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クレオン Kleōn

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

クレオン
Kleōn

[生]?
[没]前422. アンフィポリス
古代ギリシア,アテネの政治家。富裕な皮なめし業者の子として生れ,ペリクレスの死後,アテネ政界を牛耳ったデマゴーゴス (→デマゴーグ ) の一典型。前 427年アテネに離反して鎮圧されたミュチレネ市民全員の処刑を提案し,賛成を得たが,この決定は翌日くつがえされた。翌年には,『バビロニア人』を発表して自分を攻撃したアリストファネスを告訴している。前 425年ピュロスでの勝利後,スパルタ側から申入れられた和平の提案を拒否,将軍の無能を批判して,みずからスファクテリアにおもむき,デモステネスの助けを得て大勝利を収めた。デロス同盟諸市の寄金額の引上げ,陪審員手当の増加など,この時期の財政関係の諸政策にあずかって力があったが,前 422年将軍としてトラキア地方に転戦し,スパルタの勇将ブラシダスに敗れて,戦死した。

クレオン
Kreōn

(1) 伝説のコリント王 リュカイトスの子,メロペーの夫,ポッポテスとグラウケの父。イアソンと訪れたメディアに魔力で殺された人物。その後メディアは逃げたのでコリント人は彼女の子供たちを殺した。エウリピデスの『メディア』では「メディアの退けたイアソンにクレオンが娘を妻として与えたので,メディアが魔法の衣で花嫁を焼殺し,クレオンはそれを助けようとして死に,メディアはイアソンとの子供を殺して逃げた」とされる。 (2) 伝説のテーベ王 次の (3) とよく混同される。アンフィトリュオンの殺人の罪を清め,彼のおじの一族との戦いを助けた。次いで,実はゼウスの子であるがアンフィトリュオンとアルクメネの子として生れたヘラクレスが,テーベに貢納を要求してきたオルコメノス王エルギノスと戦ってこれを破りテーベを救ったとき,娘メガラをヘラクレスに妻として与えた。 (3) 伝説のテーベ王 メノイケウスの子で,イオカステの兄弟。イオカステの夫でテーベの王だったライオスが,息子のオイディプスに殺されたあと,一時テーベの支配者となったが,スフィンクスの害に苦しみ,この女怪を退治したオイディプスをイオカステと結婚させて王位につけた。オイディプスの父殺しと母との結婚の罪が明るみに出され,彼が国外に追放されると,再び支配者の位置につき,オイディプスの遺児エテオクレスポリュネイケスの成長を待った。ところが成人してクレオンから王権を譲られた兄弟は,争い合って,結局7将のテーベ攻めを引起し,この戦争の間に相討ちの死をとげたので,オイディプスの血統は絶え,テーベの王位は最終的にクレオンのものになった。その直後に起ったのが,彼の布告にそむきポリュネイケスの死体を葬ろうとしたアンチゴネを,クレオンが生きながら墓に閉じ込め,自殺させた事件である。このあとクレオンは,アンフィトリュオンの亡命を受入れて,彼がテーベでアルクメネと結婚できるようにしてやり,アルクメネの息子ヘラクレスが成長してテーベのために手柄を立てると,娘のメガラをその妻に与えたという。

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百科事典マイペディアの解説

クレオン

アテナイの政治家,将軍。ペリクレスの没後,ペロポネソス戦争中のアテナイの民衆を約6年間指導したが,アリストファネスの《騎士》などで扇動政治家(デマゴゴス)として絶えず批判された。
→関連項目衆愚政治

クレオン

ギリシアの伝説にしばしば登場する名。〈支配者〉の意。(1)コリントス王。その娘とイアソンとの結婚に怒った魔女メデイアに殺される。(2)テーバイ王。ヘラクレスの義父

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世界大百科事典 第2版の解説

クレオン【Kleōn】

?‐前422
アテナイの政治家,将軍。ペリクレス死後のアテナイの政界で急激に頭角をあらわした。自ら皮なめし業を営む,成り上がりの品位を欠いた扇動政治家(デマゴゴス)というのが,一貫してクレオンを攻撃し続けた同時代の喜劇作家アリストファネス以来の定評であるが,これにはかなり大きな偏見が混じっている。クレオンの家系については不明の点が多いが,土地財産をもつ中流以上の出であったと思われる。政策の面ではペリクレスの後継者としてアテナイの〈帝国政策〉を積極的に推し進め,前425年にはスファクテリア島のスパルタ軍を降伏させる壮挙さえやってのけたうえ,デロス同盟加盟諸国に課す年賦金(フォロス)を2倍ないし3倍に引き上げ,国内では法廷審判人の日当を3オボロスに増額させた。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

クレオン
くれおん
Kleon
(?―前422)

アテネの政治家。富裕な皮なめし業者の子。ペリクレスの死後、民衆指導者となり、政策面では、デロス同盟の維持、拡大に意を用いた。ミティレネ(前427)、スキオネ(前423)などの同盟市の離反には厳罰をもって臨み、紀元前426年には、アテネの同盟支配を揶揄(やゆ)したアリストファネスを告訴したが、有罪とするには至らず、前424年上演の『騎士』で逆に痛烈な批判を受けた。前425年、アテネがピロスのスファクテリア島にスパルタ軍を封鎖した際には、スパルタからの和平提案を一蹴(いっしゅう)し、ニキアスにかわって指揮をとり、デモステネスの助けを得て、封鎖されたスパルタ軍を降伏させた。同年に実施された同盟諸市の貢税額の大幅引上げ、陪審員手当の2オボロスから3オボロスへの増額という措置には、いずれもクレオンの政治力が関与していたとみられている。前422年、将軍としてトラキア方面に転戦、アンフィポリスで敵将ブラシダスと会戦し、戦死した。直接民会で弁論の力をもって下層市民に支持を訴える方式をとって成功した彼は、前5世紀後半から出現し、商工業経営を富の基盤とした新興階層出身の一群の民衆指導者(デマゴゴス)の典型である。[中村 純]

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世界大百科事典内のクレオンの言及

【アンティゴネ】より

…オイディプスがみずから盲目となって国を出たとき,彼女は父の手を引いて放浪の旅につき従い,彼がアテナイ近郊のコロノスで世を去るまで,孝養をつくした。その後,彼女は故国に帰ったが,王位をめぐる争いで2人の兄ポリュネイケスPolyneikēsとエテオクレスEteoklēsがともに戦死したとき,新しく王位についた叔父のクレオンは,アルゴスの七将とともにテーバイに攻め寄せたポリュネイケスを反逆者ときめつけ,その埋葬を禁じた。しかし彼女は禁を犯して長兄の葬礼を行ったため,捕らえられて地下の墓場に生きながら葬られ,みずから縊死(いし)した。…

【運命】より

…すなわち,〈さだめられしモイラ(運命)なれば,神とても逃るるあたわず〉というのがたてまえではあったが,アポロンはクロイソスの運命を大幅に緩和したのであった(《歴史》)。このようにギリシア人の運命についての考えは,現代人から見ればあいまいだということになるだろうが,モイラの類似語で〈必然〉と訳されるギリシア語の〈クレオンchreōn〉や〈アナンケanankē〉の場合も事情は同じであって,〈ソクラテス以前の哲学者たち〉の用例を見ると,これらの語は絶対的必然性absolute necessityではなくて一定のきまり,規準を意味している。したがって,しいて必然という訳を与えるにしても,それはあいまいな意味での必然と見なすべきである。…

【ブラシダス】より

…彼はアンフィポリスをはじめアテナイの重要拠点を奪って形勢を逆転し,翌年休戦条約締結後もスキオネなどをアテナイから離反させた。これに対抗してアテナイはクレオンを派遣し,アンフィポリスの戦となった。ブラシダスは勝ったが,クレオンとともに戦死し,これがニキアスの和平につながった。…

【ヘラクレス】より

…その後,アンフィトリュオンその他から武芸と音楽を習ってりっぱな若者に成長した彼は,テーバイ南方のキタイロン山にすむライオンを退治して最初の手柄をたて,以後,その皮をまとい,口を開いたライオンの頭を兜にした。次いで,テーバイが毎年貢納の義務を負わされていたオルコメノスの王を倒すと,その功によりテーバイ王クレオンKreōnから王女メガラMegaraを妻に与えられたが,数年後,ヘラによって気を狂わせられ,メガラとの間にもうけた子どもたちを殺してしまった。このため彼は生地を去り,隣国で罪を潔(きよ)めてもらったあと,デルフォイに赴きアポロンの神託をうかがった。…

【ペロポネソス戦争】より

…これにより市民の3分の1近くがこの年から翌429年にかけて病死し,そのうえ無二の指導者ペリクレスを失って,アテナイは戦争遂行上,深刻な打撃を被った。ペリクレスの死後,クレオンをはじめとする民衆指導者たちの間に横行した,大局観に欠ける好戦主義が,結局アテナイの敗北につながったことに,それは端的に示される。疫病流行後もアテナイの海外での優勢は揺るがず,とりわけ前425年,アテナイ軍がペロポネソス半島南西岸のピュロスを占領し,300人の捕虜を捕らえた戦闘は,スパルタ人の心胆を寒からしめた。…

【メデイア】より

…二人がイオルコスに来てみると,イアソンの父アイソンAisōnはペリアスのために自殺させられていたので,彼女はペリアスの娘たちに羊を釜ゆでにして若返らせて見せ,同じ方法で娘たちに父王を殺させた。二人はコリントスへ逃げ,同地で2児をもうけたが,イアソンが王クレオンKreōnの娘を新妻に迎えたため,彼女は王と王女,さらにはわが子をも殺してアテナイ王アイゲウスのもとに逃れた。ここでアイゲウスの妃となった彼女は王子テセウスを毒殺しようとして果たさず,王との間にできた一子メドスMēdosを連れてアジアへ逃げ帰った。…

※「クレオン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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