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アメリカの物理学・分子生物学者。オハイオ州クリーブランド生まれ。1946年、物理学と数学を学んでケース工科大学(現、ケースウェスタンリザーブ大学)を卒業し、カリフォルニア工科大学大学院に進んだ。ここでC・D・アンダーソンの指導のもとに宇宙線の研究を行い、1950年に博士号を取得。1949年9月からミシガン大学に職を得て、そこで霧箱(きりばこ)にかわる粒子検出装置を研究した。そのきっかけは、1947年に宇宙線中に新粒子が発見され、それの観察用装置を開発することにあった。最初、ジエチルエーテルを用いて泡生成の原理を解明し、1950年代初めの陽子シンクロトロン(コスモトロン)を使う高エネルギー物理学実験にはプロパンを用いる泡箱を使った。1957年ミシガン大学教授。1959年バークリーのカリフォルニア大学物理学教授となり、巨大な水素泡箱を製作した。1960年には、泡箱発明の業績によりノーベル物理学賞を受賞。その後生物物理学に進み、1964年からは同大学で物理学教授のほかに分子生物学の教授となり、1989年からは分子・細胞生物学教授にもなった。
[日野川静枝]
ドイツの小説家。1928年に小説《1902年級》を発表し,L.レンの《戦争》,レマルクの《西部戦線異状なし》などと共に,ワイマール後期の反戦平和主義戦争文学の傑作として脚光を浴びた。ベッヒャー,キッシュ,ゼーガースと共に1930年,ハリコフでの第2回国際革命作家会議参加,33年ナチスによる焚書の厄にあって亡命,社会主義作家の一員とみなされたにもかかわらず,38年ナチス政権下のドイツに帰り,《国防軍戦線新聞》の主筆を務めた。戦後はいわゆる〈国内亡命〉の立場によって自己を正当化する文筆活動を行った。ワイマール時代にはまったく予測のつかなかったナチス時代の激変に直面し,時代に振り回された文化人の典型ともいえる。中立的な私的生活領域への回帰に〈帰属意識(アイデンティティ)〉の根拠を求める彼の立場は,亡命中の《不滅なるもの》(1936)に示され,ワイマール期からナチス時代へのドイツ人の心情を示唆していた。ラジオ・ドラマ,エッセーなども残している。
執筆者:平井 正
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…けれども,潮間帯を上下する海水の先端付近および表面には,デトリタスやプランクトンが風や波で吹き寄せられたり,岩に波がぶつかることによってできる無数の泡が作用して,海水中に溶け込んでいた有機物を粒状化し,生物が餌として利用できる形にしていることもあって,短時間の摂餌で十分な量の餌をとることを可能にしている。ろ過食者の次に多いのが,岩盤上に生育しているケイ藻など微小な藻類をかじり取る草食者(グレーザーgrazer)であり,これは移動性の巻貝が中心である。【向井 宏】。…
※「グレーザー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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