グレーザー(その他表記)Glaser, Milton

デジタル大辞泉 「グレーザー」の意味・読み・例文・類語

グレーザー(Donald Arthur Glaser)

[1926~2013]米国の物理学者宇宙線の研究・測定のための水素泡箱を開発。1960年ノーベル物理学賞受賞。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「グレーザー」の意味・わかりやすい解説

グレーザー
Glaser, Milton

[生]1929.6.26. ニューヨークブロンクス
[没]2020.6.26. ニューヨーク,ニューヨーク
ミルトン・グレーザー。アメリカ合衆国グラフィックデザイナー,イラストレーター。グラフィックデザインに革命的な影響をもたらしたデザイン会社,プッシュピン・スタジオを共同設立したほか,実験的精神と新しい方向性の模索により驚くほど多彩なデザインを生みだした。1951年ニューヨークのクーパー・ユニオンを卒業し,1952~53年イタリアでジョルジョ・モランディに版画を学ぶ。1954年にシーモア・クワスト,レイノルド・ラフィンズ,エドワード・ソレルとともにプッシュピン・スタジオを設立。当時,写真やテレビが視覚情報の世界で幅をきかせ,写実的なイラストレーションはその地位を低下させていたが,グレーザーはまんが本やモダンアート,西欧以外のアートを参考に,グラフィックデザインに革新性を与え,コンセプチュアルなアプローチを試みた。またストーリー性を排除し,記号やシンボルとして機能する単純化されたイメージで対象物を表現した。1960年までにはタイポグラフィからトータルデザインまで幅広く手がけるようになり,ジュールシェレやアンリ・ド・トゥールーズ=ロートレックなどフランスのアール・ヌーボー期のポスター作家の手法を取り入れ,一人のデザイナーがプロジェクトのコンセプト,ページレイアウト,レタリングなどすべてを担う仕組みをつくりあげた。代表例としてシンガーソングライター,ボブ・ディランのアルバム『グレイテスト・ヒッツ』(1967)に同梱されたポスターがあり,輪郭線と一律に塗られた色彩でかたちづくられたイメージは時代のカルチャーアイコンとなった。また自作の活字書体,ベビーティース Babyteethで書かれた「DYLAN」の綴りがポスターに記された。1968~76年クレイ・フェルカーと共同で『ニューヨーク・マガジン』を発行し,1975~77年には『ビレッジ・ボイス』の副社長兼デザインディレクターを務める。その後も,雑誌のアートディレクション,パッケージデザイン,企業のビジュアルイメージ,ファインアート,店舗・レストランのデザインなど活動の幅を広げた。2009年全米芸術勲章。グレーザーを追ったドキュメンタリー映画に "To Inform and Delight"(2008)がある。

グレーザー
Glaser, Donald A.

[生]1926.9.21. オハイオ,クリーブランド
[没]2013.2.28. カリフォルニア,バークリー
アメリカ合衆国の物理学者。フルネーム Donald Arthur Glaser。ケース工科大学を卒業後,1949年カリフォルニア工科大学で博士号を取得。同 1949年からミシガン大学の教壇に立ち,1957~59年教授を務めた。同大学で素粒子の実験的研究を行ない,ウィルソン霧箱の逆,すなわち液体の中に気泡の列をつくることを思いつき,1952年泡箱をつくった。1959年カリフォルニア大学バークリー校に移り,1964年物理学と分子生物学の教授に就任した。1960年,泡箱発明の功績により 34歳の若さでノーベル物理学賞を受賞した。

グレーザー
Glaeser, Ernst

[生]1902.7.29. ブッツバハ
[没]1963.2.8. マインツ
ドイツの小説家。社会批判小説を書く。処女作『1902年級』 Jahrgang1902 (1928) によって有名。 1933年スイスに亡命。『最後市民』 Der letzte Zivilist (35) は 24ヵ国語に翻訳された。 39年には帰国して従軍。簡潔でスピーディな文体は新即物主義の典型とみなされる。戦後多作

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「グレーザー」の意味・わかりやすい解説

グレーザー
ぐれーざー
Donald Arthur Glaser
(1926―2013)

アメリカの物理学・分子生物学者。オハイオ州クリーブランド生まれ。1946年、物理学と数学を学んでケース工科大学(現、ケースウェスタンリザーブ大学)を卒業し、カリフォルニア工科大学大学院に進んだ。ここでC・D・アンダーソンの指導のもとに宇宙線の研究を行い、1950年に博士号を取得。1949年9月からミシガン大学に職を得て、そこで霧箱(きりばこ)にかわる粒子検出装置を研究した。そのきっかけは、1947年に宇宙線中に新粒子が発見され、それの観察用装置を開発することにあった。最初、ジエチルエーテルを用いて泡生成の原理を解明し、1950年代初めの陽子シンクロトロン(コスモトロン)を使う高エネルギー物理学実験にはプロパンを用いる泡箱を使った。1957年ミシガン大学教授。1959年バークリーのカリフォルニア大学物理学教授となり、巨大な水素泡箱を製作した。1960年には、泡箱発明の業績によりノーベル物理学賞を受賞。その後生物物理学に進み、1964年からは同大学で物理学教授のほかに分子生物学の教授となり、1989年からは分子・細胞生物学教授にもなった。

[日野川静枝]

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改訂新版 世界大百科事典 「グレーザー」の意味・わかりやすい解説

グレーザー
Ernst Gläser
生没年:1902-63

ドイツの小説家。1928年に小説《1902年級》を発表し,L.レンの《戦争》,レマルクの《西部戦線異状なし》などと共に,ワイマール後期の反戦平和主義戦争文学の傑作として脚光を浴びた。ベッヒャー,キッシュ,ゼーガースと共に1930年,ハリコフでの第2回国際革命作家会議参加,33年ナチスによる焚書の厄にあって亡命,社会主義作家の一員とみなされたにもかかわらず,38年ナチス政権下のドイツに帰り,《国防軍戦線新聞》の主筆を務めた。戦後はいわゆる〈国内亡命〉の立場によって自己を正当化する文筆活動を行った。ワイマール時代にはまったく予測のつかなかったナチス時代の激変に直面し,時代に振り回された文化人の典型ともいえる。中立的な私的生活領域への回帰に〈帰属意識(アイデンティティ)〉の根拠を求める彼の立場は,亡命中の《不滅なるもの》(1936)に示され,ワイマール期からナチス時代へのドイツ人の心情を示唆していた。ラジオ・ドラマ,エッセーなども残している。
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百科事典マイペディア 「グレーザー」の意味・わかりやすい解説

グレーザー

米国の物理学者。1957年ミシガン大学教授,1959年カリフォルニア大学教授。素粒子の研究から新しい粒子検出装置の開発を志し,1952年泡箱(あわばこ)を考案,核反応の研究,新素粒子の発見に大きく寄与。1960年ノーベル物理学賞。

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世界大百科事典(旧版)内のグレーザーの言及

【潮間帯】より

…けれども,潮間帯を上下する海水の先端付近および表面には,デトリタスやプランクトンが風や波で吹き寄せられたり,岩に波がぶつかることによってできる無数の泡が作用して,海水中に溶け込んでいた有機物を粒状化し,生物が餌として利用できる形にしていることもあって,短時間の摂餌で十分な量の餌をとることを可能にしている。ろ過食者の次に多いのが,岩盤上に生育しているケイ藻など微小な藻類をかじり取る草食者(グレーザーgrazer)であり,これは移動性の巻貝が中心である。【向井 宏】。…

※「グレーザー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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