈が連なり,東部,中国との国境には7000mを越える高峰がある。住民の60%がキルギス人で,ロシア人16%,ウズベク人14%(1996)など。中央アジアではカザフスタンに次いで共和国の中心民族の比率が低い。牛,豚,羊,ヤギの牧畜がおもに行われ,小麦,綿花,タバコの産もある。地下資源は豊富で,水銀,アンチモンの産は屈指。石炭,石油もあり,各種工業も興っている。 青銅器時代の遺跡があり,8世紀突厥(とっくつ)のビルゲ・ハガンに征服された。13世紀モンゴル,17−18世紀ジュンガル,19世紀ホーカンド・ハーン国に支配され,19世紀後半ロシアに服した。ロシアは遊牧地を国有地とし,ロシア人移民に分配した。ロシア革命後1918年からトルキスタン自治共和国の一部であったが,1924年の民族的境界画定により,ロシア共和国の一部としてカラ・キルギス自治州となる。翌年キルギス自治州と改称,1926年自治共和国,1936年ソ連邦の構成共和国となった。1990年主権宣言を採択し,1991年8月ソ連からの独立を宣言した。中央アジアの政治指導者の中で最も民主的と目されるアカエフが1990年大統領に就任,1996年憲法改正により大統領権限を強化。旧ソ連の中でも特に工業化が遅れており,しかも工業労働者の7割以上がほぼスラブ系の住民という状況にある。2001年に経済や外交などの地域協力組織である上海協力機構に加盟。2005年2月,3月の議会選挙の結果に不満をもつ野党勢力の反政府運動が首都ビシュケクを中心に起こり,4月アカエフ政権は崩壊した。同年7月の大統領選でバキエフが当選,2007年10月には,2006年11月採択の新憲法とその一部改正についての是非を問う国民投票を実施し,賛成多数で承認された。しかし,不正投票が公然と行われたとする批判が根強く,また親族を重要ポストにつけたバキエフ政権に対する国民の反発が強く,2010年4月,政権による野党社会民主党幹部の拘束に抗議する反大統領デモが広がって,政府軍がデモ隊に発砲,武力衝突となった。野党勢力は,国家治安局,国営テレビ局などを占拠,バキエフ大統領は首都から逃亡した。元外相代行で〈統合国民運動〉のローザ・オトゥンバエヴァが,自らを代表とする暫定政府の樹立を宣言した。2011年10月大統領選挙でアタムバエフが当選した。→キルギス語
→関連項目ウズベキスタン中央アジアトルキスタン

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「キルギス」の意味・わかりやすい解説

キルギス
Kyrgyz

正式名称 キルギス共和国 Kyrgyz Respublikasy。
面積 19万9945km2
人口 676万9000(2021推計)。
首都 ビシケク

中央アジア北東部の国。北はカザフスタン,東と南東は中国,南はタジキスタン,西はウズベキスタンと国境を接する。国土の大半がテンシャン (天山) 山脈に属する山国で,東端部の中国との国境にはポベーダ峰 (7439m) ,ハンテングリ山 (6995m) などの高峰がそびえる。ナルイン川の河谷をはじめとする深い河谷が発達し,イスイククリ湖など湖も多い。気候は地形による影響が大きく,北と西に面した斜面は比較的湿潤であるが,全体に乾燥していて,北部山麓は砂漠,半砂漠地帯に属し,山地ではステップ,森林,高山草地へと変化する。チュルク語系諸族キルギス人の国で,住民の半分以上がキルギス人で,スンニー派イスラム教徒が多い。次いでロシア人,ウズベク人が多く居住する。公用語はキルギス語とロシア語。キルギス人は紀元前よりエニセイ川上流域に居住していたが,13世紀テンシャン山脈西部に移動したと考えられる。 19世紀後半ロシアの支配下に入り,1924年カラキルギス自治州成立。 1926年キルギス自治共和国,1936年キルギス=ソビエト社会主義共和国としてソビエト連邦構成共和国となった。 1991年キルギスタン共和国として独立。独立国家共同体 CISに加盟。首都名をフルンゼからビシケクに改称した。 1992年3月国際連合加盟。 1993年新憲法を採択し,国名をキルギス共和国に改称。キルギス人は長い間遊牧生活を続けてきたが,現在は定住し,住民の半数以上が農村に居住する。その多くは牧羊に従事するが,ビシケク周辺,ナルイン川沿岸,イスイククリ湖沿岸の平地では灌漑農業が行なわれ,ワタ,コムギ,テンサイ,タバコ,果樹などが栽培される。石炭,石油,水銀,タングステン,亜鉛などの地下資源に恵まれ,これらの採取業も発展している。工業部門では機械 (農業,電気) ,繊維 (絹,綿,縫製) ,食品などの工業が主要なものである。また水力資源にも恵まれ,その開発が進んでいる。山国であるため鉄道交通は未発達で,ハイウェーと航空路が主要交通路である。

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知恵蔵 「キルギス」の解説

キルギス

2001年の米同時多発テロ後、キルギスは米軍をマナス基地に受け入れたが、バランスをとるために、02年には中国との共同軍事演習を行ったり、カント空軍基地にロシア軍を受け入れたりして、中国とロシアとの関係にも気配りしている。ただ、05年7月のアスタナ(カザフスタンの首都)における上海協力機構首脳会議では、中国やロシアの主導で米軍基地を中央アジアから撤退させる方向が打ち出され、キルギスも追随したが、米軍の駐留により多額の資金援助を受けていたキルギスは、明確な反米姿勢は打ち出していない。05年3月の政変(チューリップ革命)によって成立したバキエフ政権は、グルジアやウクライナのような親欧米政権ではなく、ロシア、中国、米国とのバランス政策をとっている。

(袴田茂樹 青山学院大学教授 / 2007年)

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旺文社世界史事典 三訂版 「キルギス」の解説

キルギス
Kirghiz

古くからエニセイ川上流にいた遊牧民族
民族的には,アーリア系その他の種族がトルコ族に同化されたものと考えられる。中国では結骨・黠戛斯などと記され,匈奴・突厥・ウイグル・モンゴルなどの支配を受けてきた。彼らは狩猟・牧畜・漁労・農耕などを営み,優秀な鉄製器具を使った。いわゆるエニセイ碑文には突厥系の文字が記されている。19世紀以降ロシアの支配下にはいり,1924年ソ連に編入された。1936年にはソ連を構成する共和国となり,91年独立。1992年には国連,93年には独立国家共同体(CIS)に加盟した。首都ビシケク。

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