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シュタイン Stein, Charlotte von

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

シュタイン
Stein, Charlotte von

[生]1742.12.25. アイゼナハ
[没]1827.1.6. ワイマール
ドイツ,ワイマール大公国の公妃侍女。 1764年フリードリヒ・シュタイン男爵と結婚,75年ゲーテと知合って恋愛関係に入り,12年間の交際を通してゲーテの作家的成長に大きな影響を与えた。ゲーテの作品『タウリスのイフィゲーニェ』のイフィゲーニェ,『ウィルヘルム・マイスター』のナタリエは彼女の人物像から着想された。

シュタイン
Stein, Edith

[生]1891.10.12. ブレスラウ(現ポーランド,ウロツワフ)
[没]1942.8.9. オシフィエンチム
ユダヤ人でドイツの女性哲学者。修道名 Theresia Benedicta a Cruce。 E.フッサールの弟子でその助手を務めた。アウシュウィッツ (現オシフィエンチム) の強制収容所で死亡。 1922年カトリックに改宗,1922~31年シュパイアーの女子ドミニコ会教師,1933年ケルン,1938年エヒト (オランダ) の各女子カルメル会修道女。フッサールの現象学的方法を適用してトマス・アクィナスを研究した。主著『国家論』 Eine Untersuchung über den Staat (1924) ,『フッサールの現象学と聖トマス・アクィナス 』 Husserls Phänomenologie und die Philosophie des hl. Thomas v. Aquino (1929) ,『有限なるものと永遠の存在』 Endliches und ewiges Sein (1950) 。なお,全集 (5巻,1950~59) ,コンラート・マルティウスとの書簡集 (1960) がある。

シュタイン
Stein, Karl, Freiherr vom und zum

[生]1757.10.26. ナッサウ
[没]1831.6.29. カッペンベルク
ドイツ,プロシアの政治家。 1780年からプロシア政府に勤務し,1804年税務・商工担当相となったが,翌年カビネット (官房) 制度改革案を国王フリードリヒ・ウィルヘルム3世に進言し罷免された。引退中ナッサウ覚え書を草した。イェナの敗戦 (→イェナ=アウエルシュテットの戦い ) 後,07年再び起用され,いわゆるシュタイン改革を断行。同年隷農制を廃止して農民解放の先鞭をつけ,08年都市条例により,絶対王政のもとで圧殺されていた都市の自治を再建するとともにこれを民主化し,市民の選挙による市会を設置した。同年 11月合理的な中央集権的行政制度を立法化したが,即日ナポレオン1世によって罷免された。罷免の背後にユンカー階級の自己の特権擁護のための暗躍があったことは見逃せない。彼はオーストリアに逃れ,12年ロシア皇帝の顧問となった。ドイツ解放とナポレオン打倒に奔走し,ウィーン会議にはロシア皇帝の顧問として出席したが,彼の理想主義的国民主義は会議を動かしえなかった。以後故郷に帰り,26年ウェストファリア州会議長をつとめた。この間 19年には「古ドイツ史協会」を設立して『モヌメンタ・ゲルマニアエ・ヒストリカ』 Monumenta Germaniae Historica編纂の基礎をおき,この事業は今日まで引継がれている。シュタイン改革案は当時種々の障害にあい全面的には実現できなかったが,K.ハルデンベルクに引継がれ,近代国家化のために重要な役割を果した。

シュタイン
Stein, Lorenz von

[生]1815.11.15. エッケルンフェルデ,ボールビ
[没]1890.9.23. ウィーン,バイディンガウ
ドイツの法学者,社会学者。キールとイエナ大学で哲学・法学を学ぶ。 1841年からパリ留学,フランスの社会主義・共産主義者と接触した。 46年キール大学教授となったのち,55年から 88年までウィーン大学の国家学教授。ヘーゲル法哲学とフランス社会主義の影響のもとに,階級対立をはらんだ市民社会に君主の行政が介入することによって労働者階級を保護するという独特の社会君主論を唱えた。ほかに経済学,行政学,財政学の分野でも業績を残している。 82年,憲法起草準備のため渡欧した伊藤博文を指導して,影響を与えたことでも有名である。主著『平等原理と社会主義 (原題:今日のフランスにおける社会主義と共産主義) 』 (1842) 。

シュタイン
Stein, Peter

[生]1937. ベルリン
ドイツの演出家。 1970~85年,西ベルリンのシャウビューネ劇場の芸術監督をつとめ,詳細な歴史考証に基づく重層的な解釈による古典の上演で,一世を風靡する。その舞台は,ドラマターグを活用した集団指導によるもので,西欧近代についての鋭い批評性に満ちていると評価される。代表作に『シェークスピア・記憶』 (1966) ,イプセンの『ペール・ギュント』 (71) ,チェーホフの『三人姉妹』 (84) など。

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デジタル大辞泉の解説

シュタイン(Heinrich Friedrich Karl, Reichsfreiherr vom und zum Stein)

[1757~1831]プロイセン政治家ナポレオン支配の時代に農奴制廃止・国民皆兵制・行財政改革に尽力し、ドイツ近代化の基礎をつくった。

シュタイン(Lorenz von Stein)

[1815~1890]ドイツの法学者・社会学者。国家の社会政策による資本主義の発展を主張。渡欧した伊藤博文に憲法・行政法を講義したことで知られる。

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百科事典マイペディアの解説

シュタイン

プロイセンの政治家。ナッサウの帝国騎士の家柄出身。1780年プロイセンに仕官。1804年商工・税務担当の大臣となったが,1807年国政改革を進言して国王と対立,罷免された。
→関連項目グナイゼナウハルデンベルク

シュタイン

ドイツの法学者,財政学者,社会学者。ウィーン大学教授。ヘーゲル哲学から出発してドイツ的社会科学の体系を確立。法を社会発展の所産と説き法社会学の先駆をなし,行政学を階級対立を緩和する政策の原理とし,財政学では租税再生産力説で知られる。
→関連項目陸奥宗光

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

シュタイン Stein, Lorenz von

1815-1890 ドイツの法学者,行政学者。
1815年11月15日生まれ。ウィーン大教授。1882年(明治15)渡欧した伊藤博文らに立憲君主国のとるべき憲法・行政法を講義し,明治憲法制定のうえでおおきな影響をあたえた。その講義内容は伊東巳代治(みよじ)の「斯丁(シユタイン)氏講義筆記」にうかがえる。1890年9月23日死去。74歳。シュレスウィッヒ出身。

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デジタル大辞泉プラスの解説

シュタイン

ぺんてる株式会社の替え芯の商品名。従来品より折れにくい。

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世界大百科事典 第2版の解説

シュタイン【Karl Reichsfreiherr vom und zum Stein】

1757‐1831
プロイセンの政治家。ナッサウの帝国騎士の出身。ゲッティンゲン大学で法学を修め,1780年プロイセンの官吏となる。1804年商工業担当大臣となったが,国王の側近政治を批判し,07年1月罷免された。しかし同年10月,ティルジットの和約直後,国家再建のため登用され,翌年11月まで事実上の首相としてプロイセン改革に着手する。在任中に十月勅令で農民の人格的自由,都市条例で市民の自治,行政改革で集権的内閣制度を実現したが,反フランス蜂起画策のかどでナポレオンの圧力で罷免され,内政改革はハルデンベルクに継承された。

シュタイン【Lorenz von Stein】

1815‐90
ドイツ・オーストリアの政治学者。シュレスウィヒの貴族の家庭に生まれたが,平民の母親の不遇をみて爵位を辞したという。キール,イェーナ大学で法学,哲学を学び,ベルリン大学の法学博士号を受けた後,パリに遊学して社会主義者と交流した。《現代フランスにおける社会主義と共産主義》(1842)はドイツにおける社会主義文献の先駆といわれる。1846年キール大学教授となるが,政治活動を理由に52年罷免された。55年よりウィーン大学教授。

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大辞林 第三版の解説

シュタイン【Stein】

〔Heinrich Friedrich Karl Reichsfreiherr vom und zum S.〕 (1757~1831) プロイセンの政治家。ティルジット条約後の難局に首相となり、農奴解放、都市自治の強化、国家機構改革などの近代化を推進。
〔Lorenz von S.〕 (1815~1890) ドイツの法律学者・社会学者。伊藤博文が憲法調査のため渡欧した際に憲法・行政法を講ずるなど、多大の影響を与えた。

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20世紀西洋人名事典の解説

シュタイン


スタインをも見よ。

出典|日外アソシエーツ「20世紀西洋人名事典」(1995年刊)20世紀西洋人名事典について | 情報

367日誕生日大事典の解説

シュタイン

生年月日:1859年11月12日
ドイツの哲学者
1930年没

シュタイン

生年月日:1815年11月15日
ドイツの国家学者,社会学者
1890年没

出典|日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について | 情報

世界大百科事典内のシュタインの言及

【クレムス】より

…12世紀初め国王領から辺境伯(のち太公)バーベンベルク家の直轄都市となり,商業・交通上,領邦オーストリア第1の要地になったが,世紀後半にはウィーンに席を譲った。対岸のシュタインとは1250年以来共通の都市共同体を形成し,1305年にはともにウィーン都市法を継受,1849年いったん分離するが1939年広域のクレムス市として再統合された。1945‐55年にはソ連軍が進駐していた。…

【モヌメンタ・ゲルマニアエ・ヒストリカ】より

…ドイツ中世史の史料集。略号MGh。プロイセンの宰相であったK.R.vom und zumシュタインが,政界引退後,ドイツ民族の統一を悲願とし,1819年ドイツ古史学協会Gesellschaft für ältere deutsche Geschichtskundeを創設,若くしてすぐれた歴史家ペルツGeorg Heinrich Pertz(1795‐1876)の協力で編集が開始され,ゲルマン民族に関する紀元500年から1500年までの主要史料を,可能な限り厳密な原典批判を加えて編纂・刊行した。…

【ドイツ】より

…新領土統合の必要から,あるいはまたプロイセンのように,ナポレオンに敗れて存亡の危機にした国家再建の必要から,各国は,多かれ少なかれフランスの影響下に,新国家の建設にも匹敵する根本的な改革を行うことになった。その最も有名な例はシュタインとハルデンベルクの指導下に行われたプロイセン改革だが,他の国でも,多くは開明的官僚の指導で大々的な国制改革が行われており,バイエルンバーデンビュルテンベルク等,今日の西ドイツの連邦州(ラント)に連なる中堅諸国も,この時代の改革を通じて新たに発足したといってよい。ナポレオンに対する解放戦争ののちウィーン会議で組織されたドイツ連邦は,このような諸国家の連邦である(図2)。…

※「シュタイン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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