日本大百科全書(ニッポニカ) の解説
ケルビン(William Thomson, 1st Baron Kelvin of Largs)
けるびん
William Thomson, 1st Baron Kelvin of Largs
(1824―1907)
イギリスの物理学者。北アイルランドのベルファストで6月26日に生まれる。本来の名はウィリアム・トムソン。父ジェームズ・トムソンJames Thomson(1786―1849)は同地の工学教授であったが、まもなくスコットランドのグラスゴー大学に転じ、数学の教授となった。ウィリアムは、兄のジェームズJames Thomson(1822―1892)とともに同大学に入学(1834)、続いてケンブリッジ大学で数学や物理を学び、1845年に卒業した。それと前後して二度にわたりヨーロッパ大陸に遊学、フーリエの数理的な熱伝導論、ラプラスの天体力学、クラペイロンが祖述したカルノーの熱理論、精密測定を重視したルニョーの実験物理学などから深い影響を受けた。
1846年グラスゴー大学の自然哲学(今日いう物理的科学)の教授に就任、以後53年間この地位を占めた。ルニョーの研究室の先例に倣って、学生の参加できる実験室を設け、また精密計測器の開発や製造に意欲をもち続けたが、前者はイギリス圏で最初の施設として多大の成果をもたらし、後者は鋭感検流計、象限電位計、抵抗測定用ダブルブリッジ、電流天秤(てんびん)、羅針盤(コンパス)などの製品を生んで、巨額の収入をもたらした。
理論の方面では、修学中からフーリエ級数などを論じ、熱伝導現象と電気的な力の作用との類推を考察するなどの早熟ぶりをみせたが、1848年に至って、カルノーの原理とルニョーの実験値とに基づく熱力学温度目盛を提案し、現今の国際単位系の基本単位の一つである「熱力学温度の単位、ケルビン」にその名を残すことになった。一方、その前年の学会でジュールの報告(のちに熱力学第一法則とよばれるものの一部分)を聞いて早速その重要性を認め、以後、長く協力してジュール‐トムソン効果などの成果を得た。さらに1851年には、「生命のない物体を用い周囲の最低温度以下に物体を冷やすことによって力学的な仕事を得ることは不可能である」と述べ、翌1852年には「力学的エネルギーは散逸の傾向をもつ」と述べて、熱理論のもう一つの重要な面(のちにいう熱力学第二法則の、ある局面)を明らかにした。
物理学のその他の分野でも、静電気学の鏡像の方法、連続弾性体(エーテル)のひずみとしての電磁場の理論(ただし、その正しい展開にはマクスウェルの、より新しい発想が必要であった)、ライデン瓶からの放電が振動現象であることの指摘、電荷は一定の微小要素よりなるとする説、渦をモデルとする原子論、電磁気単位、電気通信(理論および海底電信の実用化)と、多彩な貢献をした。海底通信の功により1892年に男爵位を受け、小川の名ケルビンと隠棲(いんせい)地の名ラーグスをとってBaron Kelvin of Largsと名のった。1904年、推されてグラスゴー大学学長に就任した。1907年12月17日ラーグスで没し、ウェストミンスター寺院に葬られた。
[高田誠二]
『ダビド・マクドナルド著、原島鮮訳『ファラデー、マクスウェル、ケルビン』(1978・河出書房新社)』